産業革命の諸段階と新しい資本主義
収入が増えて購買力が高まり,質の高い商品を購入するようになって生活水準が向上する.実際にパソコンやスマホの性能は年々高まり,自動車もモデルチェンジ毎に安全性や利便性の向上がみられ,果物などの農作物も品種改良が進み,医薬品や検査技術を含む医療技術の進歩も日進月歩だ.あるいは商品の質には変化がなくても,環境保全や労働環境の改善にコストをかけて生産工程を見直すことも生活の質の向上に寄与する.
質の高い商品価格は高いから売買取引の総額は増加して国家統計のデータにも反映され,1人当たりのGDPは緩やかに上昇する.GDPが生活水準を測る尺度として援用されるのはこのような理由からだ.しかし,GDPには生活の質が捨象され,貨幣獲得のための労働時間や労働に伴う肉体的な苦痛や不快感は組み込まれておらず,技術革新によって苦痛や不快感が軽減された生活様式の改善も,改良されて性能の高まった新製品の登場による便益も取り込まれていないのだ.
元来,生活水準は経済活動よりは技術水準との関係が深い.社会的分業の深化によって細分化された職業が成立し,社会的分業の実施に伴って経済取引が発生する.そして,その取引額の総和であるGDPの増加によって生活水準の向上が起こったと見なしているに過ぎない.
ロバート・ゴードンは南北戦争以降150年間のアメリカ経済を解析した.ローマ時代から1770年まで世界経済にはほとんど成長が起こらなかったが,その後の100年間にはわずかな成長がみられた.それは主に製鉄技術と蒸気機関の進歩によるもので第1次産業革命の成果だ.1770年から1820年までに基本的な発明が行われ,それが1820年から1870年までの鉄道や蒸気船などの輸送技術および電信による通信技術の革新をもたらしたのだ.
ゴードンは1870年からの100年を過酷で不快な肉体労働から解放される急激な変化の起きた時代と位置付けている.アメリカの生活水準は1870年から1940年にかけて大幅に向上し,電気と内燃機関の技術進歩を起こした第2次産業革命が家事労働からの解放を促して生活の質が向上し,労働生産性の大幅な上昇が1920年から1970年の間(1928年から1950年の間はとくに顕著)に起こったと述べている.これは1920年以前に見出された科学的な知見をもとに基礎技術が発達を遂げ,その漸進的な技術改良が家庭の内外に普及したからだ.
食料品販売にはチェーン店,衣類はデパートやカタログ販売が普及し,住宅には電気,ガス,上水道,下水道および電話が接続されてネットワーク化が進んだ.水平移動には自動車が,垂直移動には電動エレベータが利用されるようになり,都市内交通では鉄道馬車から路面電車に移行し,都市間交通には蒸気機関車が活躍して便利な生活が実現した時代だ.外科手術の麻酔,心電図やレントゲン,網戸の普及などに加えて衛生環境が改善されて感染症が減少して寿命が長くなり,職場や家庭環境の改善が進んで危険な重労働から安全な軽作業への転換が進んだことも生活の質の向上に寄与した.所得変動によるリスクを軽減する各種保険制度の発達もこの100年間に起きたことだ.情報通信や娯楽については,映画やラジオからテレビへと進化が起こった.生命と財産の保全に対する不安が軽減され,生きる喜びも高まった時代だ.
1970年以降に著しい革新が起きた分野は第3次産業革命とも称される情報通信および娯楽分野だ.これはコンピュータの発達とインターネットへの接続が主な要因で利便性が向上したものだが,これが労働生産性に及ぼす影響は1996年から2004年の間に認められたものの,第2次産業革命による影響に比べれば僅かなものだ.逆に言えば,第2次産業革命による1920年から1970年までの生活への影響は極めて大きかったのだ.1970年以降も第2次産業革命の余波による漸進的な革新は継続しているが,新製品への買い替えによる消費者余剰は次第に縮小に向かっている.生活は便利になって満足できる水準に達し,健康寿命も数10%も長くなったことには間違いないが,生きる喜びがどれだけ増進されたのかは明らかではない.
