歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡を探訪する

弥生時代の遺跡としては,弥生式土器が初めて発見された東京大学構内の弥生二丁目遺跡,外壕と内壕の二重の環濠が弥生時代後期に構築された吉野ヶ里遺跡,弥生時代後期の登呂遺跡などがよく知られている.弥生時代の遺跡からは主に住居跡と弥生式土器が見つかるが,青銅器が出土するのは九州から近畿地方にかけての遺跡が中心で東日本では少ない.銅鏡や銅鐸は近畿地方に多く,銅矛や銅剣は九州地方に多い.

近隣では竪穴住居跡が見つかった磯子区の三殿台遺跡や弥生時代中期の環濠集落が見つかった大塚遺跡及びそれと隣接する方形周溝墓群が発掘された歳勝土遺跡(大塚・歳勝土遺跡)が代表的だ.環濠集落が営まれるようになったのは2世紀後半に倭国大乱が起こってからとされる.環濠集落は,平地の集落の周囲に濠を巡らす防衛のための施設が設けられていることが特徴だ.その後,大乱は終息して,邪馬台国の卑弥呼が倭国王となった.方形周溝墓は家の長が亡くなったときに造られ,長は木の棺に入れられて盛土の中央に葬られる.

大塚・歳勝土遺跡はセンター北駅からすぐのところにある.大塚・歳勝土遺跡公園として整備され,連絡橋で隣接する横浜市歴史博物館につながっている[1].大塚遺跡は周囲に濠をめぐらす環濠集落で,竪穴住居7棟をはじめ高床式倉庫,型取り遺構,木橋などが復元されている.歳勝土遺跡には大塚遺跡に住んだ人々のお墓がある.四角形の盛り土の四辺を溝で囲んだ方形周溝墓だ.なお,倭国大乱が終息すると方形周溝墓は廃れ,権力者の墳墓としては前方後円墳を代表とする古墳が築造されるようになった.

大塚遺跡に復元された竪穴住居群
大塚遺跡に再現された木橋と環濠
竪穴住居跡の発掘調査時の姿
復元された竪穴住居
復元された高床式倉庫 
歳勝土遺跡に復元された方形周溝墓
大塚遺跡から出土した宮ノ台式土器
大塚遺跡から出土した磨製石剣
大塚遺跡から出土した石斧

遺跡公園には江戸時代の民家を移築した都筑民家園もある.歴史博物館の展示物は古代から近代まで多岐にわたり,遺跡公園からの出土物もわずかだが展示されている.歴史博物館は予約不要で入場制限もなく誰でもが入館可能だ.それでも密を避けて人と人との間隔を十分広くとれるのはコロナ禍ではありがたい.

文献 
1) 横浜市歴史博物館 https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/

(岡田 明)

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