タカタはなぜ破綻したのか
自動車の衝突安全についてまず行われたことは,衝突事故が起こって自動車が急減速したときの衝撃を和らげるために,車両の前部と後部にエネルギー吸収構造(クラッシャブルゾーン)を設けることだった[1].軽微な事故でも自動車のフロント部分はグシャグシャに変形して乗員への衝撃は和らげられる.しかし,自動車は急減速するから乗員は慣性の法則によって前方に投げ出される.これを支えるのがシートベルトだ.衝突時に乗員がフロントガラスに叩きつけられるのを抑止するのが目的だ.
車体が大破するような事故ならば衝撃が大きく,シートベルトを着用していても運転者はハンドルに顔面を叩きつけられる.これを抑止するのがエアバッグだ.衝突時に一瞬だけ膨らんで,運転者の顔面を支える.助手席や側面にもエアバッグが装着されるようになったのは,側面や後方からの衝突に対しても安全を確保するためだ.
タカタ株式会社は1960年に日本初の2点式シートベルトを,1987年にエアバッグの製造・販売を開始した[2].2011年時点のエアバッグの世界シェアは1位のオートリブ(スウェーデン)が約35%で,2位と3位は米国のTRW(2014年にドイツのZFに買収)と日本のタカタがそれぞれ約20%となっている[3].残りの25%は日本のダイセルや米国のキー・セーフティ・システムズなどだ.タカタは世界3位の大手だったのだ.
そのタカタが2017年6月に民事再生法の適用を申請して破綻したのだ.エアバッグ用のインフレータに欠陥があり,そのリコール費用が嵩んでの経営破綻であった.タカタが東京地裁に提出した確定債権の総額は1兆823億8427万6418円だった[4].これで創業家一族が6割近くを保有しているタカタ株式は紙くずになったのだ.
エアバッグはガス発生剤(インフレータ)によって膨らむ.衝突事故の大きな衝撃でエアバッグ作動の電気信号を受けると即座に反応して,点火装置が働いて点火剤を爆発させ,それによって窒素ガス発生剤から窒素ガスが発生して織物のバッグ(内側をゴムでコーティングしたナイロン製織物が一般的)は急速に膨張する.日本ではダイセルや日本化薬のような化学品の専門メーカーがインフレータを製造し,豊田合成や日本ブラストに供給している.タカタはインフレータを自社で内製しているエアバッグメーカーであった[3].
ガス発生剤は、1999年までアジ化ナトリウムが主成分だったが,人体への毒性の問題があって禁止となった[4].代替品としては,人体への害がない硝酸グアニジンが注目され,2000年以降,世界のエアバッグメーカーは硝酸グアニジンをベースとしたガス発生剤への切り替えを行なったが,タカタは安価な硝酸アンモニウムをベースとするガス発生剤を採用したのだ.硝酸アンモニウムは窒素肥料として重要だが,爆薬の原料にも用いられている.6%の燃料油(軽油など)と混合したアンホ爆薬(ANFO: Ammonium Nitrate Fuel Oil)は産業用爆薬としてトンネル工事などに多用されているから,その性質は詳しく知られている.
火薬を扱うある欧州の軍需産業の見解は,硝酸アンモニウムの場合は相転移によって膨張することと吸湿性が強い問題があるからそれを解決しなければ使えないという[4].その転移点は氷点下から100℃以上にまで広く分布(-17℃,32℃,50℃,84℃,125℃)しているから,クルマの室内温度で相転移が起こっても不思議はない.添加物で相転移を防止した相安定化硝酸アンモニウムとしなければ使えないのだ.また,硝酸アンモニウムは吸湿性が強いため,湿気を取り込むとペレットが割れたりする危険性が高くなる.相転移を繰り返して体積変化が起これば,粒子が砕けて微細化する.また,湿気でペレットが砕けても,ガス発生剤の粒子は細かくなる.そうなれば爆発力が強すぎて,インフレータの金属容器が破裂して金属片が飛び散る恐れがあるのだ.
