技術英会話エッセイ: 参考にならない英語遍歴 その4 いざ米国へ
英語がお上手な人はパスしてくださいね。
<いざ米国へ>
1986年7月,親や先輩に見送られて成田空港から今はない日航ジャンボ機B747で日本を離れました。それ以前に飛行機に乗ったのは,札幌での学会で,大阪伊丹空港から札幌千歳空港間を往復だけで,海外にでること自体はじめて,したがって海外向けの飛行機搭乗は初めてとなります。
1983年9月1日に樺太沖で,KALのジャンボ機がソ連軍機に撃墜されたことや前年の1985年8月12日に,日航のジャンボ機が御巣鷹山に墜落したこともあり,もう二度と日本の土を踏めないのではないかとの気持ちを抱えながらの渡航でした。
<空から見た米国>
ボーイング747型のジャンボ機の二階の窓側の座席を会社にとってもらいました。窓越しに,朝日が昇るときに,きれいにエンジンの下から日が当たりだすのを驚きながらみていました。
米国に入り,中西部に果てしなく広がる広大な農地をみて,こんな国と戦争したらまずいよなとの思いをいだきました。
<米国到着直後>
(ジョン・F・ケネディ国際空港)
到着した時の記憶は,次に起こるのドタバタが凄すぎたので記憶の彼方いってしまっています。
ただ,入国審査で,留学での入国なのでどきどきしたのを覚えています。
良いこと悪いこと関係なく,自分にとって重要,刺激的なことは,たとえ1分間のできごとでも覚えているものです。
ではでは。
高橋達人 tatsudoc@nifty.com