ダンバー数を超えるとき

複数の個体が集まって,互いに協力する群れ集団を形成する場合には仲間同士が「我ら」で,他の群れは敵対する「奴ら」と区分される.オオカミの群れは,縄張りに侵入した部外者のオオカミを執拗に攻撃して追い払い,チンパンジーは随時,縄張りの境界を数頭のグループでパトロールして,他の群れのチンパンジーが単独でいるのを見つければ,襲い掛かって撲殺する.自群に所属していない見知らぬものは排除しなければならない敵であり,我らと奴らの境界は明白なのだ.

チンパンジーの我ら同士は毛づくろいによって親密な関係を築くが,人は無駄話によって親密な関係を築く.毛づくろいは1対1の関係だが,無駄話では話し手に対して多くの聞き手が参加できるから親密な関係を築くのに効果的だ.親密な関係の数が増大すれば,その情報処理に必要な大脳新皮質も大きくならねばならないとロビン・ダンバーは考え,大脳新皮質の大きさ(ヒトでは脳の全容積の80%)と平均的な群れの規模の関係から外挿したヒトの群れの規模を150人と予想した.これがダンバー数だ.

調査によれば,ごく親しい人(Sympathy Group)の数は10から15名で,顔と名前が一致する人数の上限は1,500から2,000名とされる.ダンバー数はそのいずれでもない.紀元前5000年ごろの近東の村や現代の園芸生活者の村はおおむね150人,頼みごとの出来る知人の数は平均135人,軍隊の中隊の規模もおよそ170人であり,これらがダンバー数にほぼ一致する.ダンパー数は本当に良く知っている関係にある最大人数を示しているらしい.

このダンバー数はチンパンジーやヒヒの集団個体数の平均55のほぼ3倍だ.これは会話が毛づくろいの3倍効率的であることを示唆する.これは1つの会話に関わりうる人数(会話集団)の上限はおよそ4人,すなわち1人が最大3人に話しかけることができるという観察結果に一致するとダンバーは述べている.

現存する社会の調査結果から,エルマン・サーヴィスは未開社会を4つに分類した.バンド(Bands),部族社会(Tribes),首長制社会(Chiefdoms),未開国家(Primitive States)だ.ジャレド・ダイアモンドによればバンドは数十人の規模の小規模血縁集団で,狩猟採集生活を営む血縁関係にある家族が集合したものだ.それを構成する単位は親子からなる核家族であるから,バンドは一種の重層社会でもある.農耕生活が始まると集団の規模は大きくなる.部族社会は血縁集団が集合した言語や習慣などを共有する数百人規模の社会だ.

ダンバー数を超えた集団では互いが見知らぬ人になる.バンドと部族社会は小規模な平等社会だが,首長制社会や未開国家となれば規模が大きいために集権的な階層社会に移行する.首長制社会は世襲制の首長が統治する数千人から数万人の集団,未開国家となれば国王が統治する領土をもった5万人を超えた集団となる.未開国家には国教と寺院があり,国王は神聖視される.文字が発達して法律が成文化され,行政や司法などの複雑な官僚組織の発達も国家の特徴だ.

未開社会から文明社会に移行すれば階層構造はさらに明確になる.アーリア人の支配する古代インドではカースト制が敷かれ,祭祀と軍事を司る征服民族が先住民を支配する階級制社会であった.古代ギリシャやローマの民主制も奴隷を支配する支配階級内での民主化である.中世のフランスも国王が頂点で,第1身分の僧侶と第2身分の貴族が第3身分の商工業者や農民を支配する階級制社会であった.日本の封建時代も武士階級が農民などの平民を支配する階級制社会であり,明治維新によって階級制社会は崩壊しても華族,士族,平民の区分はしばらく続いた.

産業革命を経て封建社会から近代国家に移行したイギリスでも資本家などの上流階級および中流階級と労働者階級に区分される体制が続いた.マルクスは労働者階級が起こす共産主義革命によって,ブルジョア階級が搾取する階級社会を打破してプロレタリア独裁が実現すると考えたが,現実の共産主義体制のもとでは共産党員が支配階級であり,労働者階級は強制労働を強いられる地位にまで下落した.なお,最近のBBCの英国階級調査では,21世紀の新しい社会階級は7つだとも報告されている.

ダンバー数を超えた社会は,見知らぬ人が集う階層社会である.人は親族,学校のクラス,職場の仕事仲間や地域社会など複数の小集団に所属するが,これらを包含する大きな社会に属する他者のほとんどは見知らぬ他人である.親密な関係にある普通の個人は互いに協力し助け合う関係にあるが,これが見知らぬ他人と一緒にいる場合は様相が異なる.何が起こっても傍観者に徹するのだ.アメリカのニューヨーク州で起こったキティ・ジェノヴィーズ事件では暴漢にナイフで刺されて殺害されるまで被害者は大声で助けを求めたが,38人の目撃者の誰ひとり警察に通報しなかった.

ダンバー数を超えた社会では,直接的に忠誠を尽くす集団は顔見知りのメンバーが集う小集団だ.その結果はセクショナリズムになる.大きな会社や官僚組織ではそれぞれの部門に役割が与えられ,その役割を果たすことが求められる.それぞれの部門が与えられた目標を達成するよう仕事に励めば,それは必ずしも組織全体の利益とは一致しないことがある.組織全体のことを考えて与えられた役割を疎かにすれば評価は低くなるだけなのだ.

ダンバー数を超えた社会でうまく機能しているのは人間社会ではなく,真社会性昆虫だ.彼らには組織としての指示命令系統は存在しない.各個体が遺伝子に組み込まれた本能にしたがって行動している.カイガラムシを外敵から保護するミツバアリ,アブラムシを持ち運ぶアミメアリ,蜜を腹部に貯蔵するミツツボアリやキノコを育てるハキリアリは食料確保が,生きた昆虫などを大群で襲って食い尽くす軍隊アリやサスライアリは略奪が,そしてサムライアリはヤマアリの蛹を略奪する奴隷狩りが生存戦略だ.

各種のアリの中でも,多女王制を採用して巨大コロニーを実現したアルゼンチンアリがカリフォルニア州やフランスなどで他種のアリを駆逐して勢力を強めているのは,彼らの生存戦略が縄張り防衛に特化したコロニー間の競争力強化だからだ.蟻の社会では食料確保,略奪,奴隷狩り社会を目指すより,縄張りの強化に注力する社会が優勢になっているようだ.

ダンバー数を超えたヒト社会の最適な様式はまだ模索中なのかもしれない.

文献
1) ロビン・ダンバー,ことばの起源,青土社 (1998).  
2) エルマン・サ-ヴィス,民族の世界,講談社 (1991).
3) ジャレド・ダイアモンド,銃・病原菌・鉄,草思社 (2000).
4) マイク サヴィジ,7つの階級: 英国階級調査報告,東洋経済新報社 (2019).
5) ビブ・ラタネ,ジョン・ダーリー,冷淡な傍観者,ブレーン出版 (1977).

(岡田 明)

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