第2次産業革命では資本主義が有効に機能した.儲かる商品が開発されれば,その製造に資本を投入して大量生産を行い,利益を増幅させることが可能だったのだ.儲かる自動車や電気製品が開発されれば,製造ラインを増設して従事する労働者を雇用すると利益が転がり込む仕組みだ.第3次産業革命では儲かる仕組み(ビジネスモデル)の開発が一層重要となった.映画や音楽,ゲームソフトなどの増産では追加費用が極めて低くなったからだ.ネット配信では,インターネットの利用者が料金を支払うか,あるいは利用者が無料で利用すると広告が付いてきて料金を広告主が負担するかのいずれかになったのだが,いずれにしても安価だ.限界費用ゼロ社会の到来だ.他にも,限界費用を押し下げる仕組みは,3Dプリンタによる製造や公開オンライン講座による高等教育など目白押しだ.第2次産業革命では利益が資本家,発明家,労働者の間で分配されたが,第3次産業革命では労働者の分け前は少なくビジネスモデルの開発者が利益の大半を享受する構図に変化したようだ.
第2次産業革命では市場での競争が消費者余剰の増大をもたらしたことも指摘しておきたい.儲かる商品が開発されれば,競合他社がそれを改良した新製品を開発・販売するから,性能が高く価格の安い商品が市場に溢れるようになる.最終的には,性能はほぼ同レベルで安価な商品が市場を席捲することになり,人件費を含めたコスト低減が競争の中心となる.それに対し,第3次産業革命ではヒット商品を模倣した新製品開発が功を奏するとは限らない.映画や音楽,ゲームソフトなどのコンテンツにはオリジナリティが重要で,競争はそのコンテンツの販売方法が中心となるからだ.規模を拡大してデファクトスタンダードとなれば競争力は強化され,社会的責任は問われるようになるが,公共事業のように価格設定の自由を失うことがなければ利益率は大きくなる仕組みだ.
第1次産業革命も第2次産業革命も資本主義の働きは似たようなものだが,第3次産業革命における資本主義の様相はかなり異なるから,従来の資本主義の枠組みの中で第3次産業革命が進行すれば社会にひずみが生ずることは避けられない.これを新たな資本主義体制への修正で乗り切ろうとするなら,人工知能に期待するのは無謀だ.民主主義の発達を促す以外の方策に頼れば,ジョージ・オーウェルの描くディストピアの到来を招くからだ.
独裁者が国家や組織を支配するにはさまざまな手法が利用可能だが,恐怖による支配と大衆の愚民化はその両輪だ.5人組制度や隣組を活用した密告を奨励する間接監視社会は盗聴と監視カメラによる直接監視社会に,焚書坑儒による思想統制はマスコミやインターネットを通じた情報操作へと進化した.実際,この進化は非民主主義国で著しい.しかし,人工知能が囲碁や将棋での正しい判断力を示すからといって,人工知能の指示に従って行動するならば思考停止だ.確かに,カーナビの指示に従えば道順を調べることなく目的地に到着することが可能で,知らないことはインターネットで検索すればおおむね正しい知識を得ることができるから,現代社会で暮らすときに知識や思考力の重要性が低下したのには間違いがない.古代ローマの元老院議員はパンとサーカスを提供して政治に無関心な市民を懐柔したが,人工知能に隷属して思考力を失った愚民ならばパンもサーカスも不要となるのだ.考えない葦は人間にはなれないからだ.
文献
1. ロバート・ゴードン,アメリカ経済 成長の終焉,日経BP (2018).
2. ジェレミー・リフキン,限界費用ゼロ社会,NHK出版 (2015).
3. ジョージ・オーウェル,1984年,早川書房 (1972).
(岡田 明)