歴史に学ぶ民主主義への道

独裁権力を掌中に収めるには平和裏での合法的な手続きで可能だが,封建制や全体主義的独裁体制から民主主義への移行には革命あるいは敗戦による体制崩壊が効果的だったようだ.事実,イギリスとフランスは革命とクーデターを繰り返して封建制を打破して民主主義を確立し,ドイツ,イタリア,日本の民主化は封建制から束の間の民主制を経て全体主義に移行した後,敗戦によって体制が瓦解して民主化が成し遂げられた.ロシアと中国は封建体制を革命によって打倒して共産主義を実現したが,民主化は未達だ.

イギリスとフランス
古代ギリシャとローマを除くと,イギリスは封建制から民主主義に移行した初めての国だ.封建制から共和制,王政復古から立憲君主制へと紆余曲折を経た民主化だった.

ピューリタン革命で専制君主チャールズ1世を処刑して共和制に移行したことが民主化の始まりだった.革命を指揮したクロムウェルは議会を解散して護国卿に就任したが,禁欲的な生活を強いる統治は反感を招き,その死後に起きたことは王政復古だ.ところが呼び戻したチャールズ2世は議会と協調せず,次のジェームズ2世も専制的だったので,反カトリック派はオランダのオラニエ公ウィレム3世(ジェームズ2世の甥で,娘メアリーの婿)を招聘して立憲君主制に移行した(名誉革命).ウィリアム3世・メアリー2世による共同統治が始まり,ジェームズ2世はフランスに亡命して民主化は完了した.

フランスはイギリスとは異なる民主主義への道を辿った.立憲君主制は失敗し,共和制と帝政を繰り返して,共和制に落ち着いたのだ.しかし,バリントン・ムーアによれば,フランスもイギリスも同じくブルジョアによる資本主義革命が起きて資本主義・民主主義が勝利した事例とされる.

ルイ16世の時代は特権階級(第一身分の聖職者と第二身分の貴族)の支配する時代だった.ルイ16世は特権階級からの徴税を試み第三身分の政治参加(憲法制定国民議会の前身となる国民議会)を認めたのだが,特権階級はこれに反発し,バスティーユ牢獄襲撃に始まるフランス革命が起こった.1791年には憲法が制定されて立憲君主制に移行したのだが,1792年にオーストリアとの戦争が勃発した.そして普通選挙によって共和制政権(王政は廃止)が誕生し,ロベスピエールの恐怖政治が始まった.恐怖政治に終止符を打ったのは1794年のテルミドールのクーデターだった.穏健な総裁政府が成立したが,フランスを取り巻く君主制国家との対立は終わらなかった.君主制国家が国王を処刑した共和制国家を容認することは難しい.共和制国家の打開策は力による現状変更だ.これを実現したナポレオンは1804年に皇帝に就任して帝政を始めたが,1812年のロシア遠征に失敗すると失脚した.そして1814年に始まるウィーン会議でブルボン朝が復活した.しかし,ブルボン朝の反動的な政治は長く続かなかった.1830年の7月革命ではシャルル10世を追放して,ルイ・フィリップを新国王に迎えた.さらに1848年の2月革命ではルイ・フィリップを追放して第二共和政が始まり,大統領選挙でルイ・ナポレオンが選ばれた.ルイ・ナポレオンは1852年の国民投票でナポレオン3世として第二帝政を始めたが,普仏戦争に敗北して失脚した.1870年に始まる第三共和政は第二次世界大戦中の1940年にフランス軍がヒトラーに敗北して崩壊し,傀儡のヴィシー政権が誕生したが,ドイツが敗北した1946年には第四共和政に移行した.なお,第四共和政はアルジェリア独立運動の混乱のなかで1958年に崩壊し,ド・ゴール将軍が大統領に就任する第五共和政へと移行した.

ロシアと中国
ロシアも中国も民主化に失敗したが,ムーアはこれを農民革命から共産主義に向かった事例であるとみなした.ロシアではロマノフ王朝が崩壊して民主主義に移行したが,その民主主義は瞬時に崩壊して共産党独裁が誕生した.そして中国では漢民族に圧政を強いる清国が滅びると,紆余曲折を経て,共産党独裁の中華人民共和国が生まれた.

ロマノフ王朝の崩壊の兆しは,日露戦争の敗色が濃くなった1905年に起こった血の日曜日事件だ.そして,第一次世界大戦で疲弊した1917年のロシアではデモの混乱の中でニコライ2世が退位(3月革命)し,労兵協議会(ソビエト)と国会による臨時政府の二重権力状態となった.11月革命でボリシェヴィキの指導者レーニンは臨時政府を倒してソビエト新政府を樹立したが,直後の選挙でボリシェヴィキは社会革命党に敗れた.そこでレーニンは武力で議会を封鎖し,プロレタリア独裁を始めた.ボリシェヴィキは後にロシア共産党に名称変更し,1922年にはウクライナやベラルーシなどを統合してソビエト連邦が誕生した.このソビエト連邦は1990年頃に崩壊して14の独立国となったが,民主化が進んだ国はわずかだ(エストニア,リトアニア,ラトビア,ジョージア,ウクライナなど).多くの独立国は独裁国家として名を馳せている.

