SF小説から未来技術を予測する

ジュール・ヴェルヌが1863年に描いた100年後の世界は産業科学偏重の芸術軽視社会だ.応用化学に代表される科学工学が重視され,重要なものは実利で,文学や芸術は忘れ去られた世界だ.芸術に関心を持つものは世の中の余計物であり,生活のためには皆,働かねばならないのだ.「20世紀のパリ」は世の中の余計物としてディストピアに暮らす話だが,注目すべきは1960年頃の技術予測だ.

登場する列車は高架線で,数気圧の圧縮空気を動力に用いて走行する.圧縮空気で運送用チューブ内の軟鉄のガイドディスクを動かし,列車に取り付けられた磁石がそのガイドに引っ張られて走っていくのだ.実用的な発電機が登場する前の時代なので,列車の動力として電力ではなく圧縮空気を想定したと思われる.圧縮空気は風車で空気を地下回廊に送り込んで貯蔵し,動力を必要とするところに一定の圧力で供給する仕組みだが,それは現代の電力の役割そのものだ.なお,電灯,電信網および電送写真などには蓄電池の電力が地下ケーブルを通じて供給されると想定されている.  

登場するガスタクシーは電気火花で点火する内燃機関を搭載した水素燃料の自動車だ.内燃機関はルノワールが1859年に開発し,蒸気自動車が1769年に,電気自動車は1839年にすでに製作されていたので,オットーサイクルの特許が取得される1877年やガソリン自動車が発明される1886年を待つことなくガスタクシーのアイデアは浮かんだのだろう.また,カシミヤのように柔らかな鉄繊維の服地が1934年頃にできたとの記述は,ナイロンの開発に成功した1935年と驚くほどの精度で符合する.

1949年にジョージ・オーウェルが発表した「1984年」の世界は全体主義の監視国家だ.主人公は真理省に勤務し,従事する業務は歴史の改ざんだ.オーウェルの執筆から35年後の近未来世界ではテレスクリーンで監視された生活が営まれている.盗聴器と監視カメラの付いたテレビのようなものだが,現実世界でも1980年代には平面ディスプレイの技術は進歩してブラウン管を凌駕する時代は近づいていた.監視カメラの普及もその頃からだ.

便利な機器の利用と引き換えに個人情報を差し出すSF世界の生活だが,現実世界ではスマホがテレスクリーンの役割を担うようになった.スマホを持ち歩けば位置情報は把握され,過去の閲覧履歴に基づいて広告が送りつけられる.スマホの利用者は個人情報の提供者でもあるのだ.情報技術の進歩によって監視社会が到来するというオーウェルの想像力には現実味がある.

ジュール・ヴェルヌが1863年に予測した100年後の世界が現実から大きく外れていないことは驚きだが,今から100年後の世界の予測は可能なのだろうか.ミチオ・カクは2200年までの科学技術の進歩と日常生活への影響を300人以上の科学者へのインタビューをもとに予測した.

原書は2011年に出版され,コンピュータ,人工知能,医療,ナノテクノロジー,エネルギー,宇宙旅行の6つの技術分野について,近未来(現在~2030年),世紀の半ば(2030~2070年),遠い未来(2070~2100年)の予測を行っている.さらに技術進歩が資本主義にも影響を及ぼし,生産者と消費者が商品についての情報をすべて知っていれば,情報の非対称性は消滅して完璧な資本主義が誕生する.そしてカスタムメイドの商品が量産品と同じコストで製造できるようになれば,衣料品や家具,電気製品,自動車などの大量生産の時代は終焉を迎え,大量特注の時代が訪れることも示唆している.

20世紀初頭に既に顕在化している問題の解決が第2次産業革命を推進した駆動力となったように,21世紀初頭に既に顕在化している問題の解決が100年後の世界に向けての技術進歩の駆動力となるのなら,タイラー・コーエンの指摘する現状満足階級の存在はミチオ・カクの予測する未来像の実現に向けて進む強い意欲を阻害することにもなりかねない.実際,医療と食糧生産はバイオテクノロジー分野で期待される研究開発分野であり,健康寿命の延長や食糧供給の問題解決を図る意義を否定することはないが,それによって生活レベルが飛躍的に向上して幸福度が高まる未来が実現すると現状満足階級が考えるかは疑問だ.

1932年にオルダス・ハクスリーが発表した「すばらしい新世界」では,病気も老化も克服されて快楽に酔いしれる幸福な日々を送る西暦2540年の遠い未来の世界が描かれている.人間は試験管内で培養され,社会階級に応じた仕事に従事して,60歳にもなれば一斉に死を迎える世界だ.現代の諸課題を解決して平和な社会を実現することを重視するなら,現代の科学技術はこのすばらしいディストピアの実現を本当に目指しているのかもしれない.未来予測の精度を評価するには時期尚早だが,執筆時とそれから90年後の現在を比べると,医療技術の進歩は著しく,昔ながらの感染症の多くはほぼ克服されたと言っても過言ではないだろう.

近視眼的な視点では事の本質を見誤りがちだ.いまの時代を正しく評価するには未来による裁定を待たねばならず,いまの世界の常識が歴史的な観点からは非常識かもしれないことは常識なのだ.過去に書かれた未来予測は的外れなのが当たり前だから,当たらずといえども遠からずの記述が見つかれば賞賛の対象だ.ただし,目指すべき未来社会の姿とそこに辿り着く合理的なルートを策定することは未来予測とは異なる作業であり,SF小説の範疇ではない.

文献
1. ジュール・ヴェルヌ,20世紀のパリ,ブロンズ新社 (1995).
2. ジョージ・オーウェル,1984年,早川書房 (1972).
3. ミチオ・カク,2100年の科学ライフ,NHK出版 (2012).
4. タイラー・コーエン,大分断,NTT出版 (2019).
5. オルダス・ハクスリー,すばらしい新世界,早川書房 (2017).

(岡田 明)

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