「その時私は」物語

それぞれの人生の中での大きな転換点、分岐点、出来事のお話です。

「その時私は」物語
Oscar Balnac と Henry Bernard Beer新着!!

昔から写真機が好きで、それも数集めるという馬鹿さ加減。そこに出てくるのがライカという名前。固有名詞なのにライカ判として、フィルム時代の画面サイズを表すのに普通名詞として長らく使われています。一方、セラミックスの出身でセラ […]

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「その時私は」物語
随筆 セラミックスを離れて50年 ~何をやってきたのだろう~

島宗孝之(相談役:1966学 1968修 1971博)  ドクターコースまで行って、修了、これでセラミックスの専門家か?と思ったわけではないが、直接のセラミックスに関連することから離れるとは夢にも思っていなかった。ところ […]

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「その時私は」物語: 私のコンピュータ遍歴 その2

私のマッキントッシュ物語 続き 職場でのマッキントッシュとプリンターの購入  留学から当然のことながら,マッキントッシュを日本に持って帰りました。このマッキントッシュのおかげで修士課程の論文が書けたのですから本当に感謝で […]

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「その時私は」物語: 私のコンピュータ遍歴 その1

私のマッキントッシュ物語 初めてのパソコン  当時はマイコンとも言いました。自分のコンピュータ,小さなコンピュータの意味です。今はパソコンで,パーソナルコンピュータ,PCとかといいますね。このマイコンを最初に購入したのが […]

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「その時私は」物語: 高校時代/三億円事件

三億円事件と高校への車通学路  三億円事件は,1968年12月10日火曜日,朝9時過ぎに起きました。今と違い冬のボーナスを現金で銀行から東芝の府中工場に届けるときに,府中刑務所の北側道路でこの事件は起きました。白バイが現 […]

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「その時私は」物語: 高校時代/高三での自動車運転免許証取得

高校三年生で自動車運転免許証を取得した時のお話  私が普通自動車運転免許証を取ったのは高校三年生の時でした。4月生まれなので,高校三年生でも免許証を取得できます。当時も,自動車免許証は自動車教習所へ行って,取得するのが一 […]

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「その時私は」物語: 私の入社試験

はじめに 現在まで,無機材会では大学修士学生を対象に,大学のOB・OGにお願いして,会社の概要,仕事内容,日々の生活の話をしてもらうセミナーを開催してきました。大学生が得れる情報は限られており,特に無機材料の会社は,B- […]

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「その時私は」物語:たつひとのスキューバ その7

スキューバの思い出その3 その他 【ダビング雑誌に登場】 月刊ダイバーというダイビングの雑誌が,今は休刊になってしまっていますがありました。このダイバー誌から取材をしたいとのことで海の修復の話をしました。見開き2ページで […]

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「その時私は」物語:たつひとのスキューバ その6

スキューバの思い出その2 海外編  今まで,国内ばかりのダイビングでしたので,海外も潜ってみないととまず選んだのがオーストラリア グレートグレートバリアリーフでした。 【グレートバリアリーフ】 オーストラリアのケアンズに […]

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「その時私は」物語:たつひとのスキューバ その5

スキューバの思い出その1 国内版  スキューバでは色々な思い出があります。多くの思い出の中で特に印象に残っていることをお話したく思います。 【石西礁湖のサンゴ礁】 初めは,深く潜りたい,潜った方がカッコいいと何となく思っ […]

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