タイヤの脱落事故とセラミックスの国際規格
大型車のタイヤが走行中に外れる事故がここ10年で12倍に急増したとのニュースがあった.冬用タイヤに交換した際の不備が主な原因とされ,急増の背景には2010年のネジ規格の変更があるとも指摘されている.海外に輸出しやすくする目的などで,タイヤの取り付け方式が国内規格(JIS)から国際規格(ISO)に変わったのだ[1].
重量8トン以上のトラックか乗車定員30人以上のバスのタイヤが脱落する事故は2020年度に131件発生し,2011年度の11件から増加傾向が続いている.2020年度の脱輪事故の95%は左後輪で起きている.以前の国内規格では右側のタイヤを留めるナットは右ネジ,左側は左ネジだったのが,国際規格では左側も右ネジに変更された.この結果,左側ではタイヤの回転とネジが緩む向きが同じになり,締め付けが甘いと緩みやすくなった可能性があるという.
時計回りに回転する扇風機の羽根を固定するキャップは反時計回りの左ネジなのは,回転によってネジの締め付けが緩まないようにするためだ.回転している扇風機の羽根が運転中に外れれば,死亡事故にはならなくても,事故の起こる危険性があるからだ.しかし,走行中に大型車のタイヤが外れたときの事故は扇風機より深刻だ.
疑問は国際規格の制定のときに,日本の国内規格を国際規格としなかったのはなぜかということだ.日本に国内規格があるのだから,それを国際規格にしておけば何の問題もなかったのだ.要は国際規格制定の際の日本のかかわり方に問題がなかったのかといった点だ.
古い話になるが,規格制定に係わったことがある.1980年代に始まるファインセラミックスの規格制定だ.まずは日本工業規格(JIS),その次は国際規格(ISO)の制定だ.当時は電子部品用の機能性セラミックスの研究開発が一段落した状況で,次の時代を担うと期待された構造用セラミックスへの関心が高まっていた.
機能性セラミックスとしては絶縁体のアルミナ,コンデンサ用のチタン酸バリウム,フェライト磁石(磁気ヘッド,磁気テープ,永久磁石用でそれぞれ異なるが,いずれも鉄を含んだ酸化物),圧電体のPZT,さまざまなタイプのサーミスタなどニューセラミックスの類だ.当時は企業間での開発競争の勝負がほぼ決した状況で,勝者が市場を寡占する状況が生まれていたが,日本の製造業者の競争力は極めて高い水準にあった.
構造用セラミックスとしてはセラミックガスタービンで注目を集めた窒化ケイ素や炭化ケイ素などの非酸化物系セラミックスに加えて,高強度ジルコニア(正方晶ジルコニア)とアルミナが中心であった.ジルコニアは既に酸素センサとしてイットリアやカルシアを添加した立方晶の安定化ジルコニアが利用されていたが,添加量を少なくすると強度(曲げ強さ)が増すことが分かって,注目を集めたのだ.
機能性セラミックスの多くは電気的な機能を発揮することが期待される部品として利用されるものだから寸法が小さく単価も安くなり,市場をほぼ独占しなければ収益を上げることが困難なため当該分野に新規参入する会社は多くはなかった.しかし,構造用となれば,寸法の大きい部材も多いので大きな売り上げが期待され,あらゆる産業分野から研究開発への参入があった.
焼結性に優れた微細な粉末製造や独自の焼結助剤の研究に基づいた焼結体の開発などにビジネスチャンスがあると考えられていた.原料粉末や焼結助剤の配合によって窒化ケイ素の焼結体の特性は大きく変化するからだ.他方,炭化ケイ素については,GE社の研究で優れた焼結助剤が発見されていたから技術的完成度は高かったが,破壊靭性が低いので曲げ強さの比較では窒化ケイ素に軍配が上がった.しかし,タービンロータのような複雑形状の焼結体を製造する技術開発は容易ではなく,新規参入者の多くは試験片の試作レベルに留まっていたのが現状だった.
セラミックスの専門家より門外漢の参入者の方が多いので,セラミックス関係の用語の使用にもかなりの混乱があった.例えば,焼成と焼結,煆焼と素焼きの区別はなきに等しい状況だった.しかし,セラミックス屋も破壊力学を取り込まねばならないので,破壊靭性KICを正しく読めた研究者も少なかったし,意味を理解していた研究者は更に少なかったようだ.
