民主主義の持続可能性

社会を記述するには,技術水準,統治方式,経済体制がキーワードだ.石器時代から農耕社会を経て工業社会への進化は技術水準による区分だ.封建制や民主制は統治方式の相違,資本主義や共産主義は経済体制による区別だ.太古からの歴史を概観すれば,技術進歩は人類の歴史を形作る基本的な流れだが,統治システムや経済システムはそれに呼応するように紆余曲折を経た変化を遂げてきたといえよう.

古代ギリシャやローマに遡れば民主主義の歴史は古いが,現代の民主主義は封建制の終焉とともに出現した.封建制のもとでは経済活動についても支配者の意思が強く反映され,民間の経済活動といえども専制的な権力者の意向に沿う必要があった.莫大な富を得る民間業者の誕生は産業革命後の民主主義体制のもとで,経済活動の自由度の高い資本主義経済が発達してからだ.このように統治システムは経済システムと深く関係しているが,大局的には技術の進歩に応じて政治や経済を含む社会の仕組みが変化し,歴史が形作られたと見なしてもよいだろう.

国家統治のシステム
国家のために国民が存在するのか,国民のために国家が存在するのかを尺度とすれば,前者に近いところに位置づけられる統治システムは古くからの封建制に加え,独裁政治,軍事政権,社会主義・共産主義体制などの全体主義(Totalitarianism)・権威主義(Authoritarianism)・集産主義(Collectivism)の類だ.ここで非民主主義にはさまざまな政治体制が含まれるが,過激な体制を全体主義(イタリアのファシズム,ドイツのナチズム,ソ連のスターリン体制など),穏健なものを権威主義としておこう.集産主義は生産手段の国有化によって私有財産が脅かされる統制経済や計画経済などのことで,共産主義に限らず全体主義国家で主に発達する制度だ.

対極に位置する統治システムは国家権力の行使に制限を設けて個人を尊重する民主主義だ.国民の支持を正当性の根拠とする民主主義においては統治者の権力を制限して多くの国民に不利益が及ばない仕組みが組み込まれている.民主主義を維持するためには,その機能を稼働させて制度の適切な運用を図ることが必要なことは言うまでもない.運用に失敗すれば,共和制ローマから帝政ローマへの移行,ワイマール共和国から第三帝国への移行のように民主主義は崩壊するからだ.

歴史が示すところは,国民が国家に従属する存在であった時代が長く続いてきたことだ.そしてたとえ民主主義体制が成立しても,危機に際しての対応が鈍い民主主義体制への反動として国民の支持を背景に権力を掌握し,恐怖による強権支配体制が容易に再構築されることだ.

自由主義者の変節
民主主義は圧政からの自由を得ることに主眼を置いた統治システムだ.民主主義を支持する19世紀の自由主義者の思想はアクトン卿の1887年4月5日付けの手紙に書かれた言葉に如実に見ることができる.

Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely. Great men are almost always bad men. (権力は腐敗の傾向があり,絶対的権力は絶対的に腐敗する.偉人は殆ど常に悪人である)

フリードマンは自由を脅かす政府の役割を制限し,その権限の分散が自由を守るために重要と指摘したが,20世紀の新たな自由主義者(リベラル)は福祉や平等を重視して,それを達成するために中央集権を支持するように変節したと述べている.圧政からの自由から貧困からの自由への自由の意味合いの変節だ.資本主義経済の恩恵にあずかった大富豪が出現した19世紀末から自由主義者の意味合いの変節は始まり,とくに大恐慌を経験した1930年以降には顕著となった.

貧困からの自由を標榜する社会主義体制に強大な権力を与えれば,それはいずれ独裁に移行するとハイエクは指摘したが,20世紀の自由主義者は国家や国際機関に権力を与えて福祉と平等を実現することを期待するようになった.福祉と平等を実現する名目であっても,強大な権力を得た政府は自由を脅かす存在に変節するという19世紀までの自由主義の見解とは真逆の自由主義者の出現だ.ハイエクは統制経済のもとでは,扇動者が権力を掌握して民主主義が脅かされることを警告したのだ.

民主主義の崩壊とその後
ハイエクによれば,扇動者が単一の教義を奉ずる強大な集団を組織するときには,以下の特徴を持つ連中が動員される.まず,支持基盤の核となるのは倫理規範も知的水準も低い連中だ.知的水準が高ければ意見も好みも多様化するから,同じような意見を共有するために必須の要件なのだ.次に従順でだまされやすく,自分の考えを持たない連中を支持者に加える.これで同調性の高い者が加わった.最後に敵に対する憎悪や地位の高い人に対する羨望を駆動力として,団結する集団の増強を図るのだ.敵は国内でも国外でも構わないが,敵に対する共闘は団結する集団の旗印として有効に機能することは歴史的な事実と矛盾しない.

国家は国民から構成される組織ではあるが,統治者が私物化するのは世の常だから,個人としての独裁者(個人独裁),独裁者とその親族を含めた支配階級(君主独裁),独裁者とその盟友が支配階級となる一党独裁(支配政党独裁)や軍事独裁などさまざまな形態があるものの,いずれも統治者が国民を支配し,使い捨てにする図式だ[注1].このような支配体制が構築されれば,国民は尊重される存在ではなくなる.支配者に忠誠を誓わない国民は粛清の対象となるから,国民が生き残るために取るべき態度としては自由意志の隠蔽以外の選択肢はありえない.国民が国家をコントロールする図式の維持には国民の不断の努力が必要だが,国家が国民を支配する図式への移行はこのような意欲的な扇動者の努力によって実現可能であることは歴史が示すところだ.

