なぜ放射線はわかりにくいのか(その4)
放射線がわかりにくいのは,確率的な健康被害を受ける線量の評価基準としている実効線量が計測器で測定可能ではないからだ.吸収線量に放射線加重係数を乗じて等価線量を算出し,それに組織加重係数を乗じて実効線量を算出するのだ.外部被ばくについてはこのような手順に則ってなんとか計算可能であっても,内部被ばくの場合は単純ではない.体内に取り込まれた放射性同位体がどこにどれだけ存在するかを推定することが容易ではないからだ.しかも,晩発障害として,突然変異による生殖腺への障害や白血病のリスクを重視していたものが,固形がんを大きなリスクと見なす1977年の方向転換があって,実効線量の計算方法の変更が重ねられてきた経緯があるためだ.
ショウジョウバエに放射線を照射すると総線量に比例して突然変異の発生率が高まったという1920年代の研究によって,かつては生殖腺への放射線照射は危険度が高いと考えられていた.放射線による影響は遺伝子への影響が懸念されたのだ.しかし,1960年代のマウスでの実験では,照射と妊娠の間隔が長ければ,遺伝的変異は大幅に減少することが見いだされた.さらにヒトでの遺伝的影響も調べられ,1970年代半ばには以下のような結論を明確に出せるようになった.放射線治療を受けた人の子供たち,広島・長崎で被ばくした親から生まれた子供たちの染色体異常の発生頻度が有意に高まったという結果は得られなかったという結論だ[1].
そこでICRP(国際放射線防護委員会)は,1977年に以前の勧告で最重要視していた「遺伝障害の防止」を放射線防御の主目的から外した.そして低線量放射線防御は「遺伝子よりがん」の時代に入った.白血病は被ばく後数年して増え始め,7年後にはピークに達したが,その後下がり始めて1970年代中頃にはほとんど元の水準に戻った[1].しかし,肺がんや大腸がんなどの固形がんは被ばく後10数年過ぎてから次第に増加した.そこで1977年勧告では,固形がんのリスクを高く,生殖腺と白血病のリスクを低く修正した[2].1990年と2007年の勧告ではさらにそれを進めた[3, 4].組織・臓器による発がん性リスクを考慮した組織加重係数の変遷を表1に示す.
表1.組織加重係数の変遷
組織・臓器 | ICRP 103 (2007年) | ICRP 60 (1990年) | ICRP 26 (1977年) |
生殖腺 | 0.08 | 0.20 | 0.25 |
赤色骨髄 | 0.12 | 0.12 | 0.12 |
肺 | 0.12 | 0.12 | 0.12 |
結腸 | 0.12 | 0.12 | 項目なし |
胃 | 0.12 | 0.12 | 項目なし |
乳房 | 0.12 | 0.05 | 0.15 |
甲状腺 | 0.04 | 0.05 | 0.03 |
肝臓 | 0.04 | 0.05 | 項目なし |
食道 | 0.04 | 0.05 | 項目なし |
膀胱 | 0.04 | 0.05 | 項目なし |
骨表面 | 0.01 | 0.01 | 0.03 |
皮膚 | 0.01 | 0.01 | 項目なし |
唾液腺 | 0.01 | 項目なし | 項目なし |
脳 | 0.01 | 項目なし | 項目なし |
残りの組織・臓器 | 0.12 | 0.05 | 0.30 |
係数合計 | 1.00 | 1.00 | 1.00 |
実効線量の計算は吸収線量を放射線加重係数と組織加重係数で補正したものだ.表2に示す放射線加重係数は以前RBE(生物学的効果比)と呼ばれていたもので,発がん確率の高い放射線で高くなるような設定だ.原子核と相互作用をする質量の大きな粒子線(アルファ線,陽子線,中性子線など)のRBEは大きく,電磁波(エックス線とガンマ線)や軽い粒子(電子やミュー粒子)のRBEは小さい.1977年にはRBEを線質係数と改め,1990年に放射線加重係数へと変更された.アルファ粒子,電子,ガンマ線の係数には変化がないが,中性子と陽子の係数が修正されている.