このような時代が少し落ち着きを取り戻した頃にファインセラミックスの標準規格の制定が始まった.用語や測定法の規格制定から始まり,本来ならばその後に製品規格の制定に移行するのだが,製品規格の段階まで進んだのはセラミック軸受けなどに限られた.
カタログに掲載するセラミックスの材料特性の評価法の規格がなければ,材料選定の判断基準が損なわれるから商取引に不都合が生ずる.例えば,曲げ強さは表面仕上げを丁寧に行って,試験片のサイズが小さいほど高い値となるからだ.破壊靭性となれば,鉄鋼のように切り欠きの先端に繰り返し荷重を与えて疲労亀裂を導入することは不可能だし,ダブルトーション(Double Torsion)法やダブルカンチレバービーム(Double Cantilever Beam)法などによるセラミックスの試験方法が研究論文に掲載されていても,それを再現することは至難の業であった
サプライヤーとユーザーの間でコミュニケーションが取れるように用語を統一し,カタログデータが商取引の基準として役立つように測定法の規格を統一することが標準規格の制定の第一歩であるとの認識には異論はないが,制定する規格の項目が増えてくれば未知の領域に遭遇することになる.
評価法の標準規格の制定はファインセラミックス協会が窓口となって,会員企業がラウンドロビンテストを行い,その結果の解析をもとにグループの主査が規格案を作成し,委員会で審査して制定に至るといった手順だ.主査となるのは大学教授などの学識経験者だ.最初に手掛けた曲げ強さは,構造用セラミックスの研究を始めるにあたって誰もが取り組むテストなので異存はない.米軍の団体規格であるMIL規格に準拠するなど既存の規格はあったが,まちまちなので試験片サイズなどを統一する基準を作成することには意味があった.
しかし,規格制定の数を増していけば,未知の領域に入り込むことになる.弾性率は曲げ試験のときにひずみゲージを貼って,応力とひずみとの関係から求める方法は手軽であったが,超音波による音速測定や共振法による共鳴振動数から求めるとなれば,参加企業にとっては初めての経験となった.当時の旭硝子の研究所では共振法による弾性率測定法を確立していたので,ラウンドロビンでの実施となったが,全く経験のない会社にとっては青天の霹靂であった.日産自動車は旭硝子のご指導で実験装置を組み上げて,測定を行うこととなったのだ.
混迷を極めていた破壊靭性の測定法は意外な形で決着した.ヴィッカース圧子を圧入したとき四隅に発生する亀裂の長さを顕微鏡で観察して,その長さを破壊靭性に換算するインデンテーション法は手軽であったが,顕微鏡観察の仕方やどの換算式を使うかによって測定される数値は大幅に異なる.鋭い切り欠きを導入した試験片を用いる方法では,切り欠きの先端が鋭利でないと高い破壊靭性が測定される.要は,測定が下手な時に,高い破壊靭性の値が得られる傾向があるのだ.
この混乱に終止符を打ったのは.当時の新日本製鐵に所属していた野瀬哲郎氏が編み出したSEPB(Single Edge Pre-cracked Beam)法による破壊靭性の測定だ.曲げ試験片に予亀裂を導入するには特殊な治具が必要だが,それを使えば再現性のある値が得られるのだ.当時はまったくの無名であった野瀬哲郎氏が上司に引き連れられて,ファインセラミックス協会の会議室に現れたときには奇妙な方法の提案としか見なされなかったが,それが世界の標準になったのだ.
窒化ケイ素や炭化ケイ素などの非酸化物系セラミックスは高い温度になっても塑性変形が起こりにくい.1000℃でも脆性破壊が起こるのだ.しかし,1200℃,1300℃となれば塑性変形やクリープも起こるようになり,表面に酸化物の形成も目立ち始める.この挙動は焼結助剤などの添加物の影響を強く受けるので,評価試験の重要性がある.また,ガスタービンへの応用では溶融塩腐食の問題も注目を浴びていた.
酸化試験は試験片を電気炉に放り込み,しばらくしてそれを取り出して酸化の様子を評価すればよいのだが,腐食試験はかなり面倒な試験となる.溶融塩や溶融金属に対する試験自体の経験者はほぼ皆無で安全性の観点からも社内で許可されるかどうかも分からない.そこで酸・アルカリによる腐食試験を行ってそれを規格にすることにした.主査の先生の独断的指示だが,ラウンドロビン参加者として指名された企業にとっても異存はない.
