「その時私は」物語: 東工大合気道部
合気道にまったく触れたこともない人に,合気道の面白さをわかってもらえるようにと書きだした合気道エッセイ その1で,東工大入学と同時に合気道を始めたころのことを書きました。
「私が合気道を始めたのは大学へ入学し合気道部に入部したのがきっかけです。高校時代に剣道をしていましたが,体術の武道をしたく合気道を選びました。入部したときはすでに同好会から正式な大学の体育会系クラブとして承認されて合気道部となっていました。入学年次は1972年ですので東工大で同好会として合気道の活動を開始した1966年11月から数えて六代目で……」
このころは,現在のように中学校の武道の授業科目の一つとして合気道があるというような状態ではなく,合気道の名前は世間的には知れ渡っていたもののすべての大学に合気道部があったわけでなくどのような武道のなのか実際に入部しないとわからない状態でした。現在,大学敷地外となっている大岡山駅前にある東急ストアと同窓会の東工大蔵前会館がある場所は,入部した当時は大学構内で体育館と武道館がたっていて,鉄筋二階建ての武道館の一階がジム,二階が武道場で,東半分が畳,西半分が板の間の道場となっていました。この武道場の畳の部分を使って柔道部と合気道部が稽古をしていました。その武道館ができる前までの合気道の稽古は,大学の運動場の西南隅あった木造平屋の道場でおこなっていたと聞きました。当時の鉄筋二階建ての武道館は,そこそこの広さがあったので,他の大学を集めての合同稽古に板の間の部分にも畳を引き,ほぼ毎年ように行事を行っていました。この体育館も取り壊され,1992年に新たに本館のグランド寄りに新設した体育館の下に武道場が設置されました。
【東工大合気道部の創部】
東工大に合気道部を作ったのは1964年に入学した綾野哲雄さん(故人)です。1966年にまず合気道同好会を作りました。同好会では初代と二代目主将を綾野さん,三代目主将を手塚俊夫さんがつとめ,ともに白帯の主将でした。手塚さんが黒帯になったのは四年生になってからのことです。1969年に同好会から念願の体育会に属する部に昇格しました。同好会から部に昇格させるには合気道の部員数が必要とのことで,新宿若松町にある合気会の本部道場に数人が泊りがけで稽古したとの話です。この時のことを現合気会三代目道主 植芝守央うえしばもりてる道主から2015年に豪州合気会の50周年記念行事がメルボルンで開催したときにお聞きしました。合気道部の稽古指導は1966年11月の同好会設立にあわせ合気会本部道場の指導員であった今泉鎮雄 いまいずみしずお 先生に,植芝吉祥丸 うえしばきっしょうまる 二代目道主 (当時本部道場長)からの要請で決まりました。以降1975年夏に今泉先生がニューヨークに指導で渡米されるまでご指導いただきました。
【合気道創始設者植芝盛平翁と合気道】
合気道を創始したのは,植芝盛平 うえしばもりへい 翁おうです。大東流合気柔術 だいとうりゅうあいきじゅうじゅつ を創始した武田惣角 たけだそうかく 先生は1859年の生まれ,柔道を作った嘉納治五郎 かのう じごろう 先生は1860年の生まれ,柔道の講道館設立が1882年,三船久蔵 みふねきゅうぞう十段が植芝盛平翁と同じ1883年の生まれで,合気道が現代武道創成期の流れの中にあったことが分かります。この合気道創始者の植芝盛平翁が他界されたのは東工大合気道同好会から合気道部となった1969年で,その前年1968年に日比谷公会堂で行われた全日本合気道演武大会で生前の盛平翁の演武を東工大合気道部の初期の先輩方も見ています。羨ましい限りです。
【合気会と心身統一合気道】
合気道創始者の植芝盛平の流れを維持している合気会は,世界全体で160万人ともいわれる合気道人口の8割を占めます。現在,合気会では本部道場で稽古している技に統一して指導していますが,東工大合気道部ができた当時は指導する合気道の先生が合気道に入門する以前の種々の武道の経験をベースに合気道を習得していったため,個性的な合気道が多く存在していました。開祖が他界後にこのことで合気会から離れるグループもあり,1974年当時東工大合気道部を指導していただいた今泉先生も合気会本部道場師範部長の藤平光一 とうへいこういち 先生とともに合気会を離れました。今泉先生は早稲田大学合気道会の初代部長で,本部道場指導員として早稲田大学の学生も指導していましたが,早稲田大学合気道会は本部道場で稽古している関係で合気会に残り,東工大合気道部は二代道主との話し合いで今泉先生預かりとなり,今泉先生から学生たちにその後の所属に関する相談があったのを記憶しています。これ以降,東工大合気道部は,心身統一合気道しんしんとういつあいきどうとして活動しています。
【現在】
私が東工大合気道部で合気道を始めてから 2022年4月で50年たちました。コロナ禍で合気道の活動も十分できない日々が続いていますが,大学の合気道部の合宿や行事,懇親会やOB会には積極的に参加していこうと思っています。過去合気道部に所属した人の数はおよそ400人,そのOB・OGの中で合気道を続けている人は私を含め数人です。もったいない限りです。
東工大合気道部設立時の話のときに言っていただいた「OBとして部をしっかりサポートしてあげてくださいね」との三代目植芝守央道主の言葉をうれしく思っています。
その後今泉鎮雄先生は心身統一合気道会を離れ,米国で真武道会しんぶどうかいを1988年に立ち上げ,2018年には設立30周年を迎えました。今泉先生は1938年のお生まれで,最近合気道の活動から距離を置いたとの話が伝わってきました。初代師範の今泉先生が1975年に渡米した後,東工大合気道部の四代目の吉ヶ崎健二郎よしがさきけんじろうさんが師範として合気道部の指導に当たりました。吉ヶ崎さんは1978年まで東工大合気道部を指導し,その後欧州へ渡られ現地で合気道の指導をしていましたが,2021年に他界されました。1951年のお生まれで享年70歳でした。吉ケ崎さんの後,2018年まで大塚豊先生が合気道部の指導され,2018年からは小原おはら英雄先生が指導されています。
ではでは。
今回は「その時私は」物語と合気道エッセイのコラボでした。
高橋達人 tatsuaiki7@gmail.com