なぜ放射線はわかりにくいのか(番外編)

エックス線以外の放射線は核反応に関係し,核反応は素粒子に関係する.放射線がわかりにくいのは,素粒子の世界がわかりにくいからだ.

素粒子の世界を分かり易く解説したインターネットサイトとしては,高エネルギー加速器研究機構の「素粒子の世界」や東京大学素粒子物理国際研究センターの「素粒子とは?」などがある.さらに素粒子についての解説記事もインターネットから容易に入手可能で[1a, 1b, 1c, 1d, 1e, 1f],関連する書籍も書店や図書館で入手・閲覧可能だ[2a, 2b, 2c, 2d, 2e, 2f].しかし,分かり易く解説すれば,容易に理解されると考えるのは拙速だ.

宇宙線が大気圏に突入するとパイ中間子が発生し,地上に届くころにはそれはミュー粒子に崩壊してしまっている[注1].エックス線は人体内部の可視化に用いられるが,透過性の高い宇宙線由来のミュー粒子はピラミッドの内部探査,火山内部の密度分布などの透視検査に応用され,福島第一原子力発電所の炉心の可視化にも用いられた.

ベータ崩壊で発生するニュートリノは透過性が極めて高く,その存在を検知することは極めて困難で,その性質を調べることはさらに困難だ.電子ニュートリノは1959年,ミューニュートリノは1962年,タウニュートリノは2000年の発見だが,これらのニュートリノが互いに変化するというニュートリノ振動が観測されたのは1998年のスーパーカミオカンデ実験だった[3].地球を通り抜ける間にミューニュートリノがタウニュートリノに変化する現象が観測されたのだ.そして,ニュートリノに質量があることが分かったのは,このニュートリノ振動の観測によってだった.

素粒子の世界は理解が進みつつあるが,発展途上だから分かりにくいのは当たり前だ.標準模型は素粒子理解の枠組みだ.それは表1に示すような17の素粒子から構成される.6種類のクォークと6種類のレプトン(いずれもパウリの排他原理にしたがうスピン量子数が半整数のフェルミ粒子),4種類のゲージ粒子(いずれもスピン量子数が整数のボース粒子)と1種類のスカラー粒子(スピン量子数がゼロのボース粒子)を合わせれば,17の素粒子になる.ゲージ粒子は素粒子間の相互作用を伝達する粒子で,電磁力を担う光子,弱い相互作用を担うWボソン(W+粒子とW-粒子:電荷をもつウィークボソン)とZボソン(電荷をもたないウィークボソン),そして強い相互作用を担うグルーオンの4つである.未発見の重力子(グラビトン)は標準模型に取り込まれていないが,強い相互作用,電磁相互作用,弱い相互作用の基本的な3つの相互作用が取り込まれた模型である.そして1種類のスカラー粒子とは素粒子に質量を与えるヒッグス粒子のことだ.

表1.標準模型を構成する17の素粒子

クォーク(正電荷)アップ(u)チャーム(c)トップ(t)
クォーク(負電荷)ダウン(d)ストレンジ(s)ボトム(b)
荷電レプトン電子(e)ミュー粒子(μ)タウ粒子(τ)
ニュートリノ電子ニュートリノ(νe)ミューニュートリノ(νμ)タウニュートリノ(ντ)
ゲージ粒子光子(γ)グルーオン(g)ウィークボソン(W+, W-)ウィークボソン(Z)
スカラー粒子ヒッグス粒子
クォークと荷電レプトンには逆の電荷を持った反粒子が存在する.電荷を持ったウィークボソン(W+, W-)はお互いが反粒子で,ニュートリノの反粒子はスピンが逆とされている.

