ワグネルの著した日本のユーモアを読み解く

「日本のユーモア」の原書はJapanischer Humorで出版は1901年だ[1].和訳が1958年と1971年に刊行されている [2].

日本のユーモア(雄山閣)
日本のユーモア(刀江書院)

著者の一人であるクルト・ネットー(Curt Netto)[注1]は1873年に来日して東京大学で採鉱冶金学講座を担当し,原書の序を1900年に記した.そこには原稿が出来上がってから印刷まで15年の歳月が流れたと書かれていて,日本滞在中に両者が纏め上げた著作が陽の目を見るのに長いあいだむなしく待ったとも書かれている.1868年に来日した共著者のゴットフリード・ワグネル(Gottfried Wagener)は,ドイツでの本書の出版を待たず1892年に亡くなっている.

内容は日本で集めた絵画とその説明だ.収集した絵画は日常生活を描いたものでユーモアたっぷりの描写が特徴だ.説明は実地に見聞したことや親切な日本人が口頭で教えてくれたものだ.

第1章 
七福神 七福神の由来と意味 生活と芸術のなかで七福神が果たしている役割 大津絵 日の女神 女神の怒りと贖罪 剽軽な「うずめ」 中国の七賢人 仙人 子供の守護神,地蔵 天人 鬼は外
第2章 
地獄の王,閻魔 「見る目と嗅ぐ鼻」 魔衡と魔鏡 地獄苦 魔女,三途河婆 鬼の恐怖,鍾馗 雷神と風神 金太郎 桃太郎 頼光とその英雄的行為 天帝 天,地および地獄の春 清盛の僭越 龍,その由来およびその意義 その他の神話的見世物動物 鬼の改宗 鬼の台所 角隠し
第3章 
天狗 その由来と転身 牛若丸の稽古 弁慶と義経 武士道の模範 八幡 天狗のいたずら 美概念 長い鼻 
第4章 
自然現象と妖怪 轆轤首 お化け鰻 生命の乗り移った芸術品 探幽とその馬 兆殿司とその鼠 左甚五郎と仁王 粋な仁王 達磨,不機嫌になる 寺とその幽霊
第5章 
人間と動物の関係 不思議な茶釜 舞台装置 黒ん坊 狸と狸の仕業 狐の神話 狐の魔術 狐の復讐 歴史的な狐 犬追物 婚礼の習慣 狐と狸 恩を忘れぬ狐 開基者としての狐 気軽な狐 狸と兎の話 月の中の兎
第6章 
蛸 その善行と悪行 幾本もあって調法な手 龍王の宮廷におけるコンサート 狡猾者の河童 楽器 音楽の力
第7章 
猿 猿のいたずら 猿と亀 猿知慧 芸術批評家としての猿 厩用具としての猿 三国の猿 有名な猿画家 夢遊病に罹かった猿 手長と脚長 猿と蟹 猿の孫悟空 桃太郎の従者としての猿
第8章 
日本画における雀と燕 爺さん婆さんと雀の話 雀踊り 昔話 雀の講演 年始の祝賀者としての雀 仏事の中に囚われた雀 孝行な子供のシンボルとしての鳩
第9章 
蛙 蛙の演奏旅行とコンサート 蛙と詩人 仙人とその蟇 蛇と蛙 蛙蟹合戦 カリカチュアの創始者,鳥羽僧正 家居の蛙 蛙の巡礼 近代的な蛙
第10章 
動物としての人間 植物としての人間 人間でつくられた文字 一頭多身 重面 判じ物 走馬 戯画三昧 詩としての富士山 唐人干し
第11章 
囲碁と将棋 いろは歌留多 茶の湯 茶室にて 団体遊戯 唐八 狐穽し 影絵 誰が最初に笑うか 力試しと技試し 茶釜の中の坊さん 踊り 当意即妙の詩人 亀のスポーツとバッカス祭 酒盛り お化盃
第12章 
子供の生活と運動 利廻りのよい投資,子供 唐子 子供の遊戯 子供の遊び道具としての紙鳶 太閤さまのデビュー 少年少女の祝祭日 青年の模範 学校 時間の尺度としての線香 子供のいたずら 画家としての布袋
第13章 
浮世絵と浮世絵師 北斎 日本馬の誠実さ 狂斎 按摩 盲人 花見 花の中の四大花 春の詩 万能タオル 特効家庭薬(もぐさ) 武士の今昔 日本にいる中国人 花街 水を打っ掛けられた道楽者 気質のよい獅子 田園詩 日本の画家の眼に映った最初のヨーロッパ人 運勢判断 蓮華 富士山崇拝
第14章 
昇る太陽と衰微するロマンチックとの国の新時代 「悪口」 新旧の流行 「銅像の台石」としての芸者 猫と鰻 素朴なモダニズム 神々と豪傑たちとの和解 妖怪の逃亡 新聞と郵便 終

本の構成は,「序」に続いて第1章から第14章まで,そして最後が「巻末に」となっている.掲載されている挿絵には図1から図226までの番号が振られているが,番号の振られていない絵がそれ以外に29枚掲載されているから,全部で255枚の挿絵が掲載されている.その中で,原書でカラー印刷されているものを,和訳ではまとめて最初の部分に移して掲載されている.原書はインターネットに公開されているので,和訳との見比べが可能だ.

挿絵の解説からは,ワグネルらが体感した当時の日本社会を垣間見ることができる.原書の巻頭には「ザクセン王アルベルト陛下に捧げ」と書かれ,「君命を恙なく果たしてまいりました」とも書かれているので公的な出張報告の意味合いも含んでいるのかもしれない.面白そうなところを掻い摘んで紹介しよう.