表2.放射線加重係数の変遷(ただし,ICRP 26では線質係数)*
放射線の種類 | ICRP 103 (2007) | ICRP 60 (1990) | ICRP 26 (1977) |
光子 | 1 | 1 | 1 |
電子・ミュー粒子 | 1 | 1 | 1 |
陽子・荷電パイ中間子 | 2 | 5 | 10 |
アルファ粒子・核分裂片・重イオン | 20 | 20 | 20 |
中性子 | 2.5 – 21 | 5 – 20 | 10 |
実効線量の計算は放射線の種類と照射される組織・臓器が分かれば,吸収線量にそれぞれの係数を乗じて計算可能だが,内部被ばくについては放射性同位元素の体内の分布を知ることが必要になる.ガンマ線は透過力が大きいので体外から計測も可能だが,アルファ線は紙1枚で止まってしまい,ベータ線も体内では1センチメートル 程度で止まってしまう.そこで経口摂取による体内被ばくは食品に含まれる放射性物質の含有量から推定する.消化器系から取り込まれる割合と体内の組織・臓器への集積も推定だ.吸入摂取についても,呼気から肺に取り込まれる量を推定して体内被ばく量を算出する.
表3.主な放射性核種の実効線量係数[5]*
放射性同位体 | 吸入摂取(mSv/Bq) | 経口摂取(mSv/Bq) |
3H (水) | 1.8×10-8 | 1.8×10-8 |
14C (有機物) | ― | 5.8×10-7 |
40K | 3.0×10-6 | 6.2×10-6 |
90Sr (SrTiO3以外) | 3.0×10-5 | 2.8×10-5 |
90Sr (SrTiO3) | 7.7×10-5 | 2.7×10-6 |
134Cs | 9.6×10-6 | 1.9×10-5 |
137Cs | 6.7×10-6 | 1.3×10-5 |
210Pb | 1.1×10-3 | 6.8×10-4 |
210Po (酸化物) | 2.2×10-3 | 2.4×10-4 |
222Rn | 6.5×10-6 | ― |
232Th (酸化物) | 1.2×10-2 | 9.2×10-5 |
235U (UO2) | 6.1×10-3 | 8.3×10-6 |
238U (UO2) | 5.7×10-3 | 7.6×10-6 |
239Pu (酸化物) | 8.3×10-3 | 9.0×10-6 |
年間被ばくの実効線量の算定は,まず1年間に体内に取り込んだ放射性同位体の量をベクレル単位で推定し,それをICRPが公表した表3に示す実効線量係数を用いて換算される[5].体内に取り込まれた放射性同位体は壊変によって減衰し,さらに体外に排出されてその量を減ずるが,放射性同位体が体内にいったん取り込まれればその影響は一生涯続くと考えられる.当該年度の年間被ばく量は既に過去に体内に取り込まれた放射性同位体による寄与も加算する必要があるから,実効線量係数に内在する預託実効線量の概念は年間の放射性同位体摂取量から過去に摂取した放射性同位体による影響を取り込む工夫なのだ.
実効線量は被ばくによって発生するがんによる死亡リスクの目安として提案されたものだが,内部被ばくによるリスク評価は極めて複雑であり,ポロニウム210に限ったことではないが,各種係数の算出根拠まで理解しようとすれば,実効線量の理解は限りなく難度の高いもののようだ.
文献
1. 舘野之男,放射線と健康,岩波書店 (2001).
2. 国際放射線防護委員会勧告(ICRP Publication 26: Recommendations of the ICRP)
3. 国際放射線防護委員会の1990年勧告(ICRP Publication 60: 1990 Recommendations of the International Commission on Radiological Protection)
4. 国際放射線防護委員会の2007年勧告(ICRP Publication 103: The 2007 Recommendations of the International Commission on Radiological Protection)
5. 文部科学省告示第五十九号:放射線を放出する同位元素の数量等を定める件,(2012).