自動車技術のイノベーション

19世紀に優勢だった蒸気自動車と電気自動車に代わって,20世紀にガソリン自動車が優位となったのは技術革新が急速に進んだからだ.ガソリン自動車が登場したときには,エンジンの始動が面倒で危険だった.エンジンのクランクシャフトに車体前方からクランク棒を接続して力まかせに回転させねばエンジンは始動しなかったのだ.そのため初期のガソリン自動車はとくに女性には不人気で,走行距離が短い欠点があっても電気自動車は好まれた.また,蒸気自動車は始動性に難点があったが,静かで運転操作も容易なために人気があった[注1].

ガソリンエンジンの改良
20世紀初頭にスターターモーターが実用化されて始動が容易になったことは,ガソリン自動車の普及を促した.複雑なギア操作もガソリン自動車が不人気の理由のひとつだった.ガソリンエンジンが低速回転のときの発生トルクは小さすぎるので,車速によって適切なトルクを得るような変速機構が必要となるからだ(アイドル回転数を下回れば,トルクが小さすぎてエンジンはストップする).手動式の変速機では複雑なクラッチペダルの操作が必要だが,自動変速機が開発されると面倒なギアチェンジは不要となった.市販車における手動式変速機から自動変速機への移行は20世紀半ば頃から加速した.

ガソリン自動車の性能向上はおもに自動車レースで培われた[注2].エンジンの出力を高めるには回転数を高めればよいが,その限界はバルブの開閉制御が鍵を握る.エンジン回転数が高まると吸排気バルブの開閉の追従に遅れが生じてエンジン出力がそれ以上高くならない限界に達するのだ.ガソリンエンジンが実用化された当初から利用されていたサイドバルブエンジンは,市販車では1960年頃から長いプッシュロッドを用いるOHV (Over Head Valve)から,カムシャフトをシリンダヘッドに備えたSOHC (Single Over Head Camshaft),そしてDOHC (Double Over Head Camshaft)へと急速に進化した[注3].エンジンが高回転になったときにも,吸排気バルブの開閉制御が追従する方式への進化だ.

小型のエンジンで大出力を生み出すには過給が合理的だ.吸気過程で1気圧のガスを吸い込むのではなく,高圧のガスを送り込むのだ.過給機は船舶用ディーゼルエンジンや航空機用では多用されるが,自動車用ガソリンエンジンで利用が限られるのはノッキングの発生のためだ.気体を断熱圧縮すると温度も高まるので,スパークプラグによる火花着火が起こる前のタイミングで混合ガスが自発火して爆発燃焼することがあるからだ.これがノッキングだが,ターボチャージャなどの過給機付ガソリンエンジンの場合,ノッキングを避けるためには圧縮比を下げねばならず,そうすると熱効率が低下して燃費が悪化するのだ.なお,無過給のガソリンエンジンを用いた飛行機では,飛行高度が高いときのエンジン出力は低い.空気が薄くなるからだ.空気の薄い1万メートルもの上空を飛行することが可能になったのは過給機がエンジンに装着されるようになってからだ[注4].

自動車レースで効果が確認された技術が市販車に搭載されるためには,価格を受け入れられる水準にまで下げる必要がある.コスト低減の技術開発が必要なのだ.このように自動車技術の進歩にはメカニカルな創意工夫は重要だが,それに続く試行錯誤によって改善を繰り返し,最適化を図ることも必要だった.

ケタリングとミジリー
昨今の自動車のイノベーションに発明者が特定されるケースはどちらかと言うと稀だ.創意工夫の効果を確認するための試作の繰り返しが多数の人の係わる共同作業となって試作費用も嵩むから,個人の発想や努力だけでは実現が困難となるからだ.そしてセレンディピティが関与するケースはさらに稀だ.

チャールズ・ケタリング(Charles Franklin Kettering)は,1910年にバッテリーを利用した点火装置,1911年に電気式のセルフスターターを発明した.これで従来の危険なクランク始動は不要となった.セルフスターターは1912年のキャデラックに装備され,1914年には世界中の9割の自動車はDELCO (Dayton Engineering Laboratories Co,1920年からゼネラルモーターズの子会社)のセルフスターターを使用するようになった,また,ケタリングは電気式ヘッドライトも発明している.これらの発明は電気技術の知識を応用した創意工夫によるものだ.

