寄稿・投稿
岡田会長コレクション(その4:茶碗ほか)
4回目は、茶碗、ジョッキ等、飲み物の器を集めました。 〔作者コメント〕益子特産の赤粉が主原料で、単味で柿釉、糠白釉と混ぜると黒釉になります。この茶碗は登り窯の灰の降りかかる特別な焼き場所で焼いたもので、表と裏 […]
岡田会長コレクション(その3:丸皿/小~中)
「丸皿 / 中~大」に引き続き、「小~中」サイズの丸皿のご紹介です。 〔作者コメント〕糠白釉の無地の皿で、文様がない分、難しいものです。 〔作者コメント〕どれも同じ手法の糠白釉鉄絵の皿ですが、下地の濃さ、釉薬 […]
岡田会長コレクション(その2:丸皿/中~大)
「角皿」に引き続き、「丸皿」をご紹介します。作品数が多いので、「中~大」と「小~中」の2回に分けて掲載させて頂きます。 〔作者コメント〕中期の作品で、登り窯で焼かれた糠白釉鉄絵の中でも大変良い焼き上がりの皿です。 […]
岡田会長コレクション(その1:角皿)
「益子だより」のコーナーを設けるにあたり、当会の現会長である岡田清さん(197106)から、ご自身が所蔵する村田さんの作品の写真をご提供頂きました。作品の数が多いので、5回に分けて紹介させて頂きます。 今回は、その1回目 […]
令和4年(2022年)の 卒50年記念品です。
今年は昨年同様にオンラインでの総会開催となりましたので、贈呈の対象となる会員の方には 総会に先行してご自宅へ記念品をお送りし、総会ではオンライン上で贈呈式のみが執り行われました。 #################### […]
溝口さんぽ(No.6)
先月の中旬辺りから夏を思わせるような日が続きましたが、6月に入るや否や関東地方は西日本各地に先駆けて梅雨入りとなりました。今年は花の咲くのが随分と早く、5月下旬にはアジサイが咲き始めていましたので、もう真っ盛りの状況で […]
横浜のバラ園と港を散策する(後編)
大さん橋の近くには1854年に日米和親条約が締結された開港広場公園と1981年に開館した横浜開港資料館がある.開港広場公園にある日米和親条約締結の地の石碑とプレートは横浜市観光協会によるもので,柱は横浜市教育委員会が建て […]
横浜のバラ園と港を散策する(前編)
元町・中華街駅の改札を出てエレベータで屋上まで上がれば,そこは2012年開園のアメリカ山公園だ.公園にはバラが咲き乱れ,元町貝塚があったことを示す解説板も設置されている.その公園を通り抜け,外人墓地の脇の道を昇ると横浜地 […]
溝口さんぽ(No.5)ー周辺の地名についてー
溝口は二子玉川駅から多摩川を渡り、二子新地駅、高津駅と駅間の短い区間を経て、3つ目の駅、溝の口駅が中心になります。蛇足ではありますが、溝口の地名表現には、溝口、溝の口と溝ノ口の3つの表し方が混在しており、ちょっとややこ […]
襲撃現場の確認を兼ねて散歩する
大日本帝国陸軍内には統制派と皇道派の2つの派閥があった.前者は陸軍大臣を通じて政治上の要望を実現するという合法的な形で列強に対抗し得る「高度国防国家」の建設を目指す陸軍大学校出身者を主体とするもので,後者は天皇親政の下で […]
溝口さんぽ(No.4)
四月も中旬になり、桜はすっかり葉桜ないしは花が落ち新しい葉が成長して新緑状態になりました。いつも散歩するコースには桜の代わりにさまざまな草木に色とりどりの花が咲き始めました。博士課程を修了して目黒の下宿を引き払い、しば […]
暗殺現場の確認を兼ねて散歩する
犬養毅は1932年に9名の海軍将校らの一団に銃で撃たれて殺害された.殺害現場となった内閣総理大臣旧官邸は1929年の竣工で1936年までに6代の歴代総理(田中義一,濱口雄幸,若槻禮次郎,犬養毅,齋藤實,岡田啓介)が入居し […]
東京駅の遭難現場をめぐる
東京駅には2枚の遭難現場のプレートが設置されている.凶器が短刀と拳銃の違いはあるが,いずれも単独犯で現職の総理大臣が被害者だ. 立憲政友会総裁の原敬が1918年に内閣総理大臣に任命された.大正デモクラシーの最中での平民宰 […]
維新の三傑の目指したもの
大久保利通は西郷隆盛,木戸孝允(桂小五郎)とともに明治維新の三傑と称される.木戸孝允は1877年5月26日に大腸がんの肝臓転移によって京都で病死(45歳没),西郷隆盛は西南戦争で1877年9月24日に自害(49歳没),そ […]
