人を動かす(その1)

カーネギー(Dale Breckenridge Carnegie)は1936年に著書「人を動かす(原題 : How to Win Friends and Influence People)」を出版した[1].話し方講座の講師としての経験を生かして執筆したもので,セールスなどのビジネス現場だけでなく,あまねく人との付き合い方に役立つ読み物としてロングセラーを続けている.内容は第1部から第4部からなる.

第1部:人を動かす三原則
第2部:人に好かれる六原則
第3部:人を説得する十二原則
第4部:人を変える九原則

その内容を掻い摘んで紹介すれば,相手の個人情報を引き出し,相手の立場に配慮して説得を図るスキルだ.情報を聞き出すときには,相手の意見に敬意を払って関心を示し,批判せずに賞賛して気分よくしゃべらせることが肝要だ.相手の長所を見つけて,笑顔で接し,重要感を持たせて感謝の意を表すのだ.そのときには議論を避け,相手の誤りを指摘しないことも重要だ.だれもが自尊心を持って自分は正しいと信じているからだ.

説得を図る第一歩は,話題の選択だ.相手がイエスと言うものだけを話題に取り上げる.そして注意を与えるときは遠回しに否定的表現を避け,自分に少しでも悪い点があれば謝ることだ.喜んで協力させるためには,自らの判断だと認識させることが重要だから,対抗意識を刺激して相手に意見を求め,その意見を褒めて実践させることだ.相手が説得されたとは思わず,自らの判断との認識を持てば大成功というわけだ.ここには飴と鞭で相手の行動変容を図るようなスキルは含まれていない.利益誘導や恐怖によって人を動かすのではなく,対等な個人間の対人スキルに焦点を当てているからだ.

マインドコントロールと脅迫は人を動かす悪質な手法だ.前者は人間が社会的動物であることを利用した手法で後者は人間の持つ高度なコミュニケーション能力の援用だ.パブロフの条件反射とスキナーのオペラント条件づけはイヌやマウスでも確認できるが,マインドコントロールや脅迫によって動物の心を制御することは極めて困難であり,人間のみに実施可能な手法なのだ.

人間社会は蟻や蜜蜂と同様に異なる役割を分担しながら共同生活を行っていることが特徴だ.小規模な社会では役割の分化の程度は低いが,規模が大きくなれば細分化された役割を担う専門職が増加する.各人が細分化された専門に特化すれば習熟度が高まるから社会全体の技術水準が向上し,その結果として競争に有利な集団が形成されるのだ[注1].

共同生活を営む社会に所属する個人はそれぞれ別個の専門性を有していても,考え方や行動規範を含めた風俗習慣を共有することも重要だ.専門性の異なる人々が社会を構成していても,協力関係を担保するには仲間意識の醸成がその前提としてあるからだ.

集団の規模が大きくなれば,仲間と敵の境界が曖昧になることは避けられない.部族から国家への発展過程でも,会社や官僚組織でも基本は同じだ.全体を見通すことが難しくなるような巨大組織になれば,セクショナリズムが横行するのは対面関係で醸成された仲間同士の結束は強いが,見知らぬ人を仲間とする結束力はそれより弱いからだ.

人間社会では仲間としての証を確認する必要がある.蟻の社会では匂いによって仲間を認識するが,人間社会では同じ仲間だと認識する基準は外見や言語に加え,風俗・習慣の共通性だ.同調性はそれを証明する手段として使い勝手が良い.議論を避け,相手の誤りは指摘せず,常にイエスと言う対人スキルの踏襲だ.

権威への従属も重要だ.自己判断を避けて,権威者の指示に従うことは組織としての役割分担を尊重している証ともなるからだ.いずれにしろ,責任ある個人の判断が希薄になることが集団化の特徴だ[注2].これが冷静な自己判断ではなく暗示を受けた無責任な思考に陥り,感情的・衝動的な行動をする群衆となって暴徒化することはル・ボン(Charles-Marie Gustave Le Bon)が既に指摘したことだ[2].

アッシュ(Solomon Eliot Asch)は同調行動実験で社会的圧力を受けた個人が,明らかに誤った行動を取ることを指摘した[3].自分が正しいと信じた行動をとれば,他の人の取った行動を批判することになると恐れたのかもしれない.自分の信じる正義より集団への帰属を優先した行動だ.

ミルグラム(Stanley Milgram)のアイヒマン実験でも,被験者は権威者の指示に忠実に従って,苦痛を訴える生徒役に対し電気ショックの電圧を上げることを止めなかった[4].苦痛を訴える生徒役の声より,権威者の指示を優先したのだ.これも所属する組織の規律を自分の信じる正義より優先した結果だ.同調性も権威への従属も自己判断ではなく,集団にマインドコントロールを委ねた現われのようだ.

カリスマ的指導者を中心とする破壊的カルト集団ではマインドコントロールによって人を動かす[注3].新たな信徒の獲得は同調性の応用だ[5],複数の信徒がターゲットを誘い込んで入会させるときには,まずターゲットとの心理的な絆を構築する.ターゲットが同調性を示せば,次はカリスマ指導者の権威に隷属させるのだ.詐欺的手法による販売や寄付,殺人などの凶悪犯罪への加担も権威への隷属の結果だ.マインドコントロールの特徴は騙されていることに気が付かないことなのだ.

