寄稿・投稿

「その時私は」物語
「その時私は」物語: 立川高校時代

「その時私は」物語を書き始めるにあたっての話  この企画を始めるにあたり,企画担当である私からまずは書き始めないといけないだろうと机のパソコンの前に座りました。  なにが自分の「その時私は」物語になるだろうかと考えるに, […]

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歴史と史跡とエトセトラ
鎌倉幕府の旧跡碑めぐり(その4)

由比若宮は1180年に鎌倉入りした頼朝が遥拝したところだ.前九年の役で奥州を平定した源頼義が1063年に石清水八幡宮を由比ガ浜に勧請したことに始まるが,その後,源頼朝が現在の鶴岡八幡宮に遷したので,元八幡とも称される. […]

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歴史と史跡とエトセトラ
鎌倉幕府の旧跡碑めぐり(その3)

源頼朝が没すると実権は鎌倉殿となった源頼家の専制支配ではなく北条時政ら有力者の合議制に移行した.十三人の合議制は1199年4月に発足したが,1200年には解体となった.13人の有力者のなかの梶原景時が1199年に失脚し, […]

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歴史と史跡とエトセトラ
鎌倉幕府の旧跡碑めぐり(その2)

大蔵御所が焼失した1219年から1225年までの間は将軍不在の期間だ.仮御所が北条義時の邸宅の南側にあり,その邸宅は二階堂大路の東側とされるが,正確な位置は不明だ.なお,二階堂大路は六浦道(金沢街道)から分岐して永福寺へ […]

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「その時私は」物語
「その時私は」物語を始めるにあたって

「その時私は」物語を始めるにあたっての裏話  今回2022年度の新企画として開始した「その時私は」物語をはじめて思い立ったのは,実は無機材会の企画の仕事をはじめた2019年当時です。各人みな色々な経験があり,それを人によ […]

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歴史と史跡とエトセトラ
鎌倉幕府の旧跡碑めぐり(その1)

鎌倉の史跡観光には旧跡碑(鎌倉町青年団石碑)が有用だ.大正時代から昭和初期にかけて設置された石碑で,そのうち70か所を今でも見ることができる.これは1921年までは鎌倉町青年会,1922年以降は鎌倉町青年団が建立したもの […]

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「その時私は」物語
「その時私は」物語 の開始

      本館上空 南7号館も見えます(蔵前工業会ドローン映像から) 「その時私は」物語  2022年度からはじめる新しい企画,新企画「その時私は」物語を始めます。過去,長いあるいは短い人生の中で,大きな転換点や分岐点 […]

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益子だより
岡田会長コレクション(その5:花入れほか)

最終回は、花入れ・一輪挿しのほか、箸置きなど、1回目から4回目に分類されないものを集めました。     〔作者コメント〕① 山帰来の文様の花入れ、② 糠白釉無地の面取り花入れ、③ 鉄砂釉一輪挿しです。灯油窯で、それぞれ専 […]

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益子だより
岡田会長コレクション(その4:茶碗ほか)

4回目は、茶碗、ジョッキ等、飲み物の器を集めました。      〔作者コメント〕​益子特産の赤粉が主原料で、単味で柿釉、糠白釉と混ぜると黒釉になります。この茶碗は登り窯の灰の降りかかる特別な焼き場所で焼いたもので、表と裏 […]

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益子だより
岡田会長コレクション(その3:丸皿/小~中)

「丸皿 / 中~大」に引き続き、「小~中」サイズの丸皿のご紹介です。     〔作者コメント〕​糠白釉の無地の皿で、文様がない分、難しいものです。 〔作者コメント〕​どれも同じ手法の糠白釉鉄絵の皿ですが、下地の濃さ、釉薬 […]

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益子だより
岡田会長コレクション(その2:丸皿/中~大)

「角皿」に引き続き、「丸皿」をご紹介します。作品数が多いので、「中~大」と「小~中」の2回に分けて掲載させて頂きます。     〔作者コメント〕中期の作品で、登り窯で焼かれた糠白釉鉄絵の中でも大変良い焼き上がりの皿です。 […]

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益子だより
岡田会長コレクション(その1:角皿)

「益子だより」のコーナーを設けるにあたり、当会の現会長である岡田清さん(197106)から、ご自身が所蔵する村田さんの作品の写真をご提供頂きました。作品の数が多いので、5回に分けて紹介させて頂きます。 今回は、その1回目 […]

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卒50年の記念品
令和4年(2022年)の 卒50年記念品です。

今年は昨年同様にオンラインでの総会開催となりましたので、贈呈の対象となる会員の方には 総会に先行してご自宅へ記念品をお送りし、総会ではオンライン上で贈呈式のみが執り行われました。 #################### […]

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溝口さんぽ
溝口さんぽ(No.6)

 先月の中旬辺りから夏を思わせるような日が続きましたが、6月に入るや否や関東地方は西日本各地に先駆けて梅雨入りとなりました。今年は花の咲くのが随分と早く、5月下旬にはアジサイが咲き始めていましたので、もう真っ盛りの状況で […]

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歴史と史跡とエトセトラ
横浜のバラ園と港を散策する(後編)

大さん橋の近くには1854年に日米和親条約が締結された開港広場公園と1981年に開館した横浜開港資料館がある.開港広場公園にある日米和親条約締結の地の石碑とプレートは横浜市観光協会によるもので,柱は横浜市教育委員会が建て […]

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歴史と史跡とエトセトラ
横浜のバラ園と港を散策する(前編)

