新年のご挨拶(その2)
新年がめでたいのはなぜだろう
広報担当・副会長 岡田 明
早いもので,ホームページの装いが新たになってから半年を迎えます.初めの頃は使い慣れるまで,事務局からのサポートが必要になるかもしれないとの危惧もありましたが,実際に使ってみると意外に使い勝手もよいとの声も届いており,今となっては,多くの会員の皆さまにも活用をいっそう強くお勧めしたいと思うようになってきました.というわけで,会員の皆様からの寄稿・投稿をお待ちしています.
また,会員の皆様の著作紹介や個人ホームページの紹介につきましては,漏れが多々あるのは承知しています.しかしながら,ご本人の承諾なしに掲載するのは考え物だということで,ご紹介は差し控えているものがあります.これについても,掲載承諾のお申し出をお待ちしています.
さて,閑話休題.
新年がなぜめでたいのかさっぱりわからないので,調べてみました.それによると
古代の日本人は,人が死ぬとその魂は1か月間家の棟に,1年は村はずれの一本木に,のちに山に行って山の神になると信じていた.そして,春には里に降りて米作りを見守る田の神に,すべての生物が躍動する春を迎える正月には年神として子孫の繁栄を見守ると信じていた.
元旦に年神様を神棚にお迎えする先祖祭には準備が必要だ.暮れの大掃除は神棚や仏壇を清めるためだ.門松は神様を迎えるための目印(依代)だ.おせち料理は年神様に供えるための料理だ.これを作り置きするのはかまどの神様にお休み頂くためだ.
魂の形をかたどった丸い鏡餅は年神様にお供えするためのものだ.年神様に供えた餅には年神様の魂が宿る.これをお下がりとして,家長が家族に分け与える.お雑煮の餅は年神祭の神人供食の儀礼に由来するのだ.なお,供えた餅を子供たちに食べさせることは年神様の魂(お年魂,お年霊)をいただくことと見なし,このお年魂が転じてお年玉になったと言われている.
正月に祝いの品を目上の人が贈る風習は室町時代からあったが,江戸時代になると現金も贈られるようになった.お年玉に餅や物品を贈ることが廃れ,ほぼ現金給付となったのは昭和の高度経済成長時代の頃とされる.
昔の人は年齢を数え年で数えた.正月が来るたびに年神様から1つ年を頂いて皆が一斉に年を取るのだ.お迎えする年神様は手土産にお年玉ではなく年を持ってくる.だから,正月はみんなの誕生会になる.
そうか! 新年がめでたいのは,お誕生日おめでとうなのだ!
というわけで,これをもって,皆様のお誕生日を祝しての新年のご挨拶とさせていただきます.