資本主義経済と市場介入

国家が経済を牛耳る計画経済に対し,国民が自由な経済取引を行う自由主義の経済をその対極とすると,その中間にはさまざまな経済システムが存在し得る.政府の介入を最小限に抑えた市場経済では経済活動の自由度が高いが,戦時中の統制経済では経済活動が国家権力によって規制され,計画経済に似た運営が行われた.資本主義経済においても生産手段を私的所有した資本家が労働者を雇用して利潤を追求する仕組みは同じでも,政府の介入度合は国ごとにまちまちだ.

古代から現代に至るほとんどの非民主的国家で採用されてきたのは,意思決定の権限のある権力者の指令による統制経済に近いシステムだ.そこでは一般の人々の欲求やニーズより権力者のニーズを満たす活動が重視され,徴兵や強制労働によって領地を含む戦利品の強奪や建造物の構築が行われた.

自由主義経済は封建制社会のもとでも一定の制約を受けながら実現可能ではあったが,封建制から絶対王政を経て,国民国家や帝国主義国家への変遷の過程で議会制民主主義が強化され,国民の生命と財産が不当に奪われることのない社会制度が構築されると経済活動はさらに盛んになった.そして産業革命による生産力の強化によって資本主義経済システムは力強く発展した.

中世ヨーロッパの農村では耕作地は私有地であったが,耕作を行っていない期間の耕作地には共同利用が認められ,村落周辺の荒蕪地も薪などの燃料を無料で入手できる共同利用が行われていた.中世末期の囲い込みは土地の共同利用から私有化への制度変更であり,自然に地代と言う値札が取り付けられて市場での売買対象となったのだ.カール・ポランニー(Karl Polanyi)が指摘するように産業革命を経た19世紀に市場経済が発達すると,土地に加えて労働も商品化されて貨幣との交換対象となった.地代を支払って確保した土地に工場を建設し,労働者に賃金を支払って商品の製造販売を行う資本主義経済のビジネスモデルが利益を生み出すようになったのだ.

19世紀には産業革命の恩恵を受けた巨大企業による独占・寡占事業の支配によって格差拡大が顕著となり,20世紀前半には極端な景気変動による大恐慌が発生し,20世紀後半には公害問題による弊害が露わになった.これらは資本主義経済システムの不具合(市場の失敗)であり,それを修正するのは統治システムの課題だ.独占禁止法や公害防止法などの法整備による企業活動への規制,および財政政策と金融政策を通じた市場への介入が行われた.しかし,福祉国家を目指す過度の介入は競争市場の機能を阻害して経済の低迷を招く結果となり,その反動としてサッチャーやレーガンは新自由主義経済を導入した.適度な介入の度合を決定するには,試行錯誤をしばらく繰り返す必要がありそうだ.

独占禁止法
アダム・スミスが18世紀に指摘したように,自由主義経済では個人が自己利益のために経済活動を行うと競争市場の「見えざる手」によって資源の最適な配分が決められる.しかし,賃金を得るための経済活動は個人の能力や運に依存し,資産を運用する経済活動では投資資金が多いほど有利だから,競争の結果は格差の拡大だ.資本主義経済における競争は勝者が市場での独占的な地位を構築して終了し,競争市場の「見えざる手」は機能不全に陥る.

実例はアメリカに豊富だ.ラヴォアジエに師事して黒色火薬の製造技術を学んだエルテール・イレネー・デュポンはアメリカに亡命して化学メーカーのデュポン社を1802年に創業した.デュポン家は火薬製造で巨万の富を築き,事業の拡大とゼネラルモーターズへの投資によって一族は繁栄を続けている.ジョン・ロックフェラーはStandard Oil Companyを1870年に設立し,1878年までにアメリカ合衆国内の石油精製能力の90%を保持するに至った.アンドリュー・カーネギーは1870年代にピッツバーグで鉄鋼会社を創業し,1901年にJ・P・モルガンに売却してU. S. Steel (United States Steel Corporation)が設立された.当時のアメリカの鉄鋼生産の3分の2を支配していたこの会社の富の源泉は市場の独占にあった.

市場の独占による経済システムの不具合の修正は,法規制によって行われた.独占禁止法(反トラスト法)の制定だ.1890年に連邦議会がシャーマン法を制定し,1914年にはクレイトン法と連邦取引委員会法により独占禁止法は強化された.そして,初めて反トラスト法を執行して大企業を告発したのはセオドア・ローズヴェルト大統領(マッキンリー大統領が1901年に暗殺されて,副大統領から昇任)であり,連邦最高裁から解体命令によってStandard Oil Companyが34の新会社に分割されたのは1911年だった.

