なぜ放射線はわかりにくいのか(その1)

文部科学省は「小学生のための放射線副読本」と「中学生・高校生のための放射線副読本」を作成し,環境省は平成26年以来「放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料」を毎年発行している.そして日本アイソトープ協会の提供する「放射線・アイソトープを学ぶ」,日本原子力産業協会の「放射線の基礎知識」,放射線影響研究所の「放射線について」,日本電気計測器工業会の「放射線とは」,放射性影響協会の「放射線の影響がわかる本」をはじめとする多くの情報がインターネット上で閲覧可能だ.さらに放射線についての解説記事もインターネットから容易に入手可能で[1a, 1b, 1c, 1d, 1e, 1f, 1g, 1h, 1i],関連する書籍も書店や図書館で入手・閲覧可能なのだ[2a, 2b, 2c, 2d, 2e, 2f].それにもかかわらず放射線はわかりにくい.

放射線は身の回りに存在しているのだが,人間の感覚器官では容易には感知できない存在だ.見えない,触れない,聞こえない,においも味もないにもかかわらず存在する亡霊のようなものだから,超感覚的知覚を信ずる人でも放射線を感知するには,死にかけるほど大量に浴びる必要がある.

その存在を確かめる方法は電離作用が頼りだ.エックス線やウラン鉱石が発する透過力の強い放射線の存在が知られるようになったのは,蛍光体の発光や写真乾板の感光による.霧箱やシンチレータによって放射線が検知されるのも電離作用によるのだが,人間の感覚器官が僅かな電離作用を感知することは困難だ.その後,放射線の正体が明らかになると,放射線にはさまざまな種類のあることが明らかになった.短波長の電磁波(エックス線[注1]とガンマ線[注2])やさまざまな粒子線(アルファ線[注3],ベータ線[注4],陽子線,中性子線など) である.電離作用は共通する特性だが,それ以外の性質はかなり異なる.

放射線の照射を受けて生体分子が電離すれば,活性化された化学種(活性酸素など)が化学反応を促進する.化学反応によって生体を構成する分子の構造が変化すれば,臓器の機能は損なわれる.短時間に大量の放射線を浴びたときには急性障害に陥り,被ばく後,数時間の内に起こる嘔吐,頭痛,発熱などの前駆症状に始まり,しばらくの平穏な時期を経た後,数日から数週間以内に倦怠感や疲労感,脱毛,出血そして意識の喪失などの急性症状が現れる[3a, 3b, 3c, 3d].細胞分裂が活発な小腸の損傷に始まり,少し遅れて骨髄機能の損傷による造血機能の低下が表面化して確定的障害が発症するのだ.晩発性の確率的障害は被ばく量が小さいときにも起こる.損傷したDNAによって細胞が変質すれば,突然変異による遺伝的影響や将来の発がんリスクが高まる障害が一定の確率で起こる.

放射能の単位としてベクレル(Bq)がマスコミに頻繁に登場したことも,分かったようで分からなくなる原因だ[注5].ベクレルは時間当たりの壊変数によって放射能を評価する指標だが,放射性同位体が壊変したときに発生する放射線の種類やエネルギーはさまざまだ.放射能は壊変数だけでなく強さも重要なのだが,放出エネルギーの相違には目を向けず,ベクレル単位の壊変数だけで放射能の強さが評価可能との誤解が蔓延すれば,ますます分かったようで分からなくなる. 

被ばくの単位としてのシーベルト(Sv)がマスコミに頻繁に登場したことも誤解の原因だ.被ばくによる確率的な晩発障害の総合的なリスク評価指標である実効線量はシーベルト単位で表示されるが,空間線量計で環境中のガンマ線の量を測定すると,親切なことに測定結果は毎時マイクロシーベルトの単位に換算されて表示される.そのため実効線量は計測器で測定できるものだと誤解されやすい.だが,実効線量を測定できる計測器など実在しないのだ.

地上で人が受ける自然放射線は地球と宇宙からの外部被ばくに加えて,呼吸や摂食によって体内に取り込んだ放射性同位体による内部被ばくが加わる(医療放射線による被ばくは含まれない)のだが,実効線量は別途示す(なぜ放射線はわかりにくいのか:その4)ように,リスクの計算方法はかなり複雑で,対象とするリスク自体も時代とともに揺れ動いてきた.

実効線量は外部被ばくと内部被ばくを合わせた線量を,将来の発がんリスクを示す指標に換算したものである.自然放射線による被ばくは避けられないから,これに医療被ばく等を加算した実効線量値がリスク管理には重要な指標なのだ.