ケタリングの部下だったトマス・ミジリー(Thomas Midgley, Jr.)がゼネラルモーターズの研究所でテトラエチル鉛やフレオン(クロロフルオロカーボン,和名はフロン)を発見した経緯は創意工夫ではなく,探索研究のなかでの発見のようだ.テトラエチル鉛をガソリンに添加するとエンジンがノッキングを起こさなくなる(オクタン価が高まる)ことを発見したのは1921年で,有鉛ガソリンは1970年代頃まで使用されていた.オクタン価を高めるためには,原油に多く含まれる鎖状の飽和炭化水素(ノルマルパラフィン)を接触改質や接触分解によってオクタン価の高い分子に変換することが基本だ.前者は枝分かれのある飽和炭化水素(イソパラフィン)や芳香族系炭化水素に変換,後者は長い分子を切断して不飽和炭化水素(オレフィン)に変換することだ.現在はこれらの成分を調合してオクタン価や揮発性を調整したガソリンが製造されている[注5].

自動車用ガソリンの無鉛化が進められたのは排気ガス中の鉛による中毒が1960年代に環境問題として浮上し,1970年代から普及した触媒式排ガス浄化装置の性能低下を招いたからだ.有鉛ガソリンの生産現場で鉛中毒が発生し,ミジリー自身も長期療養を必要としたことによるものではなかった.フレオンは1928年にエアコンに利用可能な安全性の高い冷媒の探索研究で見いだされたもので,エアコンや冷蔵庫などのヒートポンプに加えエアゾール・スプレーにも使用されるようになったが,フレオンによるオゾン層破壊の危険性が指摘されてからは使用規制が進んでいる.

排ガス浄化
大気汚染の主な原因は燃焼によって生ずる煤や有毒ガスによるものだ.石炭を暖房に用いていたロンドンでは1952年に濃いスモッグが発生して1万人以上が死亡した.亜硫酸ガスが滞留して高濃度の硫酸の霧を形成したのだ.

光化学スモッグはロサンゼルスで1944年頃から発生し始めていた.自動車エンジンの爆発燃焼による高温によって窒素と酸素が化学反応して窒素酸化物(NOx)を形成する.それと未燃焼の炭化水素が車外に排出されて,それらが紫外線によって化学反応を起こし,光化学オキシダントを生成するのだ.光化学スモッグのもう1つの原因は石油に含まれていた硫黄が燃焼によって硫黄酸化物を形成するためだ.そこで光化学スモッグ対策は,まずガソリン中の硫黄分を減らすこと,次に排出ガス中のNOxを減らすことであった.米国ではマスキー法(排出ガス規制法,1970年12月発効)が制定され,石油会社は硫黄分を減らすガソリンの精製を行い,自動車会社は排出ガス浄化の技術開発を進めることになった.

本田技研工業の開発した低公害のCVCC (Compound Vortex Controlled Combustion)エンジンはマスキー法の規制を最初にクリアしたエンジンだ.希薄燃焼によって酸素と窒素の反応を抑制したエンジンだ.しかし,排出ガス浄化方式の主流は自動車触媒方式に移行した.自動車エンジン内では爆発燃焼によって高温が発生し,そこに窒素ガスと酸素ガスが存在する限り,NOxの生成は避けられない.そこで,エンジンの排気を触媒コンバーターに導き,NOxを還元分解して車外への排出ガスをクリーンにする方式が考え出された.そのためには空燃比を理論空燃比である14.6となるように空気と燃料の比を制御する.燃焼ガス中の未燃のガソリンも酸素も完全燃焼によって消滅する条件だ.それにはジルコニア酸素センサで排気ガス中の酸素濃度を計測して,燃料噴射システム[注6]にフィードバックする.触媒には白金系触媒を利用し,その触媒はコージェライトハニカム担体に担持させるのだ.その後,希薄燃焼にも対応できるような工夫が付け加えられ現在に至っている.

排気浄化システムのコンセプトはボッシュ社から提案された.コージェライトハニカム担体や酸素センサは専門メーカーから供給され,触媒材料はいくつかの自動車メーカーでは自社開発を行っているが,専門メーカーからも入手可能だ.コージェライトハニカム担体については肉厚を薄くする研究開発が行われ,触媒材料は低コストで高性能の材料開発が行われたが,いずれも目標達成に向けての試行錯誤を繰り返したようだ.

自動車技術のこれから
自動車のイノベーションの多くは創意工夫によるものだが,化学物質や材料に関わる技術開発には目標達成に向けた試行錯誤が行われた.ゼネラルモーターズの研究所ではセレンディピティが関与する基礎研究にも手を広げた時期もあったようだが,社内ベンチャーを立ち上げて新規事業に取り組む姿勢は他業種に比較するとおおむね低いようだ.

自動車システムの制御は油圧制御から小型モータを利用した電動化を経て,コンピュータ制御へと移行が進んでいる.複雑な制御には機械技術より電気技術の相性が良いからだ.電気自動車などの電動化の流れは,環境問題にも大いに関係するが,自動運転などを実現する複雑な制御にも適している.

