80歳にして自分の宗教探し?(#5/8:高野山①)

いよいよ高野山へ

宿坊に泊まってみたくて、楽天トラベルで一人2万円以内で探したところ、口コミの星4つで門構えが立派で感じの良い遍照光院に空きがあったので予約した。

カーナビのお陰で、高野山に着いて直ぐに遍照光院に辿着いた。別格本山であり、白河上皇の御座所ともなったという格式高い宿坊であった。

15:奥の院の参道

 高野山は、9世紀(平安時代)初頭に空海(弘法大師)によって開かれた大乗仏教の宗派である真言密教の聖地。仏教は、今から2500年ほど前にインドで釈尊仏陀(ガウタマ・シッダールタ)が悟りを開かれたことを出発点とした「釈尊仏陀の教え」。仏陀(Buddha)は「目覚めた人」という意味であり、心の豊かさについて、どうやって心の悩みや苦しみをなくすか、どうやって完全な人格を作るかという方法を教示した。「仏教は人間学だ」と表現されることもあり、当時の仏教は無神教といったほうがよく、神の崇拝や釈尊仏陀自身を仏として崇拝することを許さず、この世界やさまざまな事象の深い意味、すなわち隠された秘密の意味を明らかにし、仏(本尊)と行者の区別が消えて一体となる境地に安住する瞑想を密教として展開した。空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ中国密教(唐密)を基盤としていると聞く。

 明るい内に奥の院に行き、信長、光秀、秀吉、等々の墓を見て歩き荘厳な雰囲気を楽しんだ。

 何故、戦国武将たちの墓が高野山に集っているかを調べたところ、お釈迦様が入滅後56億7千万年後に弥勒菩薩が現れた時に三度にわたって説法をするが、その一カ所が高野山だと言われている。つまり戦国武将たちは56億7千万年後のこの日のために、弘法大師御廟前の参道で席取りに励まれているとの事。あれほど激しく戦を繰り広げた武将たちの墓所が、死後仲良く高野山奥之院に並んでいるというのは、どこかほっこりしたものを感じた。

図16:遍照光院の精進料理

 奥の院から戻ると、楽しみは精進料理。どんな珍しいものが出てくるのかと期待したが、残念ながら、遍照光院で作ったものでは無く、仕出屋が運び込むところを見てしまった。宿を共にしたのは八組(外国人三組)で静かに食事をした。般若湯を頼んだのは私だけであった。

次回は6月11日 高野山②  毎週火曜日9時に公開 (無機材会 安田榮一)

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