イノベーションを生みだすもの(その2)
アイデア主導型のイノベーションは経験的知識あるいはその時代までに得られている一般的な科学的知識の応用がほとんどだ.第1次産業革命と第3次産業革命ではほぼすべてのイノベーション,第2次産業革命ではすべてではないが,かなりのイノベーションを主導した実績がある手法だ.
第1次産業革命における技術進歩の多くは個人発明家によるもので,副業としての発明家から専業として成立するようになる過渡期でもあった.1733年に飛び杼を発明して織機の生産性を高めたジョン・ケイ(John Kay, 1704 - 1780)は発明家として事業化を進めたが,当時の糸の生産性が低かったため衣料産業の革新には至らなかった.
1764年にジェニー紡績機と呼ばれる簡易な手動機械を発明したジェームズ・ハーグリーブス(James Hargreaves, 1720 - 1778)はブラックバーンの大工あるいは織工とされる.1769年に水車を動力とする水力紡績機を発明したリチャード・アークライト(Richard Arkwright, 1732 - 1792)はプレストンの床屋でかつら製造業者でもあった.なお,アークライトには発明の才能はなかったが,ウォリントンの時計師ジョン・ケイ(飛び杼を発明したジョン・ケイとは別人)による援助を受けて特許を与えられたとされる.試作に7年間を費やしてアークライトの紡績機を改良し,1779年にミュール紡績機を完成させたサミュエル・クロンプトン(Samuel Crompton, 1753 - 1827)はボウルトンの織布工だった.
1784年に力織機を発明したエドモンド・カートライト(Edmund Cartwright, 1743 - 1823)は牧師であり詩人でもあった.そして1793年に綿繰り機を発明したイーライ・ホイットニー(Eli Whitney, 1765 - 1825)はフライス盤の発明にも寄与した発明家だった.
紡績機や織機のような繊維機械のイノベーションでは既存技術を改良する数多くの創意工夫によって技術は進歩した.このような状況は初期の大気圧蒸気機関についても同様だ.蒸気機関の初期のイノベーションに取り組んだのはドニ・パパン(Denis Papin, 1647 - 1712頃),トーマス・セイヴァリ(Thomas Savery, 1650頃 - 1715),トーマス・ニューコメン(Thomas Newcomen, 1664 - 1729)らだ.いずれも水蒸気の冷却凝縮によって,シリンダー内の気体圧力を変化させて動力に利用するアイデアは共通だ.
パパンはクリスティアン・ホイエンス(ホイエンスの原理で知られている)に雇われているときに,蒸気を使った大気圧機関を製作した(1690から1695年の間).セイヴァリは実用的な機関の製作には成功しなかったが,1698年に大気圧機関の特許を得た(1733 年まで有効).そして実用的な大気圧機関の製作に成功したのは1712年のニューコメンだった.
セイヴァリは特許を取得して未亡人に財をもたらしたが,類似のアイデアをほぼ同時に複数の人が思いつくと特許を守るための争いが発生する.実際に,モールス信号のサミュエル・モールス(Samuel Morse, 1791 - 1872)や無線電信のグリエルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi, 1874 - 1937)のような個人発明家は特許権を巡る法廷での争いに多くの時間を費やし,訴訟に明け暮れる人生となったのだ.
発明家の思いついたアイデアを後の時代から振り返れば,至極当たり前で容易に理解できるものがほとんどだから,ほぼ同時期に複数の発明家が同じ創意工夫を特許出願する同時発明は珍しいものではない.電話機をめぐるグラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847 - 1922)とトーマス・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847 - 1931)の特許出願は良く知られているが,特許権を巡る裁判沙汰も珍しいものではない.
科学が進歩すると,原子物理学,分子生物学,量子力学,情報科学などの最先端の科学知識をもとにしたアイデア主導型の技術革新も提案されるようになった.核兵器開発,ゲノム編集による遺伝子操作,量子コンピュータ,ブロックチェーンや暗号化通信に代表されるコンピュータ関連技術などだ.
科学的知識の発見を出発点とするこれらの分野では,従来のアイデア主導型のイノベーションとは異なり,創意工夫に関与できるのは最先端の少数の専門家のみに限定され,しかも製品として実用化するには基本的なコンセプトの創出のみでは不十分で周辺技術の開発が必要となる場合が多い.科学的知識の発見とほぼ同時にイノベーションの基本的なコンセプトは誕生するのだが,その実現への道程は険しいケースがほとんどだ.
