「その時私は」物語: わたしの会社生活一年目 その1

日本鋼管のロゴ

 何事も一年目というものは,記憶の中でかなりの比重をしめているもので,目新しいものが盛りだくさんなことがその理由かもしれません。わたしの会社生活1年目もそんな出来事満載で,その1年目を書いてみようと思います。

【新入社員研修】
 入社してすぐ日本鋼管の鶴見の研修所で4月,約1ヶ月間の全体研修を行い,それが終わった後,博多まで開通したての新幹線で赴任地の広島県の福山へ向かいました。東京駅まで家族が見送りに来てくれましたが,座席のまわりを整理しているうちに,新幹線が発車して気が付いたときは東京駅をホームを離れた後でした。この話題は今でもよくYoutubeで海外からの来訪者の新幹線にまつわる話題の一つになっています。この静かな発車の原理はブレーキをかけながら動力かけるためとか。

【赴任先】
 赴任した先は,日本鋼管福山製鉄所に隣接する福山研究所です。製鉄所のワークスラボとしての役割をもつ研究所で,大学の専攻の無機材料の範疇にはいる耐火物が私が研究所で扱う対象です。福山製鉄所は,入社する10年前と少し前に操業を開始した一貫製鉄所です。3km四方の工場の敷地に,高炉 (溶鉱炉) が5本立っています。当時は世界最大で,従業員も3万人数千人いました。

【独身寮】
 このような従業員を住まわすための社宅と独身寮が整備されています。技術系は第1寮という製鉄所の北の丘を越えたところにある独身寮に入ることとなりました。独身寮は二人部屋で,大抵は新入社員同士が一緒の部屋になりますが,なぜか私は数年前の古参の先輩と同室となりました。挨拶代わりでしょうか,第一声が「まずは寝間着に着替えろ」と同室のその人は私に言います。何のことかポカンとしていると,「ベットの上の掃除が必要だろう」とのこと。この人にとって,寝間着は掃除をするときの作業着なのかとそのことに気が付きました。先輩のベットを見ると,どう見ても数か月シーツを変えていないような感じです。びっくりすると同時にえらい人と同室になったものだと心の中で思いました。
 このことが,ここを早くでようというモチベーションの一つになったと思います。1年後に独身寮を出るときに,近くの居酒屋で同期と飲んでいるときに,近くに座っていた人に「君はえらい。過去に彼と同室になった人はみな人事に訴えて,出て行った。君は彼と同室で過ごした時間で一番長い。」と褒められました。「暑がりで寒がりのわがまま」と自分で言っていた本人が辛抱強いと他のひとから言われたのは初めてからもしれません。

続く

「その時私は」物語: 私の入社試験

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高橋達人 tatsudoc@nifty.com