1.よく知られている伝説の人物として,俵藤太,奪衣婆,鍾馗(しょうき)のことが書かれている.俵藤太は室町時代に書かれた俵藤太物語の主役で,百足退治の伝説で有名となった平安時代中期に実在した藤原秀郷のことだ.奪衣婆は三途川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼のことだ.鍾馗は中国の唐代に実在した人物らしいが,鬼瓦や五月人形に飾られ,鬼より強い鍾馗さんとして親しまれていた.ワグネルの時代には有名人であったとしても,現代となれば「知る人ぞ知る」の存在になってしまったようだ.

2.画家としては,菱川師宣,葛飾北斎,与謝蕪村,狩野探幽などの名を挙げた中で,英一蝶と狂斎(河鍋暁斎)を高く評価しているようだ.英一蝶は江戸時代中期の市井の風俗を描いた画家で,庶民の生活の特徴的な場面を表現することを心得ていた.河鍋暁斎は幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師で,戯画や風刺画を残したきわめて高い才能に恵まれた芸術家だとの評価だ.建築家のジョサイア・コンドル(Josiah Conder)は河鍋暁斎の弟子だ.

3.婦人は母であるか,近く母になる見込みがあれば眉を剃っていたとも書かれている.明治以降に引眉とお歯黒は廃れたはずだったが,ワグネルの時代にはまだ残っていたようだ.

4.金太郎の母は子を連れて森の中に逃れて山姥となった.天狗は騒音を伴って出現する隕石を人に化したものだ.鯉は絶えず滝のぼりを試みて成功して龍になった.これらは親切な日本人が口頭で教えたものだと思われる.

記述の内容の真偽は慎重に見定める必要がある.実地に見聞したことは概ね正しいだろうが,口頭で教えられたことには注意が必要だ.事実,フィールドワークをもとに「Coming of Age in Samoa (邦訳:サモアの思春期)」を1928年に著した20世紀のアメリカを代表する文化人類学者マーガレット・ミードは[注2],サモアの少女たちの悪ふざけにまんまと引っかかって完全な偽情報に基づいてベストセラーを著しただけでなく,当時の氏・育ち論争にも奇妙な影響を与えたと言われている[3, 4, 5].

[注1] クルト・ネットーは日本の鉄鋼業を指導したお雇い外国人だ[6a, 6b, 6c, 6d, 6e, 6f, 6g].日本で高炉による初出銑が行われたのは,鹿児島の集成館高炉だ.1854年に薩摩藩主の島津斉彬の主導で行われ,木炭を用い,水車による送風が行われた.日本近代製鉄の父と称される大島高任は釜石に西洋式高炉を建造して,1858年に鉄鉱石製錬による本格的連続出銑に成功した.反射炉については1850年頃に佐賀藩で建造されたものが本邦初だが,1853年に江川坦庵が伊豆韮山に建造した反射炉は2015年に世界文化遺産に登録された.明治時代にはお雇い外国人技師の指導で技術導入が進められ,クルト・ネットーが来日して東京大学で渡辺渡や野呂景義を指導した.物理冶金の本多光太郎は長岡半太郎の弟子だが,野呂景義の弟子には官営八幡製鉄所を経て日本鋼管でトーマス転炉を創始した今泉嘉一郎や金属組織学の俵国一がいる.そして三島徳七は俵国一の弟子だ.渡辺渡や野呂景義や今泉嘉一郎はフライベルク鉱山大学(Bergakademie Freiberg)に留学して,レーデブーア(Adolf Ledebur)に師事した.レーデブーアは19世紀の世界有数の鉄冶金学者であるばかりでなく,生産現場での豊富な技術経験があり,官営八幡製鉄所の建設にも貢献した.

[注2] 少なくともマーガレット・ミードは大衆に誤った幻想を抱かせるのに貢献した.その成果は1960年代半ば以降に起きた性の革命だ.1936年に刊行されたヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich)の「The Sexual Revolution(邦訳:性と文化の革命)」とともに影響を与えた[7].

文献
1. C. Netto, G. Wagener, Japanischer Humor, F. A. Brockhaus (1901).
2. C・ネット,G・ワグナー,日本のユーモア(高山洋吉訳),雄山閣 (1958).
 C・ネット,G・ワグナー,日本のユーモア(高山洋吉訳),刀江書院 (1971).
3. マーガレット・ミード,サモアの思春期,蒼樹書房 (1976).
4. デレク・フリーマン,マーガレット・ミードとサモア,みすず書房 (1995).
5. Margaret Mead and Samoa (1988): https://youtu.be/GOCYhmnx6o8
6. 例えば,(a) 飯田賢一,日本鉄鋼技術史,東洋経済新報社 (1979).
 (b) 的場幸雄,鉄冶金学の系譜,鉄と鋼,71 [11] 1452-1459 (1985).
 (c) 飯田賢一,人物・鉄鋼技術史,日刊工業新聞社 (1987).
 (d) 飯田賢一,日本鉄鋼技術の恩人たち―初代会長野呂景義博士につらなる人びと,鉄と鋼,73 [7] 751-760 (1987).
 (e) 金光男,一枚のスケッチ"Japanische Kuste"から復元されるNetto小坂鉱山への道,地球科学,60 [4]  287-300 (2006).
 (f) 森田一樹,表紙の顔:クルト・A・ネットー,学術の動向,19 [2] 3 (2014).
 (g) 田中和明,材料科学の先達~その2~Curt Nettoと日本Metallurgy事始め,まてりあ,55 [5] 215-220 (2016).
7. W・ライヒ,性と文化の革命,勁草書房 (1969).

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