東工大のペロブスカイト研究と誘電体

コンデンサーやPTCサーミスタに応用されているチタン酸バリウム(BaTiO3)や代表的な圧電材料[注1]のPZT(PbZr1-xTixO3)はペロブスカイト型の結晶構造だ[1].

高温超伝導体として20世紀末に急に脚光を浴びた銅を含む複合酸化物もペロブスカイトによく似た結晶構造を持つ化合物であり,ペロブスカイト型化合物は超交換相互作用による磁性の発現[2, 3]や触媒機能[4]に関心を持たれた時期もあったが,最近ではハロゲン化鉛系ペロブスカイト半導体(CH3NH3PbI3)が太陽電池材料として注目されている[5a, 5b, 5c].

チタン酸バリウムの強誘電性の発見には第二次世界大戦中のコンデンサー材料開発の軍事研究が係わっている.戦局が悪化し始めた1943年ごろ,陸軍は全日本科学技術連合隣組を発足させた.その中の一つの「全科技連 8012研究隣組,高誘電率材料研究会」には,大学や官・民の研究機関から選ばれた研究者が組構成員(組長,世話人を含む25名)として参加していた[1, 6].

アメリカ,ソ連でチタン酸バリウムの誘電率の異常が発見されたほぼ同時期に日本でも発見がなされたのはこの軍事研究の賜物だった[1, 6, 7].アメリカでは正確な日時は特定できないものの1942年にE. WainerとA. N. Salomonが,日本では逓信省電気試験所の小川建男と和久茂が1944年1月31日に[8],ソ連ではB. M. Vul と L. M. Goldmanが1944年11月6日に発見した.そうは言ってもアメリカとソ連は直ちにD-E履歴曲線を測定して強誘電性を確認したが[注2],日本ではこれらの検討を戦後になって行ったので厳密にはチタン酸バリウムの強誘電性が日本でも独立に発見されたとは言い難いとの指摘もある[7].

チタン酸バリウムの研究が日本の大学で開始されたのは1946から1947年のころで,主流は東大理学部(高橋秀俊),東大第二工学部(髙木豊,沢田正三),小林理学研究所(三宅静雄,上田隆三)などだった[6].そのなかの髙木研一同が1948年に東大第二工学部から大岡山へ移り[1, 6],東京大学理工学研究所の沢田研(沢田正三と野村昭一郎)も1958年頃に大岡山に移動した[1, 9].東工大でペロブスカイト研究が行われるようになった経緯は人材の移動だったのだ.

PZTの発見は東工大の髙木研で行われた1952年の研究によるものだ[6, 10,11].反強誘電体PbZrO3のZr成分を少量のTi成分で置換(PbTiO3は強誘電体)すると新しい相が現れたのだった.Zrの一部をTiで置換すると三方相の強誘電相となり,さらに置換量を増すと正方晶の強誘電相となった.なお,この三方相と正方晶の強誘電相の境界付近の組成で圧電定数が大きくなることを発見したのはNBS (National Bureau of Standard,現在のNational Institute of Standards and Technology)のBernard Jaffeらだ.PZTは強誘電体であるから,焦電性や圧電性といった機能を自動的に有することになるが,最も利用されているのは圧電性を利用したセンサーやアクチュエータとしての応用だ[12, 13, 14].

東京工業大学における圧電体の研究は古賀逸策の水晶振動子の研究[注3]に遡ることができるが,チタン酸バリウムやPZTの開発は軍事研究に関係があり,東工大の研究が活発になったのは戦後にペロブスカイト系強誘電体の研究者が東京大学から東工大に移ったためだった.しかし,チタン酸バリウムが発見された直後にD-E履歴曲線を行わなかったこと,PZTを発見しながら圧電定数が大きくなる組成を特定しなかったことは反省点だ.

材料研究に続く段階としては,量産化と用途開発,そして部品開発がある.この領域では,積層セラミックチップコンデンサや圧電アクチュエータを産み出した日本の貢献はすこぶる大きい.

[注1] すべての強誘電体には焦電性があり,すべての焦電体は圧電性を有する.