日本の独占禁止法は1947年に制定され,イギリスでは1948年に独占委員会が設置され,1973年の公正取引法によって独占規制が強化された.欧州のEU競争法は1957年に制定,中国の独占禁止法は2008年の施行だ.いずれの国も市場を独占する巨大企業が出現したアメリカに対し,半世紀以上遅れた.

財政政策と金融政策
20世紀には激しい景気変動の問題が顕在化した.1929年に発生したウォール街の株価大暴落による1930年代の大恐慌では,不景気となって失業者が増大した.日本では1980年代中頃からバブル景気(不動産や株式などの資産価格が実体経済から乖離する域までの高騰)が始まって土地価格が高騰し,そのバブルが崩壊したのは1991年頃だ.そして,それからは経済低迷の長い時代が始まったのだ.また,2008年のリーマン・ブラザーズの経営破綻によっても急激な世界的な景気変動が起こった.

ニューディール政策は1930年代の大恐慌を克服するために行われた経済活動への介入だ.大量の失業者を雇用して公共施設建設や公共事業を行ったことは失業対策に加えての景気対策だった.政府の財政出動による雇用の確保と民間経済への資金導入が行われたのだ.財政収支は赤字だが,失業率を低下させ経済成長率をプラスに転じることが狙いだ.この政策が不況脱出に効果的であったのかについては議論のあるところだが,第二次世界大戦での軍需の急増によって不況からは完全に脱却した.

その後,政府の財政政策と中央銀行の金融政策は景気を安定化させるための経済施策として常態化した.公共事業による政府の景気対策と中央銀行による公定歩合の調整はインフレを抑制しながら景気を維持するための重要な役割となり,所得格差を是正する措置としては税と給付による所得再配分が行われるようになった.

環境問題
20世紀後半の公害や環境問題は政府による経済への介入を高めることとなった.外部不経済を内部化するための法的仕組みが整えられ始めたのだ.

1952年のロンドンでは家庭用暖炉の石炭から排出される亜硫酸ガスを含む煤塵によってスモッグが発生し,その対策として1956年には大気清浄法(Clean Air Act 1956)が制定された.アメリカでは酸性雨やオゾン層の保護を主な目的として1963年に大気浄化法(Clean Air Act of 1963)が制定され,1970年には自動車排出ガスの規制を狙ったその大幅改正(マスキー法)が行われた.

日本ではメチル水銀に汚染された水俣湾の海産物によって水俣病が発生し,メチル水銀で汚染された川魚が原因の第二水俣病(新潟水俣病),カドミウムに汚染された水や農作物が原因のイタイイタイ病,石油化学コンビナートから大気中に放出された亜硫酸ガスによって起こった四日市ぜんそくが社会問題となった[注1].この対策として1967年に公害対策基本法,1968年に大気汚染防止法が施行された.

さらに20世紀半ば以降の地球温暖化の原因が二酸化炭素などの温室効果ガスの人為的排出であるとの認識が深まって,温室効果ガスの排出量を削減する国際協定が締結された.1992年に採択された気候変動枠組条約や2005年発効の京都議定書だ.現在はこの国際協定に基づいた二酸化炭素の排出規制が進められている.

福祉国家
年金や健康保険制度を通じて富を再分配する福祉国家を目指す政策が第二次世界大戦後のイギリスや北欧などで採用された.19世紀型の夜警国家からの脱却だ.イギリスの労働党内閣(アトリー内閣)は主要産業の国有化を進め,教育や医療も公的予算で賄うようになって社会民主主義による福祉国家への道を歩みだしたが,その反動として経済活動が停滞するようになった.社会保障制度の充実によって失業者への給付が手厚くなり,高所得者への課税が重く勤労意欲が低下したためだ.勤労意欲が高かったのはThe Beatlesだ.1966年にリリースされたTaxmanの歌詞 “There's one for you, nineteen for me (税率95%)” は高い税金を富裕層に課していた時代の象徴だ.

他方,北欧では社会民主党系の政党が政権について,1950年代には戦後の復興を終え1960年代に経済的平等を重視した福祉国家をほぼ実現したが,イギリスのような経済活動の停滞は起こらず福祉国家はいまだ維持されている.租税と社会保障負担の合計額が大きいことでは,日本を含むほぼすべての先進国は福祉国家への道を歩んでいる.

新自由主義とグローバル経済
行き過ぎた国家の経済介入に対する反動が1980年代頃から盛んになった新自由主義だ.サッチャーやレーガンの政策に代表されるように,過度な規制を撤廃し,民間事業者の活力を高める環境を整えることが狙いだ.規制緩和や民営化によって経済を活性化しようとする1980年頃からの新自由主義への揺り戻しは,自由競争の結果を自己責任に帰すことで格差拡大を容認する政策でもあった.

