初代横浜駅を午前8時に発車する

ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道(Stockton and Darlington Railway)は蒸気機関車を用いた貨物鉄道で,その開業は1825年だった.蒸気機関車にはジョージ(George Stephenson)とロバート(Robert Stephenson)のスチーブンソン父子が開発したロコモーション号が使われた.そして初めての実用的な旅客鉄道リバプール・アンド・マンチェスター鉄道(Liverpool and Manchester Railway)の開業は1830年だった.そこにはベドリントン鉄工所(Bedlington Ironworks)のバーキンショー(John Birkinshaw)が1820年に開発した可鍛鉄製の15フィート長レールが採用された.可鍛鉄の採用は蒸気機関車を発明したトレビシック(Richard Trevithick)が悩んだ線路の強度不足の解決に向けての大きな前進だった.

鉄道網の整備が盛んだったのは,1830年代の後半から鉄道狂時代(Railway Mania)が始まったアメリカである.アメリカで蒸気機関車が初めて走ったのは1829年だが,耐荷重5トンの線路はそのとき壊れた.重量7.5トンのスタウアブリッジ・ライオン号(Stourbridge Lion)の試運転が,デラウェア・アンド・ハドソン鉄道(Delaware and Hudson Railway)で行われたときだった.蒸気機関車による鉄道運転の初めての成功は1830年のサウスカロライナ運河鉄道(South Carolina Canal and Railroad)であり,ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道(Baltimore and Ohio Railroad)も1831年から定期旅客営業を開始した.1830年代にはアメリカ全土での鉄道建設が盛んとなって1840年には鉄道の総延長は4,500 kmに達し,これは当時のヨーロッパのすべての鉄道を合計した距離の2倍にもなった.そしてロンドンで蒸気機関車が車両を牽引する世界初の地下鉄が開業したのは1863年で,最初のアメリカ大陸横断鉄道が開通したのは1869年だった.

エドモンド・モレル(Edmund Morel)は明治政府に鉄道技術主任として雇用され日本の鉄道の礎を築いた[1].モレルを補佐する副主任はジョン・ダイアック(John Diack),チャールズ・シェパード(Charles Shepherd),ジョン・イングランド(John England)の3名だった.モレルは1871年に没したが,ダイアックらに引き継がれて1872年の鉄道開業に漕ぎつけたのである.1872年6月12日には品川・横浜(現在の桜木町)間での鉄道の営業運転(仮営業)が始まり,7月10日には途中駅の川崎駅と神奈川駅(現在は廃駅)も営業を始めた.5番目となる新橋駅(旧新橋停車場)の開業は10月14日,6番目の鶴見駅の開業は正式営業の始まった10月15日であった.

JR桜木町駅にエドモンド・モレルのレリーフがある.旧横濱鉄道歴史展示(旧横ギャラリー)の内部に設置されているのだが,内側から見ることは極めて困難だ.建物の外側からガラス窓越しに見る以外によい手立てはない.旧横ギャラリーには110型蒸気機関車と再現した中等客車も展示されている.

エドモンド・モレルのレリーフ
110型蒸気機関車
中等客車
鉄道創業の地の記念碑
鉄道列車出発時刻及賃金表の上部
鉄道列車出発時刻及賃金表の下部

桜木町駅の新南口にある鉄道創業の地の記念碑には,1872年5月7日(旧暦)に横浜ステイションと品川ステイションの間で開通し,営業を開始したと書いてある.上りは横浜を午前8時に発車し,品川に8時35分に到着,午後の便は4時に発車,4時35分に到着する.下りは品川を午前9時に発車して,横浜に9時35分に到着,午後の便は品川を午後5時に出発して,横浜到着は5時35分だ.乗車料金は上等が片道1円50銭,中等が1円,下等が50銭だ.したがって,1872年5月7日(旧暦)午前8時横浜発が日本初の営業運転ということになる.注意書きには,遅くとも15分前に駅に来て,切符を買っておくようにとも書かれている.また,子どもは4歳までは無料だが,12歳までは半額,犬は25銭とも書かれている.

桜木町駅の西口にある鉄道発祥の地の説明板には1872年に品川と横浜の間で日本初の鉄道事業の仮営業が開始されたと書かれている.現在の横浜駅から桜木町駅までの土地は埋め立てによって造成され,現在の桜木町駅に初代横浜駅(横濱停車場)が置かれた.鉄道資材は横浜港から陸揚げされ,横浜から工事が進められた.駅舎のデザインは米国人建築家ブリジェンス(Richard Perkins Bridgens)によるもので,旧新橋駅と初代横浜駅はほぼ同じデザインだった.そして現在の掃部山公園には外国人技師の拠点となる官舎が建てられた.

鉄道発祥の地
二代目横浜駅遺構
東横浜駅の碑

1887年に横浜駅と国府津駅の間が開通すると,初代横浜駅でのスイッチバックが必要となった.そこで東海道本線は横浜駅を通過しない路線に変更され,不都合なスイッチバックは解消された.1915年に現在の高島町駅付近に横浜駅を移転したのは東海道本線の横浜駅通過を避けるためだった.二代目横浜駅の誕生である.その遺構があるのは高島町交差点の近く,戸部警察署の裏だ.1915年に開業してから1923年の関東大震災で焼失するまで8年間の駅だった.なお,1915年に初代横浜駅は桜木町駅と改称,その東側に隣接する貨物駅は東横浜駅に改称された.三代目横浜駅(現在の横浜駅)への移転・開業は1928年だった.桜木町駅前広場の横断歩道脇には東横浜駅の碑がある.1915年に横浜駅から改称された貨物駅は1981年に廃駅となった.

鉄道の営業運転が日本で始まったのは,1872年6月12日(旧暦の5月7日)に横浜を午前8時に発車した時だが,一般には新橋・横浜間の開通が日本の鉄道の始まりと理解されている[注1].これは後に汐留貨物駅となる「新橋停車場」と現在の桜木町駅である「横濱停車場」の両駅で,営業運転が始まってから約4か月後の10月14日(正式営業日の前日)に盛大な開業式典が明治天皇の臨席のもとで挙行されたからだ.天皇が乗った御召列車が国旗掲揚と雅楽演奏のなかで新橋を発車する.出発すると礼砲が打ち出され,横浜駅に到着すれば再び礼砲と雅楽演奏でのお出迎えだ.天皇が勅語を発表して横浜での式典が執り行われ,新橋に戻れば再び雅楽演奏で迎えられて天皇が再び勅語を発する式典が行われた.この開業式典が終われば浜離宮の延遼館での宴会となるが,そこに19歳の天皇の姿はなかった.

[注1] 鉄道唱歌の冒頭に新橋駅が登場することも,鉄道の運行が新橋駅から始まったように誤解される一因だ.それに加えて,1922年に鉄道省は5番目の駅として新橋駅が開業した10月14日を鉄道記念日と制定し,運輸省も1994年にその前例を踏襲して10月14日を鉄道の日としている.我が国初の鉄道の営業運転で,初代横浜駅(現在の桜木町駅)から出発した蒸気機関車の終着駅が品川駅であることを知る人は多くはなさそうだ.

文献
1.例えば,(a) 片野勧,明治お雇い外国人とその弟子たち,新人物往来社 (2011).
 (b) 小池滋,青木栄一,和久田康雄,日本の鉄道をつくった人たち,悠書館 (2010).
 (c) 林田治男,エドモンド・モレル,ミネルヴァ書房 (2018).

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