[注2] 電界Eに対する電束密度Dの変化を測定して,その関係をプロットしたものがD-E履歴曲線だ.真空中では分極は起こらないので,電束密度Dは,D = ε0 Eの関係にある.ここでε0は電気定数(真空の誘電率)だ.しかし,誘電体では分極Pが生ずるため,電束密度がそれだけ大きくなる(D = ε0 E + P).さらに分極が電界に比例する場合(P = χε0E,ここでχは電気感受率)には,誘電率εを用いてD = ε E (比誘電率εr = ε/ε0を用いればD = εr ε0 E)と書くこともできる.誘電体内では誘電率は正で真空より大きく,比誘電率は εr > 1 である.そして強誘電体では自発分極が起こるので,比誘電率は極めて高い(εr >> 1).

[注3] 水晶(クォーツ)に圧電効果が見出されたのは1880年のことで,ジャック(Jacques Curie)とピエール(Pierre Curie)のキュリー兄弟によるものだ.そして水晶振動子が開発され,クォーツ時計が製作された.世界初のクォーツ時計が作られたのは1927年で,真空管を用いていたので大型で高価だった.当時の水晶振動子の問題点は,共振振動数は寸法に影響を受けるので,温度変化によって共振振動数が変化することだった.この解決策に取り組んだ東京工業大学の古賀逸策は1933年に水晶を切り出す角度を工夫してR1板(米国ベル研究所はこれをATカットと後に名付けた.開発した古賀が名付けた名称ではなく,ベル研究所による名称が現在は一般的となっている)と名付けた水晶振動子を開発し,共振周波数の温度依存性を格段に減少させた[15].そして1936年には,この水晶振動子を使った古賀型クォーツ時計を試作した.その後のクォーツ時計の開発目標は小型化であり,真空管からトランジスタへの転換が進められ,1963年にセイコーが開発した卓上型クォーツ時計は東京オリンピックの公式計時装置に採用され,クォーツ腕時計は1969年に45万円で発売された.

文献
1. 村田製作所,驚異のチタバリ,丸善 (1990).
2. 野村昭一郎,中川雄彦,ペロブスカイト型複合酸化物の合成とその物性,日本物理学会誌,24 [3] 453-454 (1969).
3. 渡辺浩,武田隆義,ペロブスカイト型化合物の磁性,日本物理学会誌,25 [9] 645-656 (1970).
4. 寺岡靖剛,山添昇,ペロブスカイト触媒,表面科学,11 [2] 83-89 (1990).
5. 例えば,(a) 宮坂力,高効率で進化する有機無機ペロブスカイト太陽電池,応用物理,83 [2] 92-97 (2014).
 (b) 宮坂力,ペロブスカイト太陽電池の研究開発動向,Electrochemistry, 84 [6] 439–444 (2016).
 (c) 宮坂 力,ペロブスカイト太陽電池の発見の背景と学際研究の推進,応用物理,88 [7] 432-436 (2019).
6. 沢口悦郎,チタン酸バリウムの強誘電性が発見されたころ,応用物理,75 [10] 1202-1209(2006).
7. 沢田正三,新強誘電体の発見をめぐって,日本物理学会誌,51 [9] 633-638 (1996). 
8. 小川建男,チタン酸バリウム磁器に就て,物性論研究,1947 [6] 1-27 (1947).
9. 沢田正三,野村昭一郎氏の追慕,日本物理学会誌,39 [5] 453-454 (1984). 
10. Etsuro Sawaguchi, Ferroelectricity versus Antiferroelectricity in the Solid Solutions of PbZrO3 and PbTiO3,J. Phys. Soc. Jpn, 8 [5] 615-629 (1953).
11. 渡邉隆之,驚異の PZT,精密工学会誌,86 [3] 213-216 (2020).
12. 高橋貞行,圧電セラミックアクチュエーターとその応用,応用物理,54 [6] 587-588 (1985).
13. 高橋貞行,微小変位制御用圧電セラミックアクチュエータ,電氣學會雜誌,106 [6] 565-568 (1986).
14. 内野研二,圧電/電歪アクチュエータ,森北出版 (1986).
15. 古賀逸策(1899-1982) 「温度に影響されない水晶発振器の発明」
  http://www.cent.titech.ac.jp/professor_emeritus/koga_issaku_ja.pdf

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