横穴墓を覗き込む

5世紀中頃から登場する横穴墓は崖の岩盤に横穴を掘り込んで墓室をつくる.これが各地に伝播したのは6世紀中ごろ以降だ[1].横穴墓群については,劣化を防ぐための保存処理がなされて,築造時の状態を伺えるものが比較的多く残されている.遺跡の発掘によって土砂を取り除いたら石室が発見されたものと,横穴がそのまま残されていたものの2つのケースがあるようだが,保存処理がなされたため入り口を塞ぎ,横穴の補強がなされていても,おおむね原形を留めているのが特徴だ.

近隣にある横穴墓には石室が設けられているもの(等々力渓谷,加瀬台,鵜の木など)と崖の斜面をくり抜いただけのもの(市ケ尾,荏子田など)に大別できそうだ.

等々力渓谷公園内の等々力渓谷3号横穴には横穴墓が見られる[2].入り口はガラス板で塞がれているが,そのガラス窓を通して内部を覗くことができる. 人感センサーに連動した照明で内部の石組が見ることができるのだ.

等々力渓谷3号横穴
加瀬台3号墳の外観
加瀬台3号墳(内部)
鵜の木1丁目横穴墓6号

新川崎駅と日吉駅の間には加瀬台古墳群がある[3].現在は夢見ヶ崎動物公園となっているところだ.このうち加瀬台3号墳は石室の入り口を見ることができる.ただし,照明もなく暗いので照明器具を持参しなければ肉眼では内部の様子を見ることは難しい.隙間から内部を写真撮影すればフラッシュの光で内部の石組を観察することができるが,フラッシュのパワーが低いと暗くてよく映らないので,上記の写真のように撮った写真の明るさを補正する必要がある.2011年に設置された日吉郷土史会の解説板によれば発掘調査が行われたのは1950年だが,1985年に設置された川崎市教育委員会の解説板では1953年となっている.現在は開口部をシートで補強し,内部には補強の鉄骨が設置されている.

鵜の木1丁目横穴墓群は鵜の木駅から徒歩数分の鵜の木松山公園内にある[4].7世紀後半から8世紀前半に構築されたもので,1986年の調査で2基が,2005年から2007年の間の公園整備で4基が発掘調査された.なかでも6号墓は切石羨門構造をもつ貴重な横穴墓であることから,発掘当時の姿で保存されている.3体の被葬者が追葬されていることから有力者の家族墓で,奈良時代前後に造られたと考えられている.

市ケ尾横穴古墳群は市が尾駅から歩いて数分の市ケ尾遺跡公園のなかにある[5].6世紀後半から7世紀後半にかけての古墳時代末期に造られた有力な農民の墓と考えられている.北側に12基,南側に7基の全部で19基の横穴だ.横穴墓の崩壊を防ぐ保存処理が行われ,入り口をガラス板やコンクリートで塞いだものや,立ち入り禁止の看板が入り口に置かれたものもあるが,墓の内部までよく見えるものも残されている.

市ケ尾横穴古墳
市ケ尾横穴古墳
市ケ尾横穴古墳(A8号)
荏子田横穴

荏子田横穴はたまプラーザ駅とあざみ野駅のいずれからも徒歩20分以上かかる荏子田朝日公園にある[6].大きな横穴は1号墓だ.7世紀前半代に造られたこの地域の有力者の墓と考えられている.その上に目立たないが,小さな横穴がある.7世紀後半代のものと推定されている.いずれも立ち入りできないように柵で保護されているが,保存処理の形跡は見られず自然の姿だ.

ここに掲載した写真は最新のもので,情報の多くは現場の解説板から引用したものだが,それ以外にも既に多くの書籍やインターネットサイトに詳しい説明がある.下記の文献はその一部だ.

文献
1) 大塚初重,東京の古墳を歩く,(2010).
2) 等々力渓谷横穴墓群 https://kofunmeguri.hatenablog.com/entry/2017/04/06/010000
3) 加瀬台古墳群 https://kofunmeguri.hatenablog.com/entry/2017/04/14/010000
4) 鵜の木一丁目横穴墓 https://massneko.hatenablog.com/entry/2016/10/14/000000
5) 市ケ尾遺跡公園 https://asobii.net/66379
6) 珍しい家形の荏子田横穴古墳 http://aoba.ws/ekoda.html

(岡田 明)

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