グローバル化もほぼ同時期に進められた.民間事業者の活力を高める方策だ.国家を超えた経済活動によって,製品のコストダウンが図られるからだ.国家間の経済協定は,各国でのグローバル経済の推進に有用だ.鄧小平の改革開放路線が1978年から進んだことにも関係するが,リカードウの比較優位[注2]による国際分業の実現によって世界経済は完全に結合された.その結合を強固にするための国際的な経済協定も締結されたが,国家間の対立が起これば経済への影響は甚大だ.侵略戦争を始める国が現れれば,グローバル経済は縮小する.なお,第一次世界大戦後のグローバル経済は,大恐慌を乗り越えるためのブロック経済の構築によって頓挫した.経済がグローバル化すれば国内政治だけで解決できる問題は限られ,問題解決には国際的な協調が鍵となる時代となった.

新自由主義とグローバル経済は民族格差の問題を浮き彫りにした.エイミー・チュアによれば特定の少数民族が経済を牛耳る場合,国内に暮らす経済的に支配されて貧困生活を強いられる多くの人口を抱える民族の反感・嫉妬・憎悪が政治と経済を支配する少数民族に向かう.虐げられた人々が望むものは貧困からの自由だ.公正な選挙を阻まれて多数者の専制を実現できなければ,その達成には暴力による体制の打倒が選択肢となる.よそ者の支配する市場経済を打破し,多数派が国家を支配すべきと考えるからだ.

他方,グローバル経済は先進国の製造業に続くサービス業の雇用移転によって,国家間の格差を縮めるとリチャード・ボールドウィンは指摘した.リモートでの業務が可能な職種については,言語を共有するフリーランスへの業務委託がまず進められ,次に機械翻訳の発達によって言語の壁が取り払われるとフリーランスへの参入者は格段に増加するからだ.ただし,フリーランスへの業務委託は人工知能を有するロボットが発達するまでの期間限定だ.対面の接客サービスはリモートサービスとなり,接客担当者の言葉が自動翻訳された次の段階では人工知能が接客を担当する.そして,その先には不気味の谷を乗り越えたヒューマノイドが接客サービスを担当することになるのだろう.製造業のグローバル化は物流コストの低減によって可能となったが,サービス業のグローバル化はリモートワークの拡大と翻訳技術の進歩によって実現し,接客ロボットの登場によって終焉を迎えるのだ.

国内産業と法規制
自由主義経済のもとでも国家による経済活動への介入が行われ,営業許可や認可権限を行使した権力による規制が存在する.そして自由と統制の間のどの位置にあるかは業種によって異なるのが実情だ.例えば,医療分野では,独自の診療行為を自由に実施することはほぼ不可能だ.診療事業への参入者は医療行為を実施する資格が必要で,しかも規格化された診療を行わねばならない.しかも,その料金は需給関係や患者との交渉によって左右されるものではなく定額制だ.患者が安価な医療を求めて複数の診療所から相見積を求めるのは無理な相談だ.

それに対し,ガソリンスタンドの営業は少し規制が緩やかだ.一定の資格を得れば開業は可能だから,医療への参入より参入障壁は低いが参入規制は存在する.それに加えて,販売する商品には一定の仕様を満たせねばならず,独自に開発した商品の提供による差別化はほぼ不可能だ.規制が緩やかな部分は価格設定に限られ,医療とは異なって価格競争が許される業態なのだ.パン屋への規制はもっと緩やかだ.開業には衛生に配慮するなどの一定の要件は必要だが,自由に商品開発が可能なのだ.創意工夫を凝らして独自のパンを開発し,自由に価格を設定して販売することができる.

これらの業種への政府の規制が適正なレベルにあるかどうかは不明だが,進化論が示唆するように組織も社会環境への適応するように進化するならば,規制が強すぎれば競争市場から逸脱して,顧客のニーズとは無関係な政府の規制に適応した産業の進化が起こることは容易に予想されることだ.政府の補助金に依存する学校では学費を納める学生とその保護者よりは政府の顔色をうかがう経営を優先し,病気で苦しむ多くの人々を救うよりも病院が優先すべきことは役所から通達された事務作業の処理に邁進することが,自然選択からは導かれる.

権力による経済活動への介入は,その基準を明確にすることが肝要である.権力者に裁量の余地があれば,それは賄賂の温床となるからだ.許認可権限や罰則の適用基準に曖昧さがあれば,事業者の贈賄は保険の性質を帯び,権力者は収賄によって資産を構築するビジネスモデルを展開する.