組織統治のシステム
国家が権力者の専制に制限を設けた民主主義体制を採用しても,国内のさまざまな組織では権力者が専制的に支配する階層型組織体制が堅持されていることも紛れもない事実だ.軍隊組織は防衛と侵略(略奪された領地の奪還を含む)を目的とする上意下達の階層型組織であり,営利企業も収益を上げるために経営者が管理職を通じて従業員に指示・命令する組織体制だ.

階層型組織は明確な目的を達成するための組織として機能するから,組織の構成員は目的に賛同する者でなければならない.このような組織では競争のための計画を立案し,それを遂行するための体制を敷いているのだ.賛同しない構成員が自由に離脱できるならば権力者の支配に限界があるのも事実だが,軍隊のように雇用の流動性に乏しければ,事実上,企業や官僚組織においても体制に従属する以外の選択肢は乏しくなる.このような状況では,従業員が上司の指示や意向に忖度した組織ぐるみの不正に加担する行為も避けがたくなることも理解できよう.民主主義国家においても,権力者の無理強いから逃れる自由は道半ばなのだ.

民主主義の未来
民主主義の制度は極めて特異な制度であることには間違いがない.蟻やミツバチなどの真社会性昆虫の社会では,不妊階級が集団の利益のために奉仕する.ハヌマンラングールの社会では1頭のオスがメス集団を支配する.ニホンザルやチンパンジーのような複数のオスが共存する社会ではオスの個体間に序列があり,最上位のオスが群れを支配する順位制だ.動物の親子の群れでは,他の個体の世話をする行動が見られるが,成長した子がヘルパーとして幼い弟妹の面倒を見るケースを除くと,親が我が子を守るといった図式がほとんどだ.そして子が成熟すれば,親子の親密な関係は解消されるのが普通だ.

チンパンジーの群れでリーダー(ボス猿)に昇進するために筋力の発達は必須要件だが,それに加えて他の個体からの支持も影響力が大きい.そこで有力者を味方につけて同盟関係を結ぶ政治的な駆け引きが昇進の鍵となる.このように動物の社会集団の内部での個体間の関係が一般的な順位制から特異な同盟関係に発展したことを民主主義の遠い起源とするならば,民主主義の由来はチャールズ・ダーウィンが想定した人間の由来と同じ道筋を辿ってきたことになる.ヒトはサルから遺伝情報を継承しただけでなく,文化的な情報も継承したのだ.

圧政からの解放を目的とした民主主義は,国家権力の行使に制限を設ける仕組みだ.そのため脅威に対抗する手段としては応答が遅いという欠点があり,福祉や平等を推進しようとすれば権力の強化が必要となって国民の自由が脅かされる危惧が高まる.それに加え,多数決による決議も正しい判断とは限らない.多数者の専制となるからだ.しかし,進化論の観点からは集団の技術競争力強化に資する社会体制がヒト社会において適応的と考えられるから,生命と財産が保障される民主主義体制のもとで技術開発が盛んになって経済も成長したことは,現代社会には適応的な体制であることを示唆している.

フランシス・フクヤマは民主主義が人類の到達する最終的な社会制度だと考えたが,それはソビエト連邦が崩壊した時代の解析であった.他方,アセモグルとロビンソンは強力な国家制度は治安維持を通じて個人の安全を保障するために必要だが,国家が強くなりすぎれば国家自体が個人の安全を脅かす存在となる.その両者の間の狭い回廊を進むには社会による国家の監視が重要で,国家が腐敗して横領のリヴァイアサンとならないように足枷をつける絶え間ない努力が必要だと述べている.選挙で選ばれた政権を国民が注意深く監視を続けることが,制度変更を通じて合法的に権威主義国家に豹変することを抑止するために必要なのだが,それを実行することは決して生易しい努力ではないのだ.民主主義社会の発生が一時的な例外的事象なのか,あるいはヒト社会の技術進化の末に到達する合理的な帰結なのかを結論付けるには,もうしばらく時代が先に進むことが必要かもしれない.

[注1] 権威主義体制のもとでは,権力の座に座るリーダーが権力を行使するが,リーダーを支援するエリート(取り巻き集団)の存在が権力維持の鍵を握る.エリートは支援者であると同時にクーデターによって政権転覆を企てる可能性があるからだ.リーダーの権力がエリート層をはるかに上回れば個人独裁となる.個人独裁による権威主義体制では,権力は特定のリーダーの掌中にあり,ほとんどの重要な決定はリーダーが行う.そして,個人独裁におけるエリート層はリーダーの家族か忠誠者によって占められる.しかし,個人独裁のリーダーの69%は,罷免後に国外追放,収監あるいは殺害されるのだ.このような不幸な運命に直面する確率は他のタイプの独裁政権に比べて著しく高い.エリカ・フランツは個人独裁の政策や行動の傾向は他の権威主義体制との差異が大きいことを指摘した.国内の抑制がないために他国との紛争を始めやすい,気まぐれで政策を変更できるので国内政策が不安定,統治上の危機に際しても大惨事になるまで体制崩壊しづらいことなどだ.これらはいずれも個人独裁下におけるチェック・アンド・バランスの欠如に由来するもので,リーダーに正確な情報を伝えないご機嫌取りが取り巻きを固めた体制だからだと指摘した.

文献
1. ミルトン・フリードマン,資本主義と自由,日経BP (2008).
2. フリードリヒ・ハイエク,隷従への道,日経BP (2016).
3. エリカ・フランツ,権威主義,白水社 (2021).
4. フランシス・フクヤマ,歴史の終わり,三笠書房 (1992).
5. ダロン・アセモグル,ジェイムズ・A.ロビンソン,自由の命運,早川書房 (2020).

(岡田 明)

コメントを残す