相安定化と防湿性の改善が硝酸アンモニウムをガス発生剤として実用化するときに必須な技術だ.硝酸カリウムなどを添加した相安定化硝酸アンモニウム(PSAN)を用い,防湿化材としてポリマーを添加することがその対策として知られていたようだった[5].
硝酸アンモニウムを使ったエアバッグ用のインフレータに欠陥のあることが明らかになったのは,2004年にホンダ車が北米で交通事故を起こした時だった[5].硝酸アンモニウムを使用していたタカタ製エアバッグのガス発生装置が異常破裂し,金属片が飛散する不具合が発生した走行中での事故は,全世界で2004年以降,約200件発生し,そのうち死者数は少なくとも18名とされている[6].
最初のリコールは米国のホンダによる2008年のものだった.2010年にはホンダ,トヨタ,日産が日本でのリコールを行い,その後にリコールを行う自動車メーカーは拡大した.そして2008年以降2017年7月時点で,米国では累計4,200万台以上,全世界では累計8,100万台以上がリコール対象となった.日本国内では2009年以降,自動車メーカー等24社から延べ134件のリコール(累計1,883万台)が実施された[5].
国交省によると,2010年以前に製造されたものはガス発生剤の劣化を防ぐ乾燥剤が入っておらず異常破裂する危険性が高い[5].また,防湿化材としてのポリマーを含んでいなかった可能性もあるとされた.米国内の消費者らは2015年2月にタカタ,トヨタ,ホンダなど12社を相手取り,フロリダ州の連邦地裁に対して損害賠償を求める集団訴訟を起こした[7].日米欧の自動車メーカー10社で構成されたエアバッグ欠陥を調べていた独立委員会は,2016年2月に要因として,(1) PSAN使用で乾燥剤のない製品,(2) 高温多湿環境での長期間露出,(3) 湿度管理が不十分な組立工程の3点をあげた[5].
2014年11月にタカタは米議会公聴会に呼ばれ,品質管理を担当する取締役ではない東京本社品質本部の清水博シニア・バイス・プレジデントが出席したのも印象が悪かった[7].民事再生法の適用を発表した会見では,タカタ会長兼社長の高田重久は「なぜ異常破裂が起きたのか,非常に不可解」と語った[8].これが硝酸アンモニウムの相安定化などの技術的課題を完璧に解決した自信の現われなのか,技術への無知を示すものかを伺い知ることは困難であるが,技術的な問題に対して,それまでに実施した解決策の詳細を説明する説明責任能力に欠けていたことは間違いなさそうだ.
エアバッグなどを含む自動車に搭載するユニットや部品の採用にあたっては,サプライヤーとユーザーである自動車会社との間での共同研究が行われてから実施されることが一般的だ.仕様を満足する性能の発揮が前提だが,初期性能のバラツキや耐久性の確認が行われることが多い.前者については,多数の試験が必要であり,後者は時間がかかるのでそれを短縮する加速試験が行われることが一般的だ.しかし,過酷な試験条件を設定して短時間で行われた試験が,どれだけの耐久時間に相当するかを見極めることは容易ではない.鋼材の疲労試験や樹脂の耐候性評価のように過去の使用実績データと関連付けて推測することができれば幸運だが,新たな爆薬の耐久性評価についての経験はほぼ皆無だ.
自動車会社の開発担当者は担当課題が次々と変わるから,爆薬の専門家が担当することは考えにくい.自動車会社では鋼板をプレス加工して,そこに他の部材を溶接して車体を製造し,鋳造や鍛造加工によってエンジン部品の一部を内製しているが,自動車製造工程の大部分は組み立て作業である.幅広い分野の研究開発に取り組んでも,爆破実験や爆発的にガスを発生させるガス発生剤に詳しい研究者はほぼ皆無なのだ.
