イノベーションを生みだすもの(その1)
イノベーションにはさまざまな革新が含まれる.新技術を開発して新規な製品を創出する技術革新がイノベーションにおいて重要であることに間違いはないが,その領域のみに限定するのは狭い見方だ.製造や販売においても生産性を高めるイノベーションが着々と進行し,新製品の開発には技術開発に加えてマーケティングも貢献しているからだ.
販売のイノベーション
対面販売の歴史は古い.江戸時代の呉服店では,まず店が客に品物を提示し,次にその価格交渉が始まるという方式が一般的だった.しかし,1673年開業の三越呉服店が行った販売方式は当時の常識を覆す画期的な商法だった.商品を定価で販売し,その対価を現金で支払うのだ.
1852年にパリで開業したボン・マルシェ百貨店は複数の専門店から構成された初めてのデパートだ.値札のついた商品がショーケースに展示され,定価で販売される.三越呉服店に始まる定価販売の店舗が集合した施設が誕生したのだ.商店が一箇所に集まればショッピングには便利だから,商店街の屋根をアーケードで覆ったアーケード街や複数の店舗が入居する大型商業施設(ショッピングセンター)も似た発想で誕生したイノベーションだ.
来店した客が商品を選び集中レジで精算する販売形態は,1916年にグロサリーストア(Piggly Wiggly)で始まったとされる.そこでは食料品から日用品まであらゆる種類の商品が売られていた.その後,冷蔵・冷凍技術が進歩すると生鮮食品も売られるようになってスーパーマーケットへと進化を遂げた.さらにモータリゼーションの普及によって自家用車で買い物に行く文化が生まれると,大量の商品を購入するためのショッピングカートと駐車場を備えた大規模スーパーマーケットが誕生した.1970年代には手打ち式のレジがバーコードスキャン式に進化し,1996年には精算もセルフサービスで行う完全自動セルフレジが登場した.販売の生産性はイノベーションの進行とともに高まった.
クレジットカードとインターネットの発達は新たな販売方式を生みだした.インターネットで商品を発注し,クレジットカードで支払いを済ます.そして,商品は配送センターから顧客に宅配便で配送する.カタログ販売やテレビショッピングなどと同じ通信販売の一種だが,インターネットを利用すると顧客の選べる商品の多様性は格段に増大する.インターネットショッピングの普及とともに,小売店は暇になり運送業者は忙しくなった.
生産のイノベーション
手工業は伝統的な生産方法であり,生産性は低く,その品質は職人の技能に依存する.手工業に分業制を取り込むと生産性が向上することを指摘したのはアダム・スミスだ.ピンの製造工程を例示し,作業工程を分割して担当する作業員が単純作業を繰り返すことで生産性が向上することを指摘した.すべての工程を1人で作業することに比べて,各人が単純作業に特化することで全体として生産性が高まる.実際,分業による生産性向上はフォードの自動車製造工程(T型フォード)で大きな効果を発揮した.従来の製造に比べて,はるかに低コストでの大量生産が可能となったのだ.
機械化も生産性を高める秘策だ.職人が道具を扱うのではなく,オペレータが機械を操作して生産性を高めるのだ.実際,18世紀の綿製品の生産性は紡績機と織機の発達によって急速に向上した.大量の綿布が生産されれば,次に衣服制作の機械化への要求が高まる.ミシンの開発も既存技術を少しずつ改良して進められたが,経済的成功を収めたのは1856年に特許権を巡る法廷闘争をパテントプールで決着させ,足踏み動力式の家庭用ミシン(Turtle Back)を市場投入したアイザック・シンガーだった.そして,巨額の富を得たシンガーは重婚を含めて5人の女性と結婚して24人の子を儲けたとされる.
自動車の組み立て工程には多くの作業員が携わっているが,鋼板プレスや溶接工程では自動化が進んだ.作業員が機械を操作する機械化から溶接ロボットなどが活躍する作業員不要の自動化へと進化した.このように多くの生産現場では機械化から自動化への流れが進み,完全自動化された工場では監視業務以外に人の気配は皆無だ.19世紀には機械化が進み,20世紀には自動化が進んで生産のイノベーションは現在に至っている.
商品開発のイノベーション
新製品開発の一般的な手法は消費者のニーズに合うような改良を加えることだ.基本性能の向上に加え,役に立つ機能を追加して使い勝手を良くする.そして,無駄な機能を省いて価格を下げる.この繰り返しによって製品の仕様は次第に収束し,各社の製品は似たり寄ったりとなる.この段階に達するとコストが最重要となり,人件費を含む製造コストから販売コストに至るコスト低減の競争が激しくなる.そして,この競争に勝ち抜けば,市場をほぼ独占するようになる.消費者の嗜好が反映される最終製品ではある程度の多様性が維持されるが,製品規格化の進んだ素材や部品産業ではこの傾向は顕著だ.
