イノベーションを生みだすもの(その3)

トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847 - 1931)の炭素フィラメント材料の開発やアルヴィン・ミタッシュ(Alwin Mittasch, 1869 - 1953)のアンモニア合成触媒開発は目的となる性能を有する材料の発見を目指した試行錯誤だった.デュポンはウォーレス・カロザース(Wallace Carothers, 1896 - 1937)を雇用してナイロンを開発し,ベル研究所はウィリアム・ショックレー(William Shockley, 1910 - 1989)を雇用してトランジスタを開発したが,いずれも専門能力に長けたリーダーのもとでの粘り強い試行錯誤が実を結んだのだった.

蓄音器,白熱電球,活動写真(キネトスコープ)などの発明で知られるエジソンは1876年にニュージャージー州メンロパーク(Menlo Park)に研究所を開設して発明事業を本格化し,1882年には直流送電による電力事業を開始した.白熱電球のイノベーションは既存技術を改良した賜物だ.1870年代末までに白熱電球の設計または重大な改良を加えたと主張できるのはジョセフ・スワン(Joseph Wilson Swan, 1828 - 1914)を始めとして少なくとも21名に及ぶとされるが,実用に供される電球の開発に成功したのは,炭素フィラメントに最適な材料を見つけようと6,000種類以上の植物材料を試し,京都の竹を使用したときに1,000時間以上もつ材料を1880年に発見したエジソンだった[注1].エジソンは粘り強い試行錯誤によって解に辿り着いたのだ.

ハーバー・ボッシュ法によるアンモニア合成も,粘り強い試行錯誤によって解に辿り着いた例だ.フリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868 - 1934)はロバート・ル・ロシニョール(Robert Le Rossignol, 1884 - 1976)とともに高圧下でのアンモニア合成に取り組んだ.オスミウム触媒でアンモニア合成に成功したのは1909年3月だったが,BASFの窒素研究責任者であったカール・ボッシュ(Carl Bosch, 1874 - 1940)と化学者のミタッシュは安価な触媒を探し出すための粘り強い試行錯誤を繰り返して実用化に繋がる触媒の発見に辿り着いた[注2].

ハーバード大学で有機化学の講師を務めていたカロザースは,1928年にデュポンの研究所(基礎研究部の部長,部員は6,7名のドクターを含む20数人の研究者)に転職してポリエステルやポリアミドなどの重合体合成研究を始めた.そして,1930年には合成ゴム[注3],1935年にナイロンの開発に成功した[注4].

ショックレーは1945年からベル研究所の固体物理学部門のリーダーとして真空管増幅器の代替となる固体素子の研究に取り組んだ.そして,1947年にジョン・バーディーン(John Bardeen, 1908 - 1991)とウォルター・ブラッテン(Walter Brattain, 1902 - 1987)が点接触型トランジスタ,1948年にはショックレーが接合型トランジスタを発明した.その接合トランジスタが市販の製品に初めて使用されたのは1952年で,東京通信工業(ソニー)からトランジスタラジオが発売されたのは1955年だった.なお,バーディーンはトランジスタの発明に加え,超伝導の研究(BCS理論)で2度目のノーベル物理学賞を受賞している.

デュポンの研究所やベル研究所は技術開発目標を設定し,それを遂行できる能力のある人材を発明家に登用して高い収益をあげたのだった.その後も発明家は企業の研究所に雇用されているが,既存技術の漸進的改良が研究開発の主目標となった.室温超伝導体の開発や核融合発電のような極めて高い開発目標は依然として残っているが,堅実な投資先とは見なされていない.むしろ短期的な見返りが期待される既存技術の漸進的改良に資金を投入した方が企業の成長に有利との判断であり,新規技術への投資ならば,既に一定レベルまでの技術開発に成功したベンチャー企業などを買収する方が効率的だとの判断が大勢を占めるようになってきたようだ.なお,光通信,青色発光ダイオード,人工知能や量子コンピュータなどの技術開発はそれを遂行できる能力のある人材を発明家に起用するそれまでのビジネスモデルの踏襲だ.

夥しい数の試行錯誤を経て白熱電球を実用化したエジソンは有名な格言を残している.その言葉は面会者に言ったものだが,ひらめきと汗は駄洒落の産物だ.

Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration

筋の悪い研究はいくら努力しても報われないが,粘り強い努力が不足すれば試行錯誤による成功はあり得ないのだ.

[注1] エジソンは中国と日本に派遣したウィリアム・ムーアに細かな点にまで口やかましかった.まっすぐに伸びている竹の中央部分(地表から少なくとも90㎝以上の高さ)から秋の盛りに35㎝ないし40㎝ほどの長さに切り出して送るようにとの指示だ.そして京都府八幡市の男山山頂から採取された真竹がエジソンの電球のフィラメントに使われた.現在,その男山の石清水八幡宮境内にはエジソン記念碑が建てられている.男山の竹はセルロースのフィラメントに替わる1894年までの約10年間,エジソン電灯会社に輸出された.

[注2] ミタッシュは1909年9月にスウェーデン北部の鉱山で産出された磁鉄鉱に顕著な触媒効果を見出した.しかし,他の磁鉄鉱ではうまくいかなかったので,純粋な鉄にさまざまな不純物を添加する実験を行った.そして2~6%の酸化アルミニウムと0.2~0.6%の酸化カリウムを加えた酸化鉄(磁鉄鉱:Fe3O4)に辿り着いた.その後も1920年までさまざまな触媒を試したが,この触媒を超えるものは見つからなかった.なお,ハーバーとル・ロシニョールもオスミウム触媒に替わるありふれた触媒材料の探索研究を進め,ウランに効果のあることを見つけていたが,ミタッシュの発見した触媒材料を凌ぐものではなかった.

[注3] アセチレンを2分子くっつけてビニルアセチレンにする方法はすでに知られていた.それに水素をくっつけてブタジエンとして,これを重合するとブタジエンゴムになる.天然ゴムはイソプレンが重合したものだが,イソプレンはブタジエンの分子にCH3という枝がでている.この枝を塩素に変えたものがクロロプレンだ.カロザースの開発した合成ゴムはクロロプレンの重合体で,当初の商品名はデュプレンだったが,1936年にネオプレンに改称した.クロロプレンは塩素が含まれている分子なので,天然ゴムやそれまでの合成ゴム(ブタジエンゴムやイソプレンゴム)に比べてガソリンに強い性質がある.

[注4] カロザースの開発したナイロンはヘキサメチレンジアミン(炭素数6)とアジピン酸(炭素数6)の縮重合によるポリアミド(ナイロン66:PA66)だ.そして,デュポンの特許に抵触しない技術として,分子内に開環によってアミノ基(-NH2)とカルボキシ基(−COOH)を生ずる環状モノマーの開環重合による製法も後に開発された.カプロラクタム(炭素数6)の開環重合によるナイロン6(PA6)やラウリルラクタム(炭素数12)の開環重合によるナイロン12(PA12)などだ.ただし,現在でもナイロン繊維およびナイロン樹脂のいずれにおいても広く使用されているものはナイロン6とナイロン66だ.カロザースのナイロン開発では,少なくとも19種類のジカルボン酸と13種類のジアミンのさまざまな組み合わせを実験して最適なポリアミドを探し出す作業が繰り返された.さらに,アミノカプロン酸を加熱してポリアミドを合成する実験も行って,20%くらいは副産物のカプロラクタムが生成することを1930年に論文発表していたから,ナイロン6の合成研究を手掛けていた可能性もある.カロザースの行った膨大な試行錯誤の繰り返しで到達した最適な組み合わせが,ナイロン66だったのだ.

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文献
1. Akira Okada, Introduction to Industrial Technology – Research and Development for Technological Progress, Nova Science Publishers (2013).
2. マット・リドレー,人類とイノベーション,ニュースピックス (2021).
3. R・W・クラーク,エジソンの生涯,東京図書 (1980).
4. ニール・ボールドウィン,エジソン 20世紀を発明した男,三田出版会 (1997).
5. トーマス・ヘイガー,大気を変える錬金術,みすず書房 (2010).
6. 加藤邦興,化学の技術史,オーム社 (1980).
7. 井本稔,ナイロンの発見,東京化学同人 (1971).
8. R・M・ロバーツ,セレンディピティー,化学同人 (1993).
9. 竹内均編,科学の世紀を開いた人々,ニュートンプレス (1999).
10. 高橋武雄,化学工業史,産業図書 (1973).

(岡田 明)

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