「その時私は」物語: 米国 ペンシルバニア州立大学合気道部

合気道エッセイ その2

 米国に留学した時の合気道については,すでに,技術英会話エッセイ合気道エッセイなどで書いてきました。ここでは,その内容も加えながら東工大卒業から米国ペンシルバニア州立大学までの合気道の話を書いてみようと思います。

【留学までの赴任先,福山での合気道】
 大学を卒業後,入社した鉄鋼会社の広島県福山市にある製鉄所は当時は関係会社を含めて3万人が働く世界で最大級の製鉄所で,その製鉄所に隣接するワークスラボ的な研究所への配属となりました。できれば大学時代から始めた合気道を仕事をしながらでも続けようと,まだネットなどで検索することができる時代ではありませんでしたので,電話帳を片手に調べ幸運にも福山の合気道の道場を探し出すことができました。合気道を初めて50年もたって振り返ると合気道にも色々な修得段階があることが分ってきます。ここ福山での10年間は,稽古を通じて一通りの基本的な合気道の技法を学び,修得できた段階だと気づきます。たとえると小学校,中学校と言った義務教育の段階が終わったといったところだったと思います。
 留学先に選んだ米国で合気道が初めて紹介されたのは1953年のハワイからで,合気会本部道場師範部長の藤平光一先生が講師としてハワイから招かれたのが最初です。ハワイの後米国本土への内弟子の派遣や植芝盛平翁の他界後に合気会を離れ米国に渡った方々により合気道がしだいに米国各地に広がっていきました。この辺の事情を留学当時は知ってはいたものの,アメリカ大陸東部アパラチア山脈のど真ん中にある留学先のペンシルバニア州立大学で合気道ができるとは思ってもいませんでした。日本での留学準備中は,初めての海外,英語圏での生活,大学での授業のことを考えると合気道のことはほとんど意識の中にはありませんでした。ただ,合気道の技が米国でも通じるのかなとの一抹の不安と,一方で合気道をやっていることで身を守れるとの自信ももっていました。そんな状態でした。

【合気道部があることでビックリ】
 大学への入学に時期は,日本と同じようにクラブの勧誘が盛んです。9月初めのセメスターが始まる前のクラブ活動の紹介で,テーブルに合気道のビデオを流しながら合気道部の勧誘をしていました。合気道部の中心人物は「タカシ」さんで,日本からの留学生です。相手が日本人ですので話がしやすく,部員は白帯だけ,本を見ながら稽古している。部員は学生に,大学周辺の町の人も参加しているとのこと。さっそく,日本に連絡し,当時かさばるものは船便が主でしたが,道着どうぎと袴はかまを航空便で送ってもらいました。道着のことを「Gi (ぎ)」と呼ぶころに違和感を覚えましたが,考えてみると「道どう」をつける方が変だとそのとき気づきました。武道を行う際に着用する衣服だから道着と辞書に出ていますが,道着を道着と呼ぶのは,知っている限り日本だけです。

【ペンシルバニア州立大学合気道部の道場】
 日本の合気道の道場は,この時代は畳がすべてですが,大学の合気道部の道場は,レスリング場を使っていました。スポンジで表面がつるつるしていて,掃除も楽です。モップで掃除を簡単にできます。レスリング場に隣接して,更衣室とシャワールームがあります。レスリング場でも合気道の道場になるんだと新鮮さを感じました。

ペンシルバニア州立大学合気道部

【ペンシルバニア州立大学合気道部での出来事】
 ・武道好きな人で真剣を買ってきた人がいて,
  稽古で使わないので道場に持ってこないようにさとしました。
 ・木刀を脇にさして授業に参加した人がいました。
  この人大丈夫かなと心配になりました。
 ・体験入部した人が,バスの中で座っているの私の前で直立不動することも経験しました。
 ・合気道を見ていて女子学生が,蹴りに対してはどうするのとの質問に
  どんな蹴りと話すと後ろ回し蹴りをしてきました。
  平然と捌いて,蹴りは攻撃技として稽古しないんだと答えて,
  内心,中々カッコいい振る舞いができたなと自然と体が動いたことに満足しました。
 ・合気道部のパーティでのビデオは「七人の侍」でした。
  内緒にしていましたが,当時はまだ私は見ていませんでした。
  こんなの見ていたら,オタクなるなと思いました。
 ・素振りがうまい人がいて,なんでそんなに木剣が振れるのか聞いたら,
  西海岸で剣道をやっていたとの話,
  西海岸では,剣道がポピュラーなんだとびっくりしました。
 ・大学を離れるときに,お礼するといって
  道場で二列に正座し,座礼をする間を歩かされました。
  映画の見過ぎかなとも思いましたが,加えて
  その後は,女性からのハグが待っていました。
  現在では当たり前のことかもしれませんけど。

【米国で合気道ができて感じたこと】
 米国で合気道の稽古ができたことで,まだ極意など知る前の段階,柔術段階でも,学んできた合気道が海外でも通じる武道だと認識できたことは大きな成果でした。少なくとも私の周りにいた米国人は,日本文化に敬意を示していて,日本の文化の一部である合気道を続けてきてよかったとつくづく思いました。特に合気道の中で行っている礼儀作法を人々が欲しそれに敬意をもっていることも知ることができました。
 テニスなどはみんなが当たり前のようにするので,テニスをするなんてかっこいいなどの感覚は,だれも持っていませんでした。

 この留学時代の私の合気道はまだ柔術どまりで,帰国後に合気道の極意の技に出会うとはツユとも思っていませんでした。帰国後のことは,「その時私は」物語:合気道 米谷守正先生のところで書き,アップしました。

ではでは。

皆さんの「その時私は」物語への投稿をお待ちしています。今回もまた「その時私は」物語合気道エッセイのコラボでした。

高橋達人 tatsuaiki7@gmail.com