外桜田門から豪徳寺へ
井伊家は中世の遠江国井伊谷を約500年間にわたって支配したが,戦国時代に一族の多くを失って衰退した.通説では,このとき井伊直盛の娘の次郎法師が家督を継いだとされる.井伊直政の養母の井伊直虎である.井伊家を復興させたのは井 […]
ろうそくの科学と照明技術
1791年に貧困家庭に生まれたマイケル・ファラデー(Michael Faraday)は製本業の年季奉公を経て,ハンフリー・デービー(Humphry Davy)に雇われ,1813年に王立研究所(Royal Institut […]
傳馬町の吉田松陰と松陰神社
1613年頃に江戸時代の牢屋敷は常盤橋門外(今の日本銀行の辺り)から傳馬町に移転した.そして1875年に市ケ谷の監獄に囚人を移して傳馬町の牢屋敷は取り壊された.傳馬町の牢舍は揚座敷(旗本),揚屋(士分・僧侶),大牢(平民 […]
タカタはなぜ破綻したのか
自動車の衝突安全についてまず行われたことは,衝突事故が起こって自動車が急減速したときの衝撃を和らげるために,車両の前部と後部にエネルギー吸収構造(クラッシャブルゾーン)を設けることだった[1].軽微な事故でも自動車のフロ […]
発祥の地とその近隣を訪ねて
都営浅草線の蔵前駅を下車し,国道6号沿いに南下して須賀橋交番前を左折すれば,榊神社の境内が目の前だ.そこが蔵前の跡地だ.1924年4月に開校した大岡山キャンパスは蔵前キャンパスから1924年1月8日に移転したのが始まりだ […]
タイヤの脱落事故とセラミックスの国際規格
大型車のタイヤが走行中に外れる事故がここ10年で12倍に急増したとのニュースがあった.冬用タイヤに交換した際の不備が主な原因とされ,急増の背景には2010年のネジ規格の変更があるとも指摘されている.海外に輸出しやすくする […]
武蔵府中熊野神社古墳と多磨霊園などに立ち寄る
近隣の遺跡を探訪しても,多くは石碑や解説板が設置されているだけで建造時の姿を留めているものは少ない.遺跡の多くはかつての建築物の土台が発掘調査で掘り出された遺構で,調査終了とともに埋め戻されるか破壊されるかのいずれかだ. […]
熱機関の進化とセラミックエンジン
セラミックエンジンが注目され始めたのは1970年代からだ.ガスタービンエンジンの熱効率を高めるために耐熱性に優れたセラミックスを応用しようとするものであった.これは蒸気機関の開発以来,継続してきた熱機関の性能向上に係わる […]
溝口さんぽ(No.3)
つい先日3月になったと思ったら、今日はもう3月12日。早いもので、あの東日本大震災から11年も経ったのですね。当日は北千住の帝京科学大学で開かれていた浅賀先生の退職記念講演会に出席していました。自宅にはその日のうちには戻 […]
荏原台古墳群の遺跡と遺物
倭国大乱が終息して邪馬台国の卑弥呼を倭国王とする新体制に移行すると,墳墓の革新が起こった.円形部と矩形部を繋ぎ合わせたような形状の前方後円墳の築造だ.この古墳は石室を盛土で覆って墳丘として,その墳丘を葺石で覆い,後円部の […]
歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡を探訪する
弥生時代の遺跡としては,弥生式土器が初めて発見された東京大学構内の弥生二丁目遺跡,外壕と内壕の二重の環濠が弥生時代後期に構築された吉野ヶ里遺跡,弥生時代後期の登呂遺跡などがよく知られている.弥生時代の遺跡からは主に住居跡 […]
電気自動車と永久磁石と超伝導
ガストン・プランテ(Gaston Planté)による鉛蓄電池の発明は1859年だったが,充電式電池を搭載した電気自動車の実用化が進んだのは1880年代になってからだった.ニューヨークでトーマス・エジソン(Thomas […]
合気道エッセイ その1: ⑭ おわりに
合気道エッセイ その1 合気道になじみが薄い人にと書いてきた一連の合気道エッセイを「合気道の合気のお話」と題して目次をつくりました。 「合気道は他人の力を使う」などという話を聞いたことがあるかもしれません。自分の力を […]