「その時私は」物語

それぞれの人生の中での大きな転換点、分岐点、出来事のお話です。

「その時私は」物語
~ 新年のごあいさつ ~  高橋達人

皆さま あけましておめでとうございます。本年も無機材会をよろしくお願いいたします。  さて,このたび,無機材会のホームページ(広報)を担当することとなりました。ホームページの作成は,現役時代からはや25年近く関わってきま […]

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80歳にして自分の宗教探し?(#8/8:補足)

神仏+α習合?  紀伊半島をドライブし、自分の宗教は神仏習合と理解した事をお話しました。 しかし、この原稿を書いている内に、自分には神仏以外の宗教が混じっている事に気がつきました。  埼玉県坂戸市にある日本最大の道教のお […]

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80歳にして自分の宗教探し?(#7/8:エピローグ)

エピローグ(安田の勝手な解釈)  花の窟神社の巨石や、那智滝を崇拝し、大木や自然の美しさを見て感激し、手を合わせたくなるのは日本人だけでは無いと思う。森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、神とと […]

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80歳にして自分の宗教探し?(#6/8:高野山②)

 朝起きてびっくり  六時半からの朝のお勤めに参加するべく、六時に起きて外を見て吃驚。なんと雪が降っているではないか。 天気予報大外れ。 40分のお勤めはご住職(院家様)により荘厳な雰囲気の中で進められた。教えの中心は「 […]

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80歳にして自分の宗教探し?(#5/8:高野山①)

いよいよ高野山へ 宿坊に泊まってみたくて、楽天トラベルで一人2万円以内で探したところ、口コミの星4つで門構えが立派で感じの良い遍照光院に空きがあったので予約した。 カーナビのお陰で、高野山に着いて直ぐに遍照光院に辿着いた […]

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80歳にして自分の宗教探し?(#4/8:本宮大社)

熊野本宮大社へ  紅葉を期待して山道を熊野本宮大社に向かったが、途中一部銀杏が黄葉してはいたが、もう少しと言ったところだった。  158段の階段を上って熊野本宮大社に。檜皮葺きの格式の高い社殿に迎えられた。熊野三山(熊野 […]

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80歳にして自分の宗教探し?(#3/8:熊野三山)

熊野三山へ  二日目は朝八時から、乗り慣れている第四世代プリウスを借りて移動開始。まずは、五十鈴川の三角州に祀られている二見浦の女夫岩に。天気はまずまずであったが、風が強かった。 途中「花の窟神社」へ  熊野市に入ったと […]

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80歳にして自分の宗教探し?(#2/8:伊勢神宮)

まずは伊勢神宮へ  1週間前迄の天気予報では好天であったが、次第に怪しげになり、当日(2023.11.10)は残念ながら雨であった。伊勢市駅から傘を差して歩いて5分程度で外宮に到着。  旅行案内書によると「伊勢神宮の起源 […]

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80歳にして自分の宗教探し?(#1/8:はじめに)

はじめに  約50年前に私がドイツに留学した時、入管や住民登録に際して、宗教の記入を求められた事を思い出した。自分の宗教は神道なのか仏教なのか、どちらを書くべきか悩んだ。我が家の菩提寺は曹洞宗の守光院でお盆とか命日に墓参 […]

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Oscar Balnac と Henry Bernard Beer

昔から写真機が好きで、それも数集めるという馬鹿さ加減。そこに出てくるのがライカという名前。固有名詞なのにライカ判として、フィルム時代の画面サイズを表すのに普通名詞として長らく使われています。一方、セラミックスの出身でセラ […]

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随筆 セラミックスを離れて50年 ~何をやってきたのだろう~

島宗孝之(相談役:1966学 1968修 1971博)  ドクターコースまで行って、修了、これでセラミックスの専門家か?と思ったわけではないが、直接のセラミックスに関連することから離れるとは夢にも思っていなかった。ところ […]

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「その時私は」物語: 私のコンピュータ遍歴 その2

私のマッキントッシュ物語 続き <日本編> 職場でのマッキントッシュとプリンターの購入  留学から当然のことながら,マッキントッシュを日本に持って帰りました。このマッキントッシュのおかげで修士課程の論文が書けたのですから […]

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「その時私は」物語: 私のコンピュータ遍歴 その1

私のマッキントッシュ物語 <米国編> 初めてのパソコン  当時はマイコンとも言いました。自分のコンピュータ,小さなコンピュータの意味です。今はパソコンで,パーソナルコンピュータ,PCとかといいますね。このマイコンを最初に […]

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「その時私は」物語: 高校時代/三億円事件

三億円事件と高校への車通学路  三億円事件は,1968年12月10日火曜日,朝9時過ぎに起きました。今と違い冬のボーナスを現金で銀行から東芝の府中工場に届けるときに,府中刑務所の北側道路でこの事件は起きました。白バイが現 […]

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「その時私は」物語: 高校時代/高三での自動車運転免許証取得

