横浜のバラ園と港を散策する(後編)
大さん橋の近くには1854年に日米和親条約が締結された開港広場公園と1981年に開館した横浜開港資料館がある.開港広場公園にある日米和親条約締結の地の石碑とプレートは横浜市観光協会によるもので,柱は横浜市教育委員会が建て […]
横浜のバラ園と港を散策する(前編)
元町・中華街駅の改札を出てエレベータで屋上まで上がれば,そこは2012年開園のアメリカ山公園だ.公園にはバラが咲き乱れ,元町貝塚があったことを示す解説板も設置されている.その公園を通り抜け,外人墓地の脇の道を昇ると横浜地 […]
溝口さんぽ(No.5)ー周辺の地名についてー
溝口は二子玉川駅から多摩川を渡り、二子新地駅、高津駅と駅間の短い区間を経て、3つ目の駅、溝の口駅が中心になります。蛇足ではありますが、溝口の地名表現には、溝口、溝の口と溝ノ口の3つの表し方が混在しており、ちょっとややこ […]
襲撃現場の確認を兼ねて散歩する
大日本帝国陸軍内には統制派と皇道派の2つの派閥があった.前者は陸軍大臣を通じて政治上の要望を実現するという合法的な形で列強に対抗し得る「高度国防国家」の建設を目指す陸軍大学校出身者を主体とするもので,後者は天皇親政の下で […]
溝口さんぽ(No.4)
四月も中旬になり、桜はすっかり葉桜ないしは花が落ち新しい葉が成長して新緑状態になりました。いつも散歩するコースには桜の代わりにさまざまな草木に色とりどりの花が咲き始めました。博士課程を修了して目黒の下宿を引き払い、しば […]
暗殺現場の確認を兼ねて散歩する
犬養毅は1932年に9名の海軍将校らの一団に銃で撃たれて殺害された.殺害現場となった内閣総理大臣旧官邸は1929年の竣工で1936年までに6代の歴代総理(田中義一,濱口雄幸,若槻禮次郎,犬養毅,齋藤實,岡田啓介)が入居し […]
東京駅の遭難現場をめぐる
東京駅には2枚の遭難現場のプレートが設置されている.凶器が短刀と拳銃の違いはあるが,いずれも単独犯で現職の総理大臣が被害者だ. 立憲政友会総裁の原敬が1918年に内閣総理大臣に任命された.大正デモクラシーの最中での平民宰 […]
維新の三傑の目指したもの
大久保利通は西郷隆盛,木戸孝允(桂小五郎)とともに明治維新の三傑と称される.木戸孝允は1877年5月26日に大腸がんの肝臓転移によって京都で病死(45歳没),西郷隆盛は西南戦争で1877年9月24日に自害(49歳没),そ […]
外桜田門から豪徳寺へ
井伊家は中世の遠江国井伊谷を約500年間にわたって支配したが,戦国時代に一族の多くを失って衰退した.通説では,このとき井伊直盛の娘の次郎法師が家督を継いだとされる.井伊直政の養母の井伊直虎である.井伊家を復興させたのは井 […]