清国は満州人が漢民族を支配する征服王朝であり,清の末期には列強の侵略を受けていた.太平天国は「滅満興漢」,義和団は「扶清滅洋」のスローガンを掲げたが,これは孫文の率いる辛亥革命の第一の目的が「民族独立」であったのと同根だ.しかし,1912年に南京で中華民国は成立したものの,袁世凱政権を経て軍閥跋扈の分裂状態となり,全土を掌握したのは南京国民政府を樹立した蒋介石が1928年に北伐を達成したときだった.その後,1931年の満州事変を契機に日中戦争がはじまり,中国共産党の軍隊とも戦いが始まった.日中戦争が終結したのは1945年だが,1950年頃には共産党軍が全土を掌握して共産主義国家が成立した.

イタリアとドイツと日本
イタリア,ドイツ,日本はいずれも第一次世界大戦の後,民主主義から全体主義体制へと移行した.いずれも個人を尊重する民主主義とは相容れない独裁体制だが,束の間の民主主義体制のもとで平和裏に合法的な移行が進んだ.なお,ムーアは日本が軍事独裁(ムーアによれば日本ファシズム)に向かったのはブルジョア革命も農民革命も起こらなかったからだとしている.ガリバルディがイタリアの統一を成し遂げたのは1860年で,日本は1868年の明治維新によって新たな国家として再出発し,プロイセンが普墺戦争と普仏戦争を経てドイツ帝国を樹立したのは1871年だから,強力なリーダーシップのもとで豊かな国家建設に邁進した時代だったといえよう.

ムッソリーニは1922年にイタリアの首相となり,1929年の総選挙でファシスト党は全議席を獲得して一党独裁を確立した.ドイツ共和国のワイマール憲法には民主的な規定が盛り込まれていたが,この民主的な体制の下で1932年に行われた選挙でナチ党は第一党となって政権を獲得した.ファシスト党もナチ党も一党独裁は民主的な手続きを経て成立したのだ.日本では1936年の二・二六事件以降,政党内閣は鳴りを潜め,選挙結果が組閣に反映されることのない陸軍主導の挙国一致内閣が続いた.このような経緯で第二次世界大戦の開戦時には,ドイツはヒトラーのナチ党独裁,イタリアではムッソリーニの国家ファシスト党,日本では軍部の主導する挙国一致内閣が傀儡の大政翼賛会を率いていたのだ.そして,これらの独裁体制が雲散霧消したのは敗戦による体制解体だった.

戦後の状況変化
第二次世界大戦後の世界では,状況に変化があったようだ.専制国家といえども過激な全体主義国家は目立たなくなり,選挙によって権力の正統性が担保される疑似民主国家が主流となったからだ.これが昨今の権威主義国家(非民主主義国家)だ.

サミュエル・ハンチントンは民主主義への移行と権威主義体制への揺り戻しの波が交互に現れると指摘した.民主化の第一の波は民主主義が徐々に発展した1828年から1926年までの期間で,1922年の民主主義国の比率は45.3%だ.その後,軍事クーデターなどによる揺り戻しの波が1922年から1942年に訪れ,1942年の民主主義国の比率は19.7%にまで低下した.第二の民主化の波は1943年から1962年に起こり,1962年の民主主義国は32.4%まで回復した.第二次世界大戦で連合国が占領した国家と植民地から独立した国家が民主主義を採用したからだ.しかし,ラテンアメリカやアジアの軍事クーデターによる権威主義への揺り戻しが1958年から1975年にかけて起こり,1973年には民主主義国の比率は24.6%まで低下した.民主化の第三の波は1974年からのものだ.南ヨーロッパ,ラテンアメリカ,アジアに民主化の波が及び,ソ連の崩壊によって勢いを増して1990年には民主主義国の比率は45.0%まで復活した.

エリカ・フランツによれば,1946年から2014年にかけて239の権威主義体制が権力を失ったが,その道筋はクーデター(33%),選挙(28%),民衆蜂起(18%),反乱(7%),支配集団の構成ルールの変更(8%),大国の押し付け(4%),国家の解体(2%)の7つのいずれかに分類される.権威主義体制崩壊後の新たな体制は,民主主義体制への移行と新たな権威主義体制の発足がそれぞれ半々なので,現実には民主主義への道は険しい.権威主義体制が崩壊して指導者や支配集団が変更されても,政治体制が維持されるケースが多いのだ.貧しい開発途上国での最重要課題が国家の近代化による経済発展を通じて国民の暮らしぶりを改善することならば,統治者の権力を制限する民主主義より,強いリーダーシップのもとで国家運営を担う権威主義体制への期待が高いことも頷ける.しかし,冷戦終結以降に限れば,選挙がクーデターに取って代わり,現在は権威主義体制の崩壊の39%は選挙プロセスを経て生じているのだ.なお,1946年から2010年にかけて250の権威主義体制が権力の座に就いたが,その46%は先行する権威主義体制に取って代わったもので,29%は民主主義体制を打倒したものだ.権力獲得方法としては,46%はクーデターによるもので,権威主義化(選挙で権力を獲得してから,その立場を利用して権力を強化する)は18%,反乱は13%,大国による押しつけは12%,民衆蜂起(非暴力の大衆デモ)は5%だ.今後はポピュリズムを利用した権威主義化の増加が予想されている.