素粒子の関係する物理現象としては,(i) 対生成と対消滅,(ii) ベータ崩壊が代表格だ.前者は主に光子が粒子と反粒子に相互変化する現象だ.高エネルギーの光子(ガンマ線)が,電子と陽電子あるいは陽子と反陽子のペアなどに変化するのが対生成,そして,その逆反応が対消滅だ.ガンマ線のエネルギーが1.02 MeV以上のときに電子と陽電子の対生成が起こり,陽子対生成には1.88 GeV以上が必要だ.陽電子が対消滅するときは2本のガンマ線が正反対の方向に放出され,反陽子が消滅するときには数個のパイ中間子が放出される.そして,超高速に加速された電子と陽電子の衝突あるいは陽子と反陽子の衝突実験で対消滅が起こると,その直後に新たな粒子の対生成が起きる[注2].エネルギーが粒子に変換されたのだ.

ベータ崩壊を素粒子レベルで解釈すれば,クォークが電荷の異なる別のクォークに転換するときに電荷を持ったウィークボソンが放出され,それが直ちに荷電レプトン(電子や陽電子など)と中性レプトン(ニュートリノまたは反ニュートリノ)に崩壊する現象だ[注3].対生成では粒子とその反粒子が生成するが,ベータ崩壊で放出されたウィークボソンが崩壊するときに生成する片方は必ず荷電レプトンでもう片方は中性レプトンだ.そして,そのどちらか片方が粒子でもう片方が反粒子なのだ.このように素粒子は互いに変化し合っている.化学反応において原子は不滅だが,素粒子は不滅の存在ではない.

陽電子は1932年に宇宙線の中に発見され,反陽子は1955年,反中性子は1956年に加速器実験で見つかった.電子や陽子の反粒子の特徴は電荷の正負が逆であることだが,反中性子は構成するクォークの電荷が逆だ.そして,電荷を持たないニュートリノの反粒子はスピンが逆だが,反粒子を超えた速度で等速運動をする慣性系で観測すれば,そのスピンの向きは逆転して見えるはずだ.そのため,実はニュートリノの粒子と反粒子は同じものではないかとの指摘もあり(マヨラナ粒子),よく分かっていないのが実情のようだ.

表2.クォークとレプトンの電荷と質量と世代*

 電荷第1世代第2世代第3世代
クォーク(正電荷)+2/3アップ
(3 MeV)
チャーム
(1.2 GeV)
トップ
(175 GeV)
クォーク(負電荷)-1/3ダウン
(6 MeV)
ストレンジ
(100 MeV)
ボトム
(4.2 GeV)
荷電レプトン-1電子
(0.511 MeV)
ミュー粒子
(105.7 MeV)
タウ粒子
(1.777 GeV)
ニュートリノ0電子ニュートリノ
(< 3 eV)
ミューニュートリノ
(< 0.19 MeV)
タウニュートリノ
(< 18.2 MeV)
*反粒子の電荷は逆だが,質量は同じである.素粒子の質量は「宇宙素粒子物理学」から転載[4] 単位は1.6×10-19C

表2に示すように,6種類のクォークは3世代のクォークから構成され,6種類のレプトンもそれぞれ3世代の荷電レプトンと中性のニュートリノから構成されると考えられている[注4].クォーク模型の提案が1964年で,3世代(6種類)のクォークの存在が指摘されたのが1973年だ.それまでアップ,ダウン,ストレンジの3種は発見されていたが,その後,チャームが1974年に,ボトムが1977年に,トップが1994年に発見された.ミュー粒子は1936年に宇宙線のなかに発見され,タウ粒子の発見は1975年だ.電子ニュートリノは1956年,ミューニュートリノは1962年,タウニュートリノは2000年の発見だ.そしてグルーオンは1979年,ウィークボソンは1983年に発見され,真空中に充満しているとされるヒッグス粒子は2012年に発見された[注5].大質量(高エネルギー)の粒子が発見されたのは,粒子加速器の技術進歩によって衝突実験における粒子の衝突速度が高まったからだ.科学者の創意工夫も重要だが,高性能加速器や高性能検出器(カミオカンデに代表されるチェレンコフ光検出器など)の建設もそれに劣らず重要なのだ.

