初めての川越観光

江戸時代の古い町並みが残っている観光地の中で,川越は東京からのアクセスがよい.池袋駅から川越駅までは30分あまりで到着する.川越駅から続く商店街(クレアモール)を抜け,その先の大正浪漫通りを抜けた先に現れる江戸情緒の残る小江戸川越の蔵造りの町並み(川越一番街)は,仲町から札の辻にかけての数100メートルの商店街だ.

重要文化財の大沢住宅は近江屋半右衛門が1792年に店舗として建てたものだが,防火を目的とする土蔵造りのために類焼を免れた.脇道を少し入ったところにある時の鐘は酒井忠勝が川越城主だった頃(1627~1634)に建てられたものだが,高さ16メートルの現在の鐘は1893年の川越大火で焼失したものを翌年に再建したものだ.脇道の菓子屋横丁には伝統的な駄菓子屋が軒を連ねている.そして大正浪漫夢通りは大正時代を再現した遊歩道である.

大沢住宅
時の鐘
菓子屋横丁

川越には蔵造りの町並み以外にも,川越城・神社(川越八幡宮,仙波東照宮,三芳野神社など)・寺院(中院や喜多院など)といった観光名所がある.川越城は扇谷上杉家の当主・上杉持朝の家臣である太田道真・道灌父子が1457年に築城したものだが,現存する建物は1848年に建てられた本丸御殿のみである.本丸御殿は公的な儀礼や政務が執り行われるだけでなく,城主や側室たちの私生活が営まれる場だ.なお,川越城は敵対する古河公方・足利成氏との攻防に備えて築城された.

川越城本丸御殿(入口)
川越城本丸御殿(側面)
川越城本丸御殿(庭園1)
川越城本丸御殿(庭園2)
川越城本丸御殿(庭園3)
川越城本丸御殿(庭園4)
川越城中ノ門堀跡入り口
川越城中ノ門堀跡
川越城大手門跡の石碑と太田道灌の像

川越城中ノ門堀は,1639年に川越城主となった松平信綱が行った城の大改修の際に造られたと考えられている.敵が西大手門から本丸方向に攻め込んだときに直進を阻む3本の濠である.川越城中ノ門堀跡は整備されて,当時の濠の一部を垣間見ることができる.市役所の敷地内に設置されている川越城西大手門跡の石碑のそばには太田道灌公像が建っている.

川越本丸御殿に隣接する三芳野神社は大同年間(806~810)の創建で,川越城主・酒井忠勝が1624年に再興に着手した.慈覚大師円仁が830年に建立した中院は1733年に本堂が再建され,釈迦堂は1986年に建立,薬師堂は2012年に復興された.平忠常の乱が勃発した1028年に,朝廷は平忠常追討に源頼信を派遣した.河内源氏の祖となる源頼信がそのとき必勝祈願を行った場所に創祀したのが1030年に勧請された川越八幡宮だ.

三芳野神社
中院
川越八幡宮
喜多院の鐘楼門
喜多院の慈眼堂
喜多院の慈恵堂

家康の没後一周忌を経た1617年に,遺言により遺骸は久能山から日光に移葬され,その途中の喜多院に4日間逗留して供養が行われた.仙波東照宮はその地に天海僧正が1633年に創建したものだ.境内入り口には隋身門があり,その奥には1633年建造とされる鐘楼門と1645年に建てられた慈眼堂がある.1638年の川越の大火で喜多院の堂宇が焼失した際,喜多院の慈恵堂はいち早く再建され,現在は本堂として使用されている.大火の後,江戸城の建物(客殿,書院,庫裏)が喜多院に移築されたのは徳川家光の命による.

川越観光では川越一番街の蔵造りの町並みの人気が高いが,川越城の本丸御殿や川越八幡宮,喜多院,仙波東照宮なども見逃せない.いずれも度重なる大火を乗り越えて焼失を免れたものだ.

文献
1.蔵造りゾーン:https://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kankospot/kurazukurizone/index.html
2.川越城本丸御殿:https://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/kankospot/hommarugotenzone/hommarugoten.html
3.中院:https://www.nakain.com/
4.川越八幡宮:https://www.kawagoe-hachimangu.net/
5.川越大師喜多院:https://kitain.net/

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