高校三年生で自動車運転免許証を取得した時のお話  私が普通自動車運転免許証を取ったのは高校三年生の時でした。4月生まれなので,高校三年生でも免許証を取得できます。当時も,自動車免許証は自動車教習所へ行って,取得するのが一 […]

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「その時私は」物語: 私の入社試験

はじめに 現在まで,無機材会では大学修士学生を対象に,大学のOB・OGにお願いして,会社の概要,仕事内容,日々の生活の話をしてもらうセミナーを開催してきました。大学生が得れる情報は限られており,特に無機材料の会社は,B- […]

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「その時私は」物語:たつひとのスキューバ その7

スキューバの思い出その3 その他 【ダビング雑誌に登場】 月刊ダイバーというダイビングの雑誌が,今は休刊になってしまっていますがありました。このダイバー誌から取材をしたいとのことで海の修復の話をしました。見開き2ページで […]

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「その時私は」物語:たつひとのスキューバ その6

スキューバの思い出その2 海外編  今まで,国内ばかりのダイビングでしたので,海外も潜ってみないととまず選んだのがオーストラリア グレートグレートバリアリーフでした。 【グレートバリアリーフ】 オーストラリアのケアンズに […]

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「その時私は」物語:たつひとのスキューバ その5

スキューバの思い出その1 国内版  スキューバでは色々な思い出があります。多くの思い出の中で特に印象に残っていることをお話したく思います。 【石西礁湖のサンゴ礁】 初めは,深く潜りたい,潜った方がカッコいいと何となく思っ […]

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2023年の年頭あいさつ (企画担当・副会長)

あけましておめでとうございます。無機材会 本年もよろしくお願いいたします。  企画を担当したのが2019年からです。当初は対面であった工場見学会や企業セミナーも,その後のコロナ禍の影響で,リモート Zoomでの開催となっ […]

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「その時私は」物語:たつひとのスキューバ その4

合気道エッセイ: 合気道とスキューバ  合気道をやるうえで極意となる丹田や重力のことなど,スキューバは色々なことを考えるきっかけとなりました。そんなお話をしたく思います。 【中性浮力】 「中性浮力」(neutral bu […]

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「その時私は」物語:たつひとのスキューバ その3

【ダイビングを経験し新たにわかったこと】 普段,陸上に生きている我々には,中々体感できないことをこのスキューバで知りました。そのお話をしたく思います。考えてみればそうなんですけれどその場に遭遇しないとなかなか実知識として […]

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「その時私は」物語:たつひとのスキューバ その2

【そもそものきっかけ】 当時は,製鉄所の鋼を作る部署で,1600度の高温の溶鋼を精錬する容器をメインテナンスする仕事をしていました。高温の鋼を入れる容器には耐火物を使います。一方,鋼を作るときに副産物として発生するスラグ […]

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「その時私は」物語:たつひとのスキューバ その1

【はじめに】 40代後半になってスキューバ,スキューバダイビングを始めました。それも仕事関係です。45歳以上は,始めるにあたって医者の診断書がいる様になります。今回の「その時私は」物語では,スキューバを始めるきっかけのお […]

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「その時私は」物語: 米国 ペンシルバニア州立大学合気道部

合気道エッセイ その2  米国に留学した時の合気道については,すでに,技術英会話エッセイや合気道エッセイなどで書いてきました。ここでは,その内容も加えながら東工大卒業から米国ペンシルバニア州立大学までの合気道の話を書いて […]

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「その時私は」物語: 豪州NSW合気会 サザーランド道場

合気道エッセイ その2 【オーストラリア駐在と合気道の道場探し】 歳も50代後半になって仕事でオーストラリアへ駐在することになりました。勤務先はポートケンブラにある高炉を有する製鉄所に耐火物を製造し納入する現地の製造会社 […]

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「その時私は」物語: 合気道 米谷守正先生

合気道エッセイ その2 【出会い】 1988年に米国から帰国して,佃島にあった社宅に住むことになりました。そこから歩いて通える深川にある合気道の道場で,指導されていたのが米谷守正 よねたにもりまさ 先生です。米国の大学の […]

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「その時私は」物語: 東工大合気道部

合気道エッセイ その2  合気道にまったく触れたこともない人に,合気道の面白さをわかってもらえるようにと書きだした合気道エッセイ その1で,東工大入学と同時に合気道を始めたころのことを書きました。 「私が合気道を始めたの […]

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「その時私は」物語: 立川高校時代

「その時私は」物語を書き始めるにあたっての話  この企画を始めるにあたり,企画担当である私からまずは書き始めないといけないだろうと机のパソコンの前に座りました。  なにが自分の「その時私は」物語になるだろうかと考えるに, […]

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「その時私は」物語を始めるにあたって

「その時私は」物語を始めるにあたっての裏話  今回2022年度の新企画として開始した「その時私は」物語をはじめて思い立ったのは,実は無機材会の企画の仕事をはじめた2019年当時です。各人みな色々な経験があり,それを人によ […]

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