標準模型では,(i) 宇宙では粒子の量が反粒子に比べて多いこと,(ii) ダークマター(暗黒物質)の存在[注6],(iii)ニュートリノが質量を有すること,(iv) 重力を担う未発見のグラビトンなどを説明できない.少なくともこれらについての明確な説明がなされるように模型が改良されるまでは,放射線がわかりにくいことを否めないが,明確な説明が明解な説明となるかは別の話だ.少なくとも,弱い相互作用と電磁相互作用を統一的に記述する電弱統一理論と強い相互作用を統合して完成するはずの大統一理論,万物の根源を1次元の「ひも」と考える10次元の超弦理論あるいは万物の根源を2次元の膜とする11次元のM理論に分かり易さを期待できそうではない.

原子・分子でさえ日常生活で体感することは困難なのに,さらに微小な素粒子の世界とのかかわりとなれば,原子力発電や放射線を通じたわずかな接点しか見当たらない.我々の属する世界の成り立ちや宇宙の始まりを知ることは,創造神話や形而上学を葬り去ることになるかもしれないが,それに代わる科学理論を信奉するための新たな修行が必要ならば,それは新たな苦行にもなりかねない.

科学理論は検証可能な「どのように(メカニズム)」に対する説明で,検証不能な「なぜ(究極の原因)」に対する説明ではないことは重々承知していても,素粒子についていままでに分かったことと,まだ分からないことのどちらが多いのかは全く分からない.そして,分かったはずのものでも,エーテルや熱素説のように後に撤回されたこともあるのだから,分かっているのが本当なのかも分からない.客観的な問題を取り扱う科学は主観的問題に対する効用は限定的なのだが,素粒子の分かりにくさに比べれば,放射線はずっと分かり易いようだ.

[注1] 電荷を持ったパイ中間子は1947年に宇宙線のなかに発見された.π+中間子はアップクォークと反ダウンクォークからなり,π-中間子はダウンクォークと反アップクォークからなる.この2つは互いに粒子・反粒子の関係となっている.π+中間子は反ミュー粒子とミューニュートリノ,π-中間子はミュー粒子と反ミューニュートリノに崩壊する.そして中性のパイ中間子(π0中間子)は崩壊して2つのガンマ線になる.

[注2] 超高速に加速した電子と陽電子の衝突によって,ミュー粒子やタウ粒子,チャーム・反チャームからなるJ/Ψ中間子など,さまざまな粒子対の生成が可能である.加速した陽子の衝突ではさらにエネルギーの高い素粒子の生成が可能となり,トップクォークは陽子・反陽子衝突実験でヒッグス粒子は陽子と陽子の衝突実験で発見された.

[注3] 中性のZボソンは電荷に変化のない素粒子の相互作用に係わる[5].例えば,加速された高エネルギーの電子と陽電子が衝突して対消滅が起こると,ZボソンあるいはW+粒子とW-粒子対が生成する.Zボソンはすぐに崩壊してクォーク(単独では存在できず中間子などのハドロンになる)またはレプトン(荷電レプトンやニュートリノ)の対生成が起こる.W+粒子とW-粒子は荷電レプトンとニュートリノの組またはクォーク・反クォーク対(ハドロンが観測される)へと崩壊する.Zボソンの生成は衝突エネルギーがZボソンの質量エネルギーに等しいときに顕著に起こり,W+粒子とW-粒子対の生成に要する衝突エネルギーはさらに高い.なお,PET検査(ポジトロン断層法)は放射性同位体から放出された陽電子の対消滅で発生するガンマ線による検査方法だが,核崩壊で発生する陽電子のエネルギーは低いので,対消滅が起きたときにZボソンは発生せずガンマ線のみが発生する.ガンマ線の生成に要するエネルギーはずっと低い.