権威主義が教育水準の低い開発途上国に多く見られ,イギリスの植民地だったところは少ないが,富の源泉が天然資源でムスリム人口の多いことが権威主義と正の相関があるのも事実だ.しかし,経済発展の結果が民主主義なのか,民主主義が発展をもたらしたのかについては議論がある.リプセット(Seymour Martin Lipset) の欧米諸国とラテンアメリカの政治体制と経済発展の比較研究は,経済成長によって民主主義制度が実現すると理解された.西側諸国の対中国政策はその仮説に則って,経済大国になるまで支援を続けたが,中国の権威主義体制は依然維持されている.それに対し,アセモグルとロビンソンは民主主義制度と市場経済が経済成長を可能にすると考えた.因果関係としては民主主義制度と市場経済が原因で経済成長は結果との立場だ.そして,実証データに基づけば,1人当たりのGDPが約1万ドル(2010年のデータ)に達すれば民主主義体制,それ以下では権威主義体制と区分されるが,シンガポールや中東の豊かな産油国が権威主義体制を採用しているのは例外だ.暮らしぶりが良いことで満足する国民が権威主義体制に大きな不満を持たないとすれば,民主主義を熱望するのは自己実現を目指す自由を希求する国民に特有な特殊事例なのかもしれない.

おわりに
世界にはまだ個人の自由よりも組織や指導者を尊重する多くの全体主義,権威主義,専制・独裁体制が存在するが,今後どのような道筋で民主化が成し遂げられるのだろうか.20世紀前半までの世界ならば,国民の意思が反映されるならば暴力的な革命で,成り行きに任せるならば敗戦を祈るだけだったが,選挙や民衆蜂起といった新たな選択肢も芽生えたようだ.全体主義,権威主義,専制・独裁体制のもとで苦しんでいる自由を渇望する人々が目的を達成するには体制崩壊が前提だ.それを国外から支援する手段として,第二次世界大戦で連合国が枢軸国に対して行った行為の再現に替えて,経済発展の支援によって民主化を具現化する方策が採用されてきたのは歴史的事実だ.確かに,経済活動のグローバル化による国際分業制の推進によって開発途上国の経済は大きく成長したが,それは本当に国民の自由を担保する民主的な世界の構築に有効だったのかは疑問だ.

現在,過激な全体主義国家は少なくなって,非民主主義国家の多くは穏健な権威主義国家だから,圧政による恐怖を感じにくくなっていることは確かだ.さらに政府転覆を抑止する愚民化推進の洗脳教育が成果をあげれば,民主化運動は沈静化する.民主主義の維持には自らが思考することを前提とするが,権威主義の維持に大衆の思考は有害だからだ.なお,洗脳教育による愚民化が進めば権威主義体制が安定化される利点はあるものの,悪徳商法に容易に騙されやすい国民も増大する短所もある.

国家の圧政からの自由を求める民主化と自身の生活水準の向上を目指す2つの力のバランスが,現代社会の政治体制の選択に大きく係わっているようだ.過激な全体主義体制のもとでは,民主化は暴力的な革命によって勝ち取るか,他国との戦争で敗戦による体制瓦解を祈るかの選択肢しかなかったが,穏健な権威主義国家ならば民主化への選択肢は増加した.過去の事例は歴史から学ぶことができるのだ.国家の圧政を強く感じなければ,国民は自身の生活改善に注力した方が得策との判断もあろう.その場合には,権威主義支配体制の政治環境に適応するように振る舞うことが合理的だ.精神の自由より物質的な利益の価値を信奉する大衆にとっては合理的な判断だが,このような社会に自由な精神を捨てずに生きることは苦痛を伴う.権威主義を容認する大衆が「1984年」のウィンストン・スミスが暗示する未来を想像していることを想像するのは困難だ.

文献
1. バリントン・ムーア,独裁と民主政治の社会的起源,岩波書店 (2019).
2. サミュエル・P・ハンチントン,第三の波,三嶺書房 (1995).
3. エリカ・フランツ,権威主義,白水社 (2021).
4. Seymour Martin Lipset, Some Social Requisites of Democracy: Economic Development and Political Legitimacy, The American Political Science Review 53 [1] 69-105 (1959).
5. ダロン・アセモグル,ジェイムズ・A.ロビンソン,国家はなぜ衰退するのか,早川書房 (2013).
6. ジョージ・オーウェル,1984年,早川書房 (1972).

(岡田 明)

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