セラミックスは酸やアルカリではほとんど腐食することはないから,このような試みについての研究報告はほぼ皆無であった.そのため,ラウンドロビンの結果は論文としてまとめられたが,奇妙なことにこの論文を発表してから,似たようなセラミックスの腐食試験の研究論文が出現し始めたのだった.
ファインセラミックスの国内規格が制定されてしばらくたった時に,それを国際規格ISOの制定に移そうとする話がでてきた.順番にJIS規格をISOの委員会に持ち込んで,国際規格を制定するのだ.日本が主導するISO/TC 206(ファインセラミックス)が,その委員会だ.その時,酸化試験はJIS R 1609 (非酸化物系ファインセラミックスの耐酸化性試験方法),腐食試験はJIS R 1614(ファインセラミックスの酸及びアルカリ腐食試験方法)として規格が既に制定されていた[2, 3].
JISの制定からかなりの時間が経過してしまったことは,後から考えると大きな問題だった.酸化試験法については主査の高津学教授が名古屋工業大学を退官してしまい,他のラウンドロビンメンバーも定年退職してしまい,結局,ISO/TC 206の酸化試験のワーキンググループWG 24(Oxidation resistances of non-oxide ceramics)の議長(Convenor)に指名されてしまったのだ.
役目は各国代表メンバーから構成されるワーキンググループを取りまとめ,規格案を提案することであった.しかし,会議に各国の代表メンバーが出席することもないから,日本の規格案を英訳して,それをメールでワーキンググループのメンバーに送付して,意見をもらってまとめ上げるという作業になった.そして,意見はほぼ皆無といった状態で規格制定まで進んでしまったのだ.唯一の意見と言えば,イギリス国立物理学研究所(National Physical Laboratory)のRoger Morrell氏によるものだ.つたない英文を添削してISOの国際規格として通用するレベルまで仕上げたのだった.
ISO/TC 206の腐食試験のワーキンググループWG 29(Corrosion resistance in acid and alkaline solutions)の議長(Convenor)に指名されたのも似た経緯だった.しかし,当時の腐食試験のJIS制定時の主査であった吉村昌弘教授は健在であり,日本特殊陶業を代表してラウンドロビンに参加した飯尾聡氏が議長を務めることにも何の問題もなかったのだが,酸化試験でISOに関わった実績があったのが災いした.いずれにしても,規格制定に積極的に関わろうとする機運はまったく乏しかったので,議長就任を拒否する強引さに欠けたことが就任を受諾するに至った要因のようだ.
このような経緯があって,いくつかのJIS規格の制定に関わり,2件のISO規格[4, 5]には主導的な立場で参画した経験があるが,規格制定を巡って喧々諤々の熱い議論を戦わしたことはまったくなかった.測定法の規格なので国益に直接結びつくものではなさそうなのと対案がなかったからであろう.
タイヤの取り付け方式の国際規格がどのようにして制定されたか聞いてないが,既に国内規格が存在していたのだから,それを主張すれば日本の規格を国際規格とするのに何の問題もなさそうに思う.実際,フェイルセイフ(Fail Safe)の観点からは安全性に優れた方法であることは間違いない.確かにすべてを右ネジに変更すれば,生産性は若干向上するだろうが,安全性が犠牲となるから,コスト低減と安全性を天秤に掛ける議論を行えば,結果は明らかだ.その意味でも,規格制定の経緯は不明だが,タイヤの取り付け方式の国際規格の制定に係わる日本の取り組み方については「喝」を贈呈したい.
文献
1. 日本自動車工業会,新・ISO方式ホイール取扱いガイド(2010年2月)
https://www.jama.or.jp/user/pdf/iso_wheel_100203.pdf
2. JIS R 1609 非酸化物系ファインセラミックスの 耐酸化性試験方法(Testing methods for oxidation resistance of non-oxide fine ceramics)
3. JIS R 1614 ファインセラミックスの 酸及びアルカリ腐食試験方法(Testing method for corrosion of fine ceramics in acid and alkaline solutions)
4. ISO 20509 Fine ceramics (advanced ceramics, advanced technical ceramics) - Determination of oxidation resistance of non-oxide monolithic ceramics
5. ISO 17092 Fine ceramics (advanced ceramics, advanced technical ceramics) — Determination of corrosion resistance of monolithic ceramics in acid and alkaline solutions
(岡田 明)