[注4] クォークもレプトンも世代が高いとエネルギーも高い.クォークの第1世代はアップクォーク(u)とダウンクォーク(d),第2世代はチャームクォーク(c)とストレンジクォーク(s),第3世代はトップクォーク(t)とボトムクォーク(b)である.クォークはハドロン(バリオンと中間子)を構成する.3つのクォークから構成されるのがバリオン(陽子および中性子など)で,クォークと反クォークのペアによって構成されるのが中間子(パイ中間子およびK中間子など)だ.陽子はアップクォーク2個とダウンクォーク1個,中性子はアップクォーク1個とダウンクォーク2個で構成されている.なお,第1世代のレプトンは電子および電子ニュートリノで,第2世代はミュー粒子およびミューニュートリノ,第3世代タウ粒子およびタウニュートリノである.

[注5] 真空が物質で満たされているとの発想は光の波動説とともに生まれた.エーテルである.マイケルソン・モーリーの実験はエーテルの存在に疑義を投げかけ,アインシュタインの特殊相対性理論はエーテルの存在を否定した.その後,ディラックは真空が負のエネルギーを持つ電子によって占められているというモデル(ディラックの海)を1930年に提案したが,現在の理論ではビッグバン直後に起きた真空の相転移によって生じたヒッグス粒子が真空に満ちている(ヒッグスの海)との見解に変更されている.真空の相転移で解放されたエネルギーは宇宙の急速な膨張(ビッグバン)を起こし,温度がさらに下がって起きたのが電弱相転移とクォーク・ハドロン相転移だ[4].電弱相転移が起こるとウィークボソンが質量を持つようになり,さらに温度が低下してクォーク・ハドロン相転移が起こるとクォークとグルーオンが混然となった状態(クォーク・グルーオンプラズマ)から陽子や中性子などのハドロンが誕生した.それ以来,クォークは単体では存在できなくなって,ハドロン内に封じ込められた.ビッグバンから138億年後の現在の温度は2.725 K(宇宙マイクロ波背景放射)まで低下した.

[注6] 太陽系の惑星の回転速度は,太陽からの距離が遠いと遅くなるが,銀河の回転速度は中心から遠くても遅くならない.この観測データから銀河の星間にダークマターが存在すると考えられるようになった.物質は温度に応じた電磁波を放出するが,まったく電磁波を放出せず,質量のみを有する存在がダークマターだと考えられている.

(その1に戻る)

文献
1.例えば (a) 多田司,ニュートリノ,Radioisotopes,62 [1] 39-52 (2013).
 (b) 多田司,素粒子概論3,Radioisotopes,60 [12] 527-532 (2011).
 (c) 多田司,素粒子概論2,Radioisotopes,60 [10] 417-431 (2011).
 (d) 多田司,素粒子概論1.Radioisotopes,60 [6] 241-248 (2011).
 (e) 小林昭三,南部・小林・益川のノーベル賞受賞とその源流,物理教育,57 [1] 19-25 (2009).
 (f) 山本克治,素粒子の標準模型と展望,日本原子力学会誌,40 [6] 450-458 (1998).
2.例えば (a) 佐々木真人,素粒子,ニュートンプレス (2023).
 (b) 山﨑耕造,トコトンやさしい宇宙線と素粒子の本,日刊工業新聞社 (2018).
 (c) 京極一樹,図解素粒子物理,技術評論社 (2009).
 (d) 南部陽一郎,クォーク,講談社 (1998).
 (e) 小林誠,消えた反物質,講談社 (1997).
 (f) 吉田伸夫,素粒子論はなぜわかりにくいのか,技術評論社 (2014).
3.白井淳平,末包文彦,ニュートリノ物理学,朝倉書店 (2021).
4.C・グルーペン,宇宙素粒子物理学,丸善出版 (2012).
5.B・ポッフ,K・リーツ,C・ショルツ,F・サッチャ,素粒子・原子核物理入門,シュプリンガー・ジャパン (1999).

コメントを残す