シーベルト単位の数値で表されることは共通だが,実効線量とは似て非なるものに等価線量や預託実効線量がある.空間線量計で測定された環境中のガンマ線の量もシーベルト単位で表されるが,これも似て非なるものであり,実効線量を構成する一部に過ぎないことにも理解が必要だ.実効線量は発がんリスク管理に有用な概念だが,それは実測不能でさまざまな仮定の上に計算を重ねて推定することしかできない幻の指標なのだ.

放射線について,資格取得試験(第1種放射線取扱主任者)のために勉強したことはあるが,遥かなる過去の話だ.作業従事者に対して放射線取扱についての定期的な講義を行っていたときには,直前に更新した新しい知識を披露していたが,その更新も途絶えて久しい.さて,ここでは久々の学び直しによって更新した知識を披露することにしよう.

[注1] レントゲン撮影やCT検査(コンピュータ断層撮影:Computed Tomography)などの医療検査に用いる放射線は透過力の強いエックス線だ.エックス線照射装置で発生させた放射線を体内に照射して体内を可視化するのだ.エックス線は高電圧で加速された電子がターゲットと衝突したときの制動放射によって発生する(ターゲット材料の電子遷移も起こるので特性エックス線も同時に発生する)放射線だから,その発生は核反応とは無関係だ.

[注2] ガンマ線は透過力の強い短い波長の電磁波だ.宇宙からも飛来するが,放射性同位体の壊変に伴った放出が主だ.アルファ崩壊あるいはベータ崩壊とほぼ同時に放出されるガンマ線は,生成した励起状態にある核が基底状態に遷移する際に過剰なエネルギーが光子として放出される(ガンマ崩壊)ものだ.核崩壊によって準安定な核が形成されたとき,準安定な励起状態が維持された後にガンマ線のみを放出するガンマ崩壊を核異性体転移と呼ぶ.ガンマ線の電離作用は弱いので特定の臓器への集中的な被害は起きにくいが,広範囲への身体の被害が特徴だ.ガンマ線は医療機器の滅菌(ガンマ線滅菌)や集中的に病巣に照射する治療機器(ガンマナイフ)としても用いられるが,体内に投与した放射性同位体から放出されるガンマ線を検出する検査法の発達は著しい.骨シンチグラフィ検査に代表されるSPECT検査(単一光子放射断層撮影:Single Photon Emission Computed Tomography)では体内に投与した放射性同位体から放出されるガンマ線を検出し,陽電子を発生させる同位体を注入するPET検査(ポジトロン断層法:Positron Emission Tomography)では対消滅によって発生するガンマ線を検出する.

[注3] 質量数の大きな核が余分な核子を放出して安定化を図るものがアルファ崩壊だ.アルファ崩壊ではヘリウムの原子核が高速で飛び出すので,放出されるエネルギーは大きい.ウラン238は4.21 MeVと4.15 MeVのエネルギーをアルファ線として放出する.トリウム232は4.01 MeVと3.95 MeVのエネルギーを放出し,ラドン222は5.49 MeV,ポロニウム210は5.31 MeVだ.しかし,飛び出したアルファ線の透過力は貧弱で,空気中を進めるのはたかだか数センチメートルで,体内では数10マイクロメートル程度だから影響が及ぶのは極めて狭い範囲だ.そのため体内に取り込まれた放射性同位体の近傍のみが大きな損傷を受けることが特徴だ.なお,核分裂は質量数の大きな核が安定化を図るもう1つの方法だ.ウラン238などでは極めてまれに自発核分裂が起こるが,核分裂反応の大部分は低速の中性子を核が吸収して起こる誘起核分裂だ.ウランやプルトニウムで核分裂が起きれば,質量数が140付近と90付近の2つの核に分裂する.