例えば,原子爆弾の実用化においては,オットー・ハーン(Otto Hahn, 1879 - 1968)とフリッツ・シュトラスマン(Fritz Strassmann, 1902 - 1980)による奇妙な実験データ(ウランに中性子を照射したらバリウムが生成した)がきっかけではあるものの,1938年12月に共同研究者であったリーゼ・マイトナー(Lise Meitner, 1878 - 1968)とその甥のフリッシュ(Otto Robert Frisch, 1904 - 1979)によって原子核の分裂反応が起きたと解釈されたことが出発点だった.この解釈はニールス・ボーア(Niels Bohr, 1885 - 1962)に伝わり,ボーアが1939年1月の米国渡航の船上で口外したので,その新発見の話は論文発表を待たずにすぐに広まった.そしてボーアが米国に到着した直後のアメリカでは核分裂片を検出する熾烈な競争が始まっていた.
マンハッタン計画は1939年にアインシュタイン(Albert Einstein, 1879 - 1955)が署名した信書をシラード(Leo Szilard, 1898 - 1964)が大統領に送ったことが始まりだった.1942年にプロジェクトは始まり,初めての核実験(トリニティ実験:プルトニウム原子爆弾の爆発実験)は1945年7月16日に行われた.なお,8月6日に広島に投下されたリトルボーイ(Little Boy)はウラン235を用いて行われた初めての核爆発で,8月9日に長崎に実戦使用されたファットマン(Fat Man)は空中から投下された初めてのプルトニウム原子爆弾だった.
最先端の知識を持った専門家なら,核分裂反応の発見と連鎖反応による原子爆弾のアイデアはほぼ直結するコンセプトであったとしても,その実現には関連する多くの技術開発が必要であり,大掛かりな開発プロジェクトの運営が必要だったのだ.
1970年以降に現れた影響力の大きな発明の多くはコンピュータとインターネットに関係している.アップル社(1976年創業),マイクロソフト社(1975年創業),アマゾン社(1993年創業),フェイスブック社(2004年創業),グーグル社(1998年創業)などの起業はいずれも個人事業として始まった.一世を風靡した日本語ワープロソフトの一太郎を開発したジャストシステム社は1979年に実家で創業,カカクコムは1997年に開設され,楽天市場の開設も1997年だった.なお,ぐるなびはエヌケービーの一事業として1996年に開設され,食べログは2005年にカカクコムが開設した.いずれも研究開発への投資の成果としてではなく,個人のアイデアから小規模な事業としてのスタートだった.
副業としての発明家は1870年頃から本業として成立するようになり,20世紀には有望な投資先として企業による発明家の囲い込みが盛んになった.しかし,1970年頃からの情報技術の事業化では,個人のアイデアでスタートした小規模な事業が急速に拡大することが可能な時代が訪れた.1970年頃は発明や技術開発における転換期であったと,未来の歴史家から見なされるようになるのかもしれない.発明家が時代を切り開いたことには間違いないが,社会環境の変化によって発明家の在り方も変化したのも事実だ.トノサマバッタが個体群密度によって相変異を起こすように,発明家も社会環境に影響されて変わり得るようだ.
文献
1. Akira Okada, Introduction to Industrial Technology – Research and Development for Technological Progress, Nova Science Publishers (2013).
2. マット・リドレー,人類とイノベーション,ニュースピックス (2021).
3. T・ S・アシュトン,産業革命,岩波書店 (1973).
4. チャールズ・シンガー他編,増補 技術の歴史 第7巻 産業革命 上,pp. 223 – 247 (ジュリア・ディ・L・マン,第10章 繊維産業 その1),筑摩書房 (1979).
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7. サイモン・フォーティ,産業革命歴史図鑑,原書房 (2019).
8. チャールズ・シンガー他編,増補 技術の歴史 第7巻 産業革命 上,pp. 140 – 163 (H・W・ディキンソン,第6章 蒸気機関),筑摩書房 (1979).
9. R・L・サイム,リーゼ・マイトナー 嵐の時代を生き抜いた女性科学者,シュプリンガー・フェアラーク東京 (2004).
(岡田 明)