社会体制の行方
現実の社会体制は統治システムと経済システムを複合化したものだ.統治者の地位獲得とその維持について国民の関与の程度および経済活動の自由と規制のバランスによって多様な社会が生まれる[注3].

アリやミツバチではワーカー(働きアリや働きバチ)を使い捨てにする全体主義社会が発達したが,ヒト社会では技術進歩に伴って社会体制も変貌を遂げてきた.進化論の示唆するところは,自然選択によって社会体制同士の競争で勝ち進んだ体制へと進化するというものだが,民主主義の思想は個人の尊重であり,その個人の判断は道徳的・哲学的・恣意的・利己的だ.心が正しいと信ずるもの,科学的データに基づかない思考,気ままな思い付きなどに損得勘定が入り混じった判断が支配するから,人工知能が生物進化や歴史データから予測する姿とは異なった未来を夢見ている.

念力では世界を動かせないが,夢の実現に向けた行動が世界を変えることができるとの信念はいずれの社会体制にも共通のようだ.社会進化には自然選択に加えて性選択に似たメカニズムも働くとの信念だ.私利私欲を追求する支配者の夢は大衆の悪夢になりがちだが,多数の人が信ずる夢が必ずしもよい夢とは限らない.ただし,支配者が経済を統制して国家を私物化すれば,自由主義経済と善意の主導する民主主義の両立が夢となることだけは確実だ.

[注1] 脂溶性のメチル水銀は食物連鎖を経て生物体内に濃縮(生体濃縮)されるから,低濃度の工場廃液が排出されても,そこで育った海産物の水銀濃度は高まる.フグはテトロドトキシンなどの毒物を餌から体内に取り込み,貝毒も有毒プランクトンから摂取した毒物を体内に取り込んだものだが,フグも貝も健康を維持しているにもかかわらず,それを食べたヒトは毒に苦しむ.一部の生物では毒物耐性を高め,毒物の生体濃縮を防衛に活用できるようなレベルまでの進化を遂げた.環境汚染が進めば,自然選択で選ばれる種は毒物耐性に秀でた種であることは予想されるところだが,毒物耐性を高める進化競争において,ヒトは後塵を拝する種であることも間違いがない.

[注2] リカードウは以下の例によって,比較優位を示した.イギリスでは毛織物の生産には年間100人,ワインの生産には120人を必要とする.他方,ポルトガルでは毛織物の生産には年間90人,ワインの生産には80人を必要とする.この場合,ポルトガルが毛織物もワインも効率的に生産できる.しかし,ポルトガルがワインの生産に特化し,イギリスは毛織物の生産を行う.そしてポルトガルはワインの輸出と引き換えに毛織物を輸入し,イギリスは逆に毛織物と引き換えにワインを輸入することが互いの利益になることを指摘した.ポルトガルは毛織物をイギリスより安く生産できるのだが,ポルトガルはワインの生産に多くの資本を投下した方が有利となるからだ.

[注3] ブランコ・ミラノヴィッチは資本主義を以下のように区分した.1914年以前のイギリスに代表される古典的資本主義,第二次世界大戦後のアメリカとヨーロッパに代表される社会民主主義的資本主義,21世紀初頭のアメリカに代表されるリベラル能力資本主義,および中国,ベトナム,マレーシア,シンガポールに代表される政治的資本主義だ.古典的資本主義は自由放任の夜警国家,社会民主主義的資本主義は修正資本主義の福祉国家,リベラル能力資本主義は新自由主義,そして政治的資本主義は国家資本主義に相当する.国家の経済活動への介入の小さい制度が古典的資本主義とリベラル能力資本主義で,社会民主主義的資本主義では富の再配分を国家が担い,政治的資本主義は官僚に法の縛りのない自由裁量権を与えて経済活動に介入する資本主義制度だ.

文献
1. カール・ポラニー,大転換 市場社会の形成と崩壊,東洋経済新報社 (1975).  
2. アダム・スミス,国富論, 中央公論新社 (1978).
3. デヴィッド・ハーヴェイ,新自由主義 その歴史的展開と現在,作品社 (2007).
4.リカードウ,経済学および課税の原理(第7章 外国貿易について),岩波書店 (1987).
5. エイミー・チュア,富の独裁者,光文社 (2003).
6. リチャード・ボールドウィン,グロボティクス,日本経済新聞出版社 (2019).
7. ブランコ・ミラノヴィッチ,資本主義だけ残った,みすず書房 (2021).

(岡田 明)

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