新製品開発のもう1つの方法は,既存技術を組み合わせて新たな用途に供する商品の開発だ.例としては,古くはラジオとカセットテープレコーダーを組み合わせて,ラジオで放送される音楽を録音する機能を付与したラジカセ,カセットテープレコーダーの録音機能とスピーカーを取り除きヘッドホンを取り付けたウォークマンなどがある.空気を循環させることを目的として扇風機の構造を微修正したサーキュレーターや携帯扇風機などもそうだが,基本的な機能は維持したままで使用目的が従来とは異なる商品の開発だ.このような商品開発においてマーケティングは有用だが,市場調査を行えば消費者が欲しがる商品が必ずしも明らかになるとは限らない.開発者の思い込みと強い熱意によって実現したケースが多いようだ.
技術開発のイノベーション
新規な製品を生み出す技術革新については,いくつかのパターンがある.最もよく見られるパターンはアイデア主導型だ.紡績機や織機のような繊維機械のイノベーション,蒸気機関のイノベーションなどに見られた創意工夫によって技術革新が進んだケースだ.
アイデア主導型の技術革新は,日常生活を通じて得られる経験的知識,および観察や実験を通じて得られた科学的知識のなかで義務教育等に組み込まれた一般的知識の応用が中心だ.マット・リドレーが指摘するように,イノベーションではアイデアが重要な位置を占めるが,アイデアは傑出した発明家のひらめきによるとするのは誤りだ.イノベーションは小さな改善を積み上げるプロセスであり,既存の方式を多くの人が係わって繰り返し改善することで漸進的に進歩することが,このタイプのイノベーションの実態だからだ.
20世紀には,最先端の科学知識をもとにしたアイデア主導型の技術革新も盛んになった.核兵器開発,ゲノム編集による遺伝子操作,量子コンピュータ,ブロックチェーンや暗号化通信などだ.これらの分野では最先端の科学的知識の獲得がイノベーションと深く結びついているから,科学的知識の直接的な応用と見なすべきかもしれない.ただし,そのアイデアの実現には関連する技術開発も必要であり,大掛かりな開発プロジェクトの実施が必要な場合が多い.
第2のパターンはアイデアを実現するための数多くの試行錯誤が行われて,目標達成に至るケースだ.白熱電球の開発やハーバー・ボッシュ法によるアンモニア合成の触媒探索など,材料開発や触媒探索のような化学分野に特徴的なパターンだ.試行錯誤を通じて得られた知見が科学の発展に資することも,このケースの特徴だ.一般に機械技術や電気技術のイノベーションには創意工夫が重要と考えられているが,ミュール紡績機の発明についてはクロンプトンの7年にもわたる試作の繰り返しを要したので,創意工夫よりも試行錯誤の寄与が大きい発明だったのかもしれない.
第3のパターンはセレンディピティによる不連続的な進歩だ.思いがけない発見によって,当初は意図していなかった技術ができあがってしまうものだ.ウィリアム・パーキンが発見した世界初の合成染料モーヴ(Mauve)やアレクサンダー・フレミングのペニシリン発見の逸話は良く知られているが,テフロンやケブラーの開発も思いがけない発見によるものだった.セレンディピティの多くは化学反応や医学・生命科学に関わるもので,理論的な予測が困難な分野に散見されることが特徴だ.代表的な例外は,電気モータの開発だ.1869年にグラム発電機を開発したゼノブ・グラムは,1873年のウィーンの産業博覧会で展示していた発電機の配線を誤り,発電機に電力が供給された.すると,発電機が回転を始めたのだ.これは発電機が電気モータとして機能することの偶然の発見だった.
最後のパターンはセレンディピティにアイデアが追加された複合的なものだ.フローリーらによるペニシリンの生産,害虫耐性作物の開発などだ.セレンディピティによる発見の直接的な応用ではないが,後にそれを応用するアイデアが付け加わって技術革新が起こる場合がある.さて,それぞれの詳細については次号以降で述べることにしよう.
文献
1. 岡田 明,イノベーションのこれまでとこれから (2021).
2. マット・リドレー,人類とイノベーション,ニュースピックス (2021).
3. 結城義晴,日本発チェックアウト・サービス革命の内側,New Balance,[85] 2-7 (2014).
4. Akira Okada, Introduction to Industrial Technology – Research and Development for Technological Progress, Nova Science Publishers (2013).
5. アダム・スミス,国富論, 中央公論新社 (1978).
6. R・M・ロバーツ,セレンディピティー,化学同人 (1993).
7. モートン・マイヤーズ,セレンディピティと近代医学,中央公論新社 (2010).
(岡田 明)