元町・中華街駅の改札を出てエレベータで屋上まで上がれば,そこは2012年開園のアメリカ山公園だ.公園にはバラが咲き乱れ,元町貝塚があったことを示す解説板も設置されている.その公園を通り抜け,外人墓地の脇の道を昇ると横浜地 […]

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溝口さんぽ
溝口さんぽ(No.5)ー周辺の地名についてー

 溝口は二子玉川駅から多摩川を渡り、二子新地駅、高津駅と駅間の短い区間を経て、3つ目の駅、溝の口駅が中心になります。蛇足ではありますが、溝口の地名表現には、溝口、溝の口と溝ノ口の3つの表し方が混在しており、ちょっとややこ […]

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歴史と史跡とエトセトラ
襲撃現場の確認を兼ねて散歩する

大日本帝国陸軍内には統制派と皇道派の2つの派閥があった.前者は陸軍大臣を通じて政治上の要望を実現するという合法的な形で列強に対抗し得る「高度国防国家」の建設を目指す陸軍大学校出身者を主体とするもので,後者は天皇親政の下で […]

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溝口さんぽ
溝口さんぽ(No.4)

 四月も中旬になり、桜はすっかり葉桜ないしは花が落ち新しい葉が成長して新緑状態になりました。いつも散歩するコースには桜の代わりにさまざまな草木に色とりどりの花が咲き始めました。博士課程を修了して目黒の下宿を引き払い、しば […]

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歴史と史跡とエトセトラ
暗殺現場の確認を兼ねて散歩する

犬養毅は1932年に9名の海軍将校らの一団に銃で撃たれて殺害された.殺害現場となった内閣総理大臣旧官邸は1929年の竣工で1936年までに6代の歴代総理(田中義一,濱口雄幸,若槻禮次郎,犬養毅,齋藤實,岡田啓介)が入居し […]

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歴史と史跡とエトセトラ
東京駅の遭難現場をめぐる

東京駅には2枚の遭難現場のプレートが設置されている.凶器が短刀と拳銃の違いはあるが,いずれも単独犯で現職の総理大臣が被害者だ. 立憲政友会総裁の原敬が1918年に内閣総理大臣に任命された.大正デモクラシーの最中での平民宰 […]

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歴史と史跡とエトセトラ
青山の霊園散策

天気が良いので散歩に出かけた.青山霊園には多くの著名人や犬や馬が眠っている[1, 2].大久保利通とその馬,濱口雄幸,小村寿太郎,頭山満,上野英三郎と忠犬ハチ公,乃木希典,松岡洋右,高峰譲吉,北里柴三郎,長岡半太郎らだ. […]

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歴史と史跡とエトセトラ
維新の三傑の目指したもの

大久保利通は西郷隆盛,木戸孝允(桂小五郎)とともに明治維新の三傑と称される.木戸孝允は1877年5月26日に大腸がんの肝臓転移によって京都で病死(45歳没),西郷隆盛は西南戦争で1877年9月24日に自害(49歳没),そ […]

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歴史と史跡とエトセトラ
外桜田門から豪徳寺へ

井伊家は中世の遠江国井伊谷を約500年間にわたって支配したが,戦国時代に一族の多くを失って衰退した.通説では,このとき井伊直盛の娘の次郎法師が家督を継いだとされる.井伊直政の養母の井伊直虎である.井伊家を復興させたのは井 […]

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Sunday Essay
ろうそくの科学と照明技術

1791年に貧困家庭に生まれたマイケル・ファラデー(Michael Faraday)は製本業の年季奉公を経て,ハンフリー・デービー(Humphry Davy)に雇われ,1813年に王立研究所(Royal Institut […]

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歴史と史跡とエトセトラ
傳馬町の吉田松陰と松陰神社

1613年頃に江戸時代の牢屋敷は常盤橋門外(今の日本銀行の辺り)から傳馬町に移転した.そして1875年に市ケ谷の監獄に囚人を移して傳馬町の牢屋敷は取り壊された.傳馬町の牢舍は揚座敷(旗本),揚屋(士分・僧侶),大牢(平民 […]

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Sunday Essay
タカタはなぜ破綻したのか

自動車の衝突安全についてまず行われたことは,衝突事故が起こって自動車が急減速したときの衝撃を和らげるために,車両の前部と後部にエネルギー吸収構造(クラッシャブルゾーン)を設けることだった[1].軽微な事故でも自動車のフロ […]

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歴史と史跡とエトセトラ
発祥の地とその近隣を訪ねて

都営浅草線の蔵前駅を下車し,国道6号沿いに南下して須賀橋交番前を左折すれば,榊神社の境内が目の前だ.そこが蔵前の跡地だ.1924年4月に開校した大岡山キャンパスは蔵前キャンパスから1924年1月8日に移転したのが始まりだ […]

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歴史と史跡とエトセトラ
池上線の名所めぐり

池上線の名所と言えば,池上本門寺と洗足池だ. 池上本門寺は日蓮宗の大本山だ[1].本門寺は日蓮が1282年に没したときに滞在していた池上宗仲の館の背後の山に建立された.建物の多くは1945年4月15日の空襲によって焼失し […]

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Sunday Essay
タイヤの脱落事故とセラミックスの国際規格

大型車のタイヤが走行中に外れる事故がここ10年で12倍に急増したとのニュースがあった.冬用タイヤに交換した際の不備が主な原因とされ,急増の背景には2010年のネジ規格の変更があるとも指摘されている.海外に輸出しやすくする […]

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