意思に反した行動を起こさせる効果的な方法は脅迫だ.指示に従わなければもっと酷いことになるから従うのだ.指示に従わなければ,自分が殺され,家族にも被害が及ぶとなれば次善の策は脅迫に従うことだ.法治国家ならば,警察が取り締まればよいのだが,国家による脅迫には革命で対抗する以外に良い手立ては思い浮かばない.

軍隊における督戦隊は自軍部隊を後方から監視する.兵士が敵前逃亡や敵に投降するようなことがあれば,背後から撃つことが役割だ.自軍に威嚇された兵士は殺害されることを避けるために次善の策として戦闘に向かうのだ.訓練を受けた兵士でも敵を殺すことに躊躇するものが多いが,このような兵士は督戦隊への適性は低い.

人を動かす方法として,それが自分の自由意思だと思い込ませることは効果的だが,脅迫によって意思に反した行動も繰り返せば自分の意思によると思うようになる.フェスティンガー(Leon Festinger)の認知的不協和(Cognitive Dissonance)が起こるからだ.イソップ寓話のすっぱい葡萄に見られるように,自分の行った行動はすべて正しかったと話を捻じ曲げて正当化する心理だ.

認知的不協和が起これば,集団に協調するだけの外面的な公的追従(Public Compliance)が自分の信念を変える私的受容(Private Acceptance)に転化することになる.言い換えれば,建前が本音になってしまうのだ.

独裁国家での自由な発言はリスクが高い.逮捕・拘束されて生命の安全が脅かされるからだ.生き残りを図る唯一の方策は独裁者への支持を表明して,そのように行動することだ.しかし,認知的不協和が働けば,独裁者への偽りの支持からその偽りが消え去る.結果的には破壊的カルト集団のマインドコントロールとの差異は消散してしまい,独裁者の犯罪行為に与する国民が誕生することになる.

犯罪者も詐欺師も独裁者もその共犯者も含めて自分の心の中では,破壊的カルト集団と同様に,認知的不協和が起こって自らは正しい行動をとっていると考えるようになれば質が悪い.ただし,認知的不協和を経験せずに反社会的人格を形成した独裁者が天性の素養によるものと判断するのは拙速だ.アクトン卿は「権力は腐敗の傾向があり,絶対的権力は絶対的に腐敗する.偉人は殆ど常に悪人である」と述べた.権力の座に永く居座り続けることが,独裁者を産み出す温床となるからだ.

人を動かすには心理学的な方法以外にもさまざまな方法がある,パブロフの研究以来,技術は進歩したようだが,公開されている情報に限りがあることにも間違いがない.

[注1] 生物進化の速度は競争の激しさによって高まる.海や砂漠などで閉ざされた孤立した地域では生物進化のスピードが遅く,外来生物が侵入すれば競争力を失う傾向が強い.生物進化が速く進む場所は東西に長く伸びるユーラシアだ.アメリカ大陸は南北に長く延びるが,緯度によって気温が大きく変動するので生物の移動が妨げられて進化には不利だ.それに対し広大なユーラシア大陸で進化した生物がアメリカ大陸やオーストラリア大陸に侵入すれば在来種を駆逐して繁茂するケースが多く見られる.ヒトも例外ではない.大航海時代にユーラシア大陸からアメリカ大陸に進出したスペイン人は瞬く間に先住民を征服した.オーストラリア大陸に進出したイギリス人も先住民を殺害して絶滅寸前にまで追い込み,タスマニアの先住民は実際に絶滅した.新大陸の先住民は病気に対する免疫力が低く,武器の技術力も低かったからだ.

[注2] 集団では暗示的であれ,明示的であれ,特有の規範が社会文化として醸成され,所属する個人は規範によって期待された役割を担うような場の空気を感じる.その場の空気を読み違えば,集団による馬鹿げた意思決定(集団浅慮)や危険性の高い極端な意思決定(リスキーシフト)に陥ることになる.

[注3] カリスマ的指導者による破壊的カルト集団の大量殺人や集団自殺の例としては,人民寺院(Peoples Temple),太陽寺院(Order of the Solar Temple),ヘヴンズ・ゲート(Heaven's Gate)などがあげられる[6].人民寺院は1955年にアメリカ合衆国で創設された社会主義キリスト教系新宗教で,1978年に南米ガイアナで人民寺院が開拓したコミューンのジョーンズタウンで信者918人が命を落とした.これは大量殺人あるいは集団自殺によるものだと考えられている.太陽寺院は1994年にスイスとカナダで53人が集団自殺し,UFOを信仰する宗教団体ヘヴンズ・ゲートは1997年に38人が集団自殺した.1995年の地下鉄サリン事件などの無差別テロを犯したオウム真理教は破壊的カルト集団,マインドコントロールされた信者が高額の献金を行った霊感商法事件は統一協会による詐欺事件だ.いずれもカリスマ的指導者が特権を享受する組織だ.

(その2に続く)

文献
1. D・カーネギー,人を動かす,創元社 (2016).
2. ギュスターヴ・ル・ボン,群衆心理,講談社 (1993).               
3. 例えば (a) C・A・キースラー,S・B・キースラー,同調行動の心理学,誠信書房 (1978). 
 (b) 山岸俊男,徹底図解 社会心理学,新星出版社 (2011).
4. スタンレー・ミルグラム,服従の心理,河出書房新社 (2012).
5. スティーヴン・ハッサン,マインド・コントロールの恐怖,恒友出版 (1988).
6. ジェイムズ・J・ボイル,戦慄のカルト集団―11の狂気教団が引き起こした衝撃の殺戮劇,扶桑社 (1996).

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