自動車動力の問題は,蒸気自動車と電気自動車との競争を20世紀初頭に勝ち抜いたガソリン自動車で決着したように見られていたが,20世紀末頃から再燃している.リチウムイオン電池の出現によって電気自動車の可能性が高まり,ハイブリッド車や燃料電池車なども次世代自動車の候補として名乗りを上げたからだ.なお,ディーゼルエンジン車は地球温暖化の原因となる二酸化炭素の排出量がガソリンエンジンに比べて少ないことで欧州での評価は高かったが,ディフィート・デバイス搭載による不正が発覚して失速した.

自動車制御技術の中心は機械技術からコンピュータ制御を含む電子技術への移行が進んでいるが,自動車動力技術も二次電池や燃料電池のような化学技術の重要性が高まった時代に移りつつあるようだ.

[注1] 1895年のアメリカには約3,700台の自動車があり,蒸気自動車は2,900台,電気自動車は500台,ガソリン自動車は300台だった.そして1899年に電気自動車「ジャメ・コンタント号」は史上初の時速100㎞を超える105.9㎞を計測し,スタンレーの蒸気自動車は1906年に時速205.3㎞を達成した.電気自動車の充電時間を省くためには電池の交換が行われ,蒸気自動車ではフラッシュ・ボイラの開発によって高圧蒸気を作りだすまでの時間は3分にまで短縮された.しかし,ガソリン自動車の技術革新のスピードはそれらを上回り,蒸気自動車と電気自動車は急速に衰退した.ただし,石油輸出禁止という経済制裁のもとでは経済環境に適応する技術が見直されることがある.1935年から1950年頃までの日本では木炭自動車が活躍した.ガス発生炉に空気と水蒸気を送って木炭と反応させて可燃ガス(CH4,H2,CO)を作り出し,ガソリンに替わる燃料とするのだ.そして1947年には鉛蓄電池を搭載した電気自動車「たま」号が登場した.しかし1950年になって石油事情が好転すると木炭自動車も電気自動車も共に衰退した.

[注2] 世界最初の自動車レースは1894年に行われたパリとルーアン間の128㎞の走行レースだった.102台の応募に対し,「危険なく,容易に制御でき,道路を走るのに高価過ぎないこと」の条件が付け加えられて予選で25台の車だけが合格した.実際に参加した競争車は21台で,1番に到着したのは蒸気トラクター(6時間48分)だったが,運転に2人が必要で「容易に制御できるもの」という条件を満たしてなく,価格にも問題があって2位とされた.1位は当時の自転車競走の記録より遅い最高時速約20㎞の2台のガソリン車だった.世界初の公式レースが開催されたのは翌1895年で,パリとボルドー間往復1178㎞をガソリン車15台,蒸気自動車6台,電気自動車1台で争った.エミール・ルバソールの運転するガソリン車が所要時間48時間48分(平均時速は24.38㎞)で1着だったが優勝は逃した.折り返し点のボルドーでシャンパンを1杯飲んだ飲酒運転だったからではない.レースの規則で4座席の車であることが必要とされたのに2座席だったからだ.

[注3] OHVエンジンは1894年に初めて製作され,1899年に量産化された自動車に使われた.1本のカムシャフトでロッカーアームを介して吸気弁と排気弁を間接駆動するSOHCエンジンは1898年に初めて造られ,1908年にはレーシングカーに搭載された.吸気弁と排気弁をそれぞれ専用の2本のカムシャフトを用いて直接駆動するDOHCエンジンを搭載した自動車は1912年のグランプリレースに出場して優勝し,1913年の走行テストでは平均時速177.00㎞で走り,当時の飛行機の記録,時速167.80㎞を破った.カムシャフトを用いたエンジンはバルブ開閉機構が複雑なためコスト高となり,市販車に採用されるためにはコスト低減の技術開発が必要だった.そこでクランクシャフトの回転をカムシャフトに伝える歯車をチェーン駆動に変更し,さらに1946年に合成ゴムと化学繊維を組み合わせた材料で歯付きタイミングベルトが開発され,これが実用化された1962年から市販車への応用が始まった.SOHCおよびDOHCエンジンの量産車への採用が進んだのは1970年から1980年にかけてのことだった.

