フェライト磁石と東工大(その2)
磁心に使われる軟磁性材料には鉄損の低いことが求められる.鉄損は交番磁界を与えたときのエネルギー損失だ.これは主に交番磁界によって磁壁が運動することによるヒステリシス損と磁心(鉄心)の中に生じる渦電流による損失からなる.
ヒステリシス損も渦電流損も周波数が高いと大きくなるので,テープレコーダーや磁気ディスクのような高周波で使用する磁気記録では渦電流損を小さくするために電気抵抗の高い材料が好適だ.そのため記録を書き込む磁気ヘッドにはフェライト磁石が多用された.他方,比較的低周波で駆動させる発電機やモータおよび変圧器などでは透磁率が高く飽和磁化も大きな電磁鋼(ケイ素鋼など)を使用し,渦電流を抑えるため両面に絶縁加工を施した薄い材料を重ねた構造とすることが一般的だ.これは渦電流の大きさが板厚の2乗に比例するためだ.
東京工業大学の開発したフェライトの工業化を目的とする東京電気化学工業株式会社(現在のTDK)を齋藤憲三が設立したのは1935年だった.1937 年にはフェライトコア「オキサイドコア」の生産が始まり,1938年にはフィリップス社に輸出した.フィリップス社はオランダ国内で1941年にフェライトの特許を出願し,日本でも1949年に特許を出願した[1].この特許はドイツや他国では加藤と武井の実績があったので却下されたが,日本では1950年に認められた.フェライトコアは酸化物磁性体による磁心だから,電気抵抗が高くコアの発熱を抑えられる利点がある.
磁気記録方式は情報が書き込まれる記録媒体,情報を書き込む磁気ヘッド,そして記録された情報の読み取り機構の3つから構成される.1898年に開発されたポールセンの鋼線式磁気録音機(Wire Recorder)は鋼鉄製の針金に音声を記録するものだ.記録媒体を針金から磁性粉を塗布した磁気テープに変更したものがテープレコーダーだ.磁性粉としては針状のガンマヘマタイト(γ-Fe2O3)が用いられ,その後は二酸化クロム,メタル磁性体(Fe-Ni系合金粉末),コバルト蒸着,バリウムフェライトなどへの改良が進んだ.その後の記録媒体の進化は磁気テープから磁気ディスクへの移行だった.
磁気記録における情報書き込みは電磁石として機能する磁気ヘッドを使って行う.着磁していない永久磁石を記録媒体に用い,磁気ヘッドを記録媒体に近づけて巻き付けたコイルに通電すれば磁気ヘッドに設けられたギャップに発生する磁場によって記録媒体が磁化されて情報が書き込まれる.磁気ヘッドのギャップが狭ければ磁化される領域は小さくなって記録密度は高くなるから,その後の漸進的な技術進歩は記録媒体と情報書き込み用の磁気ヘッドおよび情報読み取り方式の3つの領域で起こり,革新的な技術進歩としては光磁気ディスクの発明があった.
磁気データの読み取りは,磁気ヘッドを近づけたときの磁化された記録媒体の磁力で,読み取り用の磁気ヘッド(情報書き込み用との兼用)が磁化されてコイルに電流が流れることを利用する方式がテープレコーダーやビデオデッキやフロッピーディスクなどに採用されていた方式だ.現在でもハードディスク(HDD)に利用されているが,磁気ヘッドと記録媒体は改良を積み重ねて大きく変化している.1960〜70年代はバルク型のフェライトヘッドをHDDの磁気ヘッドとして使用していたが,その後は薄膜ヘッドに置き換わった.磁気記録の方式も水平磁気記録方式から垂直磁気記録方式へと移行した.
その後のデジタル情報記録装置としては光磁気ディスク(MO: Magneto-Optical Disk),光ディスクの一種のCD(Compact Disc)やDVD(Digital Versatile Disc),フラッシュメモリを用いたUSBメモリやSSD(Solid State Drive),不揮発性メモリのEEPROM (Electrically Erasable Programmable Read-Only Memory)を利用した非接触ICカードなどが開発された[2a, 2b, 2c, 2d, 2e, 2f].
このうち光磁気ディスクはレーザー光パルスを裏面から照射して膜の温度を局所的に上昇させて保磁力が減少させ,そこに反対面から電磁コイルを近づけて情報を書き込む方式だ.読み取りは直線偏光のレーザー光を垂直磁化膜に入射させて反射光の偏光面のずれによって磁化の有無を判定して情報を読み取る.これはカー効果と呼ばれる磁気光学効果の応用だ.光磁気ディスクの発明は磁気記録における革新的な進歩だったのだ.
磁気メモリは磁化の有無によって情報を記録する不揮発性メモリだが,半導体メモリでは集積回路のコンデンサー内に蓄積された電荷の有無による.半導体メモリのコンデンサーを強誘電体としたものが強誘電体メモリ(FeRAM: Ferroelectric Random Access Memory)だ.強誘電体の残留分極の方向によって情報を記録する.
光ディスクは製造時に形成された微細な凹凸によって情報を記録し,半導体レーザーによる反射光の強さで情報を読み取る.この方式では情報の書き換えはできないが,有機色素が塗布された金属膜を用いると1回限りの書き込みが可能となる.レーザー光で色素を焦がして反射率を低下させて情報を記録するのだ.
複数回の書き込み(リライタブル)を可能とした光ディスクは,アモルファスと結晶の相変化を利用したものだ.光ディスクの表面に強力なレーザー光を照射すると結晶がアモルファス化される.加熱された領域が急冷されるためだ.読み取りには弱いレーザー光が用いられ,結晶部とアモルファス部の反射率の違いによって情報を読み取る.なお,情報の消去は強いレーザー光を照射して徐冷する.
東工大発のスピネルフェライト型の磁性材料は永久磁石としての寿命は短かったが,軟磁性材料としては磁気ヘッドとして長い間重宝された.しかし,現在では磁気記録方式はHDD以外ではほとんど利用されず,カセットテープや光磁気ディスクは姿を消し,磁気ストライプカードも半導体メモリを組み込んだICカードへの移行が進んでいる.光磁気ディスクは磁気記録の革新であったが,光ディスクや半導体メモリは記録技術の革新だったのだ.それにしてもフィリップス社の特許はなぜ日本で認められたのだろう.1930 年の加藤・武井特許の存在を見落としたのか,故意なのかは未だ闇のなかだ[1].
文献
1. 加藤与五郎(1872-1967) 「フェライトなど酸化物材料の発明と工業化への貢献」
http://www.cent.titech.ac.jp/e66843ecac34c97db20c22b71bdb0ca8e022fa09.pdf
2. たとえば,(a) 小林春洋,図解 わかりやすい高密度記録技術,日刊工業新聞社 (2008).
(b) 滝沢聖浩,セラミックスアーカイブズ 磁気テープ,セラミックス,42 [5] 391-392 (2007).
(c) 中村慶久,磁気記録の高密度化と材料,日本金属学会会報,24 [8] 646-652 (1985).
(d) 藤田輝雄,光ディスク技術の変遷,電気学会誌,121 [8] 555-558 (2001).
(e) 石本努,光ディスク技術の変遷と技術動向,電気学会誌,131 [12] 827-830 (2011).
(f) 角南英夫,半導体メモリ,コロナ社 (2008).