[注4] 中性子過剰の核が中性子を陽子に変えて安定化する核反応がベータ崩壊だ.ベータ崩壊では光速に近い速度の電子がベータ線となって飛び出すが,放出されるベータ線のエネルギーは4から6MeVに及ぶアルファ線に比較すれば低く,ベータ崩壊で解放されるエネルギーの最大値が 1 MeV を超えるのは稀だ.そしてパウリ(Wolfgang Ernst Pauli)が指摘したように,反電子ニュートリノがエネルギーの一部を持ち去るため,放出されるベータ線の平均エネルギーは最大値の約3分に1程度に留まる.セシウム137から放出される2本のベータ線のエネルギーの最大値は0.658 MeVと0.605 MeV,ストロンチウム90は0.546 MeVだ.カリウム40は比較的高い1.31 MeVだが,炭素14は0.156 MeVで,トリチウムはわずか0.0186 MeVに過ぎない.そしてカリウム40は1.46 MeVのガンマ線も放出するが,炭素14とトリチウムのベータ崩壊ではガンマ線の放出がないので体外被ばくの恐れは限りなく低い.ベータ線の飛行距離は空気中では約1メートルで,身体に照射されても皮膚で止まるから,体外被ばくによる被害は皮膚に留まり,損傷は主に体内に取り込まれた放射性同位体が集積した臓器付近で起こる.なお,陽子過剰の核では陽子を中性子に変える核反応が起こる.陽電子放出は陽子が壊変して中性子となり,陽電子と電子ニュートリノを放出する核反応だ.電子捕獲は軌道電子を核内に取り込んで陽子が中性子に変化する核反応で,電子ニュートリノが放出される.取り込まれて空いた電子軌道に高いエネルギー準位にある電子が遷移すれば,そこで解放されたエネルギーは特性エックス線やオージェ電子となって放出される.電子ニュートリノも反電子ニュートリノも物質との相互作用は極めて低くただ通りぬけるだけだから,放射線とは見なされない.

[注5] ベクレル(Bq)はウランが放出する放射線を発見したアンリ・ベクレル(Antoine Henri Becquerel)に因んで命名された.旧単位のキュリー(Ci)は本来1グラムのラジウムの放射能を1 Ciとする単位系だった.この名称は1906年に事故死したピエール・キュリー(Pierre Curie)に因んだもので,1910年から使用された.1グラムのラジウム226の壊変数は36.6 GBqであるが,1953年に1Ci = 37 GBqと再定義され,1975年以降の単位系はベクレルに移行した.なお,マリー・キュリー(Marie Curie)は1903年にアンリ・ベクレルの指導のもので博士号を取得し,その年の暮れにノーベル物理学賞をピエールとアンリ・ベクレルとの3人で受賞したのだが,1911年のノーベル化学賞についてはピエールの受賞は叶わず,マリー・キュリーが単独で受賞した.

(その2に続く)

文献
1. 例えば (a) 岡﨑龍史,電離放射線の歴史から学ぶ放射線防護,産業医学レビュー,36 [1] 1-29 (2023).  
 (b) 柴田義貞,放射線リスク:確定的影響と確率的影響,行動計量学,43 [1] 35-43 (2016).
 (c) 石田 健二, 丸末 安美,わかりやすい放射線の解説,日本原子力学会誌,56 [6] 392-396 (2014).
 (d) 市川龍資,日本の国民線量―特に外国との比較,Radioisotopes,62 [12] 927-938 (2013).
 (e) 笹井啓資,放射線の基礎知識,順天堂医学,58 [2] 109-114 (2012).
 (f) 高橋史明,放射線防護に用いる線量の変遷,保健物理, 43 [3] 226-233 (2008).
 (g) 南賢太郎,外部被ばくに関する実用量の考察と解説,Radioisotopes,49 [8] 417-429 (2000).
 (h) 松坂 尚典,環境放射線と放射能汚染問題,日本獣医師会雑誌,51 [1] 1-5 (1998).
 (i) 田島英三,自然放射能による人体線量,Radioisotopes,14 [4] 335-342 (1965).
2. 例えば (a) 日本アイソトープ協会編,やさしい放射線とアイソトープ,丸善出版 (2014).
 (b) 松原昌平,田中守,福田光道,渡邉道彦,わかりやすい放射線測定,日本規格協会 (2013).
 (c) 日本アイソトープ協会編,はじめての放射線測定,丸善出版 (2012).
 (d) 鳥居 寛之,小豆川勝見,渡辺雄一郎,中川恵一,放射線を科学的に理解する,丸善出版 (2012).
 (e) クラウス・グルーペン,放射線防護の実用的知識,講談社 (2011).  
 (f) 児玉一八,図解身近にあふれる「放射線」が3時間でわかる本,明日香出版社 (2020).
3. 例えば (a) 舘野之男,放射線と健康,岩波書店 (2001). 
 (b) Diagnosis and Treatment of Radiation Injuries, Safety Reports Series No. 2, IAEA (1998).
 (c) 松原孝祐,放射線による人体への影響 : 急性障害と晩発障害,放射線防護分科会会誌,38 35-38 (2014).
 (d) 近藤宗平,低線量放射線の健康影響,近畿大学出版局 (2005). 

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