[注4] 過給機には空気を機械的に圧縮して燃焼室に送り込むスーパーチャージャと,排気ガスのエネルギーを利用してタービンホイールを回転させてその動力を過給に利用するターボチャージャの2つの方式がある.第一次世界大戦中の飛行機の最高高度は5,000から6,000mが限界だったが,この飛行機の性能が向上したのは1930年頃から飛行機エンジンにスーパーチャージャが用いられるようになってからだ.スーパーチャージャ付のエンジンを備えた自動車がグランプリレースで初めて優勝したのは1923年であり,1930年代から40年代にかけてはレーシングカーにスーパーチャージャが多く使われた.しかし,スーパーチャージャが市販車に初めて搭載されたのは1982年のことだった.1938年のドイツの空爆に用いられたボーイングB17爆撃機,1942年の日本の空爆に用いられたボーイングB29爆撃機のいずれもターボチャージャ付きのエンジンを採用している.それによって,1万mの高度からの空爆が可能となった.ターボチャージャは1940年頃から大型のディーゼルエンジン(定置用,舶用,鉄道用)に使われるようになり,1965年頃からはディーゼルトラックへの普及が進んだ.ターボ付き自動車がレースで優勝したのは1968年で,1970年代にはターボ車が続々と優勝するようになった.ターボ付きガソリン自動車は1960年から販売され,セラミックターボが実用化されたのは1985年だった.

[注5] 原油はさまざまな飽和炭化水素(パラフィン)の混合物だ.芳香族は少なく,二重結合を有する不飽和炭化水素(オレフィン)は含まれていない.石油の精製工程ではまず常圧蒸留によって沸点の異なる成分に分離する.沸点の低いものから順に,石油ガス,軟質ナフサ(炭素数は3または4),重質ナフサ(炭素数が5から10),灯油(炭素数が10から14),軟質軽油(炭素数が10から20),重質軽油(炭素数が15から20)そして残油だ.そして残油からは減圧蒸留によって潤滑油を得る.その残りが重油(炭素数が20から50)とアスファルトだ.石油ガスは液化石油ガス(LPG)として利用され,軟質ナフサは熱分解してエチレンやプロピレンに転換し,ポリエチレンやポリプロピレンなどの石油化学原料とする.重質ナフサと灯油からはジェット燃料(炭素数が8から12),灯油は暖房用,軟質軽油はトラックなどのディーゼルエンジン車の燃料,重油(粘度の高いC重油のこと)は加熱流動化して大型船舶用のディーゼル燃料や発電などのボイラー燃料として利用する.なお,A重油は90%の軽油に少量の残油を混合したもので,性状は軽油とほぼ同じだが軽油引取税が課税されず,小型漁船のディーゼルエンジンやビニールハウスの暖房用ボイラーに用いられている.重質ナフサは直鎖状の分子で,かつてはガソリンにそのまま用いられたが,オクタン価が低いので1949年に接触改質によってオクタン価を高める工程が追加された.直鎖状の炭化水素から分岐を持った炭化水素への変換だ.オクタン価はノーマルペンタン(炭素数5)を0,イソオクタン(炭素数8)を100とする耐ノッキング性の指標だ.一般に直鎖状の飽和炭化水素のオクタン価は低く,分岐を持つ飽和炭化水素や二重結合を持つ不飽和炭化水素のオクタン価は高い.そして芳香族のオクタン価はさらに高い.重質軽油は接触分解によってオクタン価の高いガソリンに変換する技術が開発(1930年頃から徐々に普及した)されてから,ガソリンの主要な原料となった.また,石油ガスのなかから取り出したイソブタン(炭素数4)とブチレン(炭素数4)から酸触媒を用いてイソオクタン(炭素数8)を合成するアルキレーション工程も1940年代に普及し,現在のガソリンは接触改質,接触分解およびアルキレーション工程を経て改質された炭化水素を調合してオクタン価が適正な範囲内に収まるように調整されている.また,オクタン価をさらに高めるために.MTBE (Methyl Tert-Butyl Ether)やETBE (Ethyl Tert-Butyl Ether)のような含酸素化合物を添加する場合もある.なお,日本のレギュラーガソリンのオクタン価は約90で,ハイオクガソリンのオクタン価は約100だが,欧州では標準的なガソリンのオクタン価が約95なので,欧州車を日本国内で使用するときにはハイオクガソリンを給油する必要がある.

[注6] ガソリンエンジンでは液体燃料は気化器(キャブレタ)によって空気と燃料の混合ガスがつくられ,シリンダーに導入される方式が主流だった.ガソリンを噴霧して気化させる方式(燃料噴射システム)の開発の歴史も古いが,構造の単純なキャブレタ方式が優位だった.インジェクターを用いる燃料噴射システムが復活したのは飛行機エンジンでキャブレタの不具合が指摘されるようになってからだ.その後,レーシングカーでも燃料噴射システムの採用が進み,1960年代以降はインジェクター方式の独壇場となった.そして,機械式から電子式の燃料噴射システムへの移行が起こると,このシステムは排ガス浄化システムの構成要素に組み込まれ,キャブレタ方式は電子制御式キャブレタとして1980年代にはかろうじて生き残ったものの,1990年代になると次第に姿を消した.

文献
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2. 岡田明,自動車の技術進歩とセラミックス,セラミックス,47 [6] 398-405 (2012).
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(岡田 明)

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