サプライヤーの状況は各社各様だろうが,エアバッグの開発には多様な技術者の関与が必要だ.エアバッグの布素材とデザイン,爆薬の専門家,衝突による衝撃を検知する加速度センサおよびコントロールユニットの回路設計などだ.仕様を満足する性能の発揮が開発部隊の当面の課題となるが,初期性能のバラツキとなれば製造現場の課題になる.
耐久性の問題は責任部署が曖昧になりがちだ.顕在化した問題を解決するのではなく,問題のないことを実証する仕事だから取り組み方が難しい.設定された目標値を達成するための試行錯誤ではなく,その前に問題点を発掘する作業から取り掛からねばならないからだ.耐久性に関わる問題点が発掘されなければ,問題なしで終了になる.要は耐久性に関わる問題に取り組むには,市場での問題が顕在化する前に潜在的な問題を発掘する高い技術力を有していることが前提で,そうでなければ問題は見過ごされてしまうことになる.
シートベルトの製造・販売の会社がエアバッグに進出するのは販路が共通な利点はあるが,爆発に係わる技術開発への挑戦はまったく異なる分野への進出である.登山にはシェルパの助力が必要なように,利益を追求して基盤のない分野に挑戦するときには当該分野に通じたガイドが必要だ.ガス発生剤や爆薬に関わる基盤技術を自社内で高められなければ,専門家のネットワークを活用して補填することが王道だ.
爆薬が劣化して爆発力が強化されたことは,適切な耐久試験を行って爆発テストを繰り返せば明らかになったはずだ.相安定化した硝酸アンモニウムを使っているはずだから問題なしとするならば完全な手抜きだ.実証試験での確認が必要なのだ.
自動車関連の技術分野では,製品化された技術について,その開発の概要を自動車技術関係の学会に報告するのが慣例だ.その慣例通りに行っていたならば,タカタのエアバッグの開発の経緯は公開されているはずだ.硝酸アンモニウムの相安定化の方法の詳細は明らかにしなくても,相安定化した硝酸アンモニウムの特性評価試験の結果やエアバッグの耐久性評価の試験結果について,会社をあげての積極的な広報活動が必要だったのだ.技術情報を公開して関係者の理解を得られれば破綻は免れたのかもしれなかったのに,沈黙は最悪の選択だった.説明責任を放棄する意思表示をしてしまったからだ.
文献
1. 小野古志郎,自動車の衝突安全について,安全工学,33[1] 42-50 (1994).
https://www.jstage.jst.go.jp/article/safety/33/1/33_42/pdf/-char/ja
2. タカタ (企業),ウィキペディア (2021.12.4). https://ja.wikipedia.org/wiki/タカタ(企業)
3. エアバッグメーカーのシェアを公開!インフレータメーカーに注意!(2017.06.23).
https://www.nice-karozzi.com/archive/2017/06/23
4. 牧野 茂雄,タカタ「エアバッグ問題」とはなんだったのか?「もう過ぎたこと、ではない。せめてほかの日本企業は、これを他山の石とすべきである」,モーターファン自動車最新ニュース (2020.10.05).
https://car.motor-fan.jp/article/10016635
5. 山本 雄大,タカタ、エアバッグ問題の顛末と教訓,FOURIN世界自動車技術調査月報,オートモーティブ・ジョブズ (2017.11.07).
https://automotive.ten-navi.com/article/29419/
6. 国土交通省,タカタ製エアバッグ問題への国土交通省の対応.
https://www.mlit.go.jp/common/001198966.pdf
7. 南 麻理江,「タカタ」はなぜ転落したのか。超優良メーカーが民事再生を申請するまでの軌跡,ハフポストNEWS (2018.4.12).
https://www.huffingtonpost.jp/2017/06/16/takata-airbag_n_17143986.html
8. 近岡 裕,「爆発は制御できない」、トヨタがエアバッグ開発を諦めた理由 タカタのエアバッグ破裂事故の教訓,日経クロステック (2020.01.14).
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00138/011000456/
(岡田 明)