英国陸軍の役に立たない研究が米国海軍の役に立つ

米国海軍研究所(Naval Research Laboratory)のアーウィン(George Rankine Irwin)は1957年頃に破壊力学を産み出した[1].それは英国陸軍省(War Office)の王立航空機研究所(Royal Aircraft Establishment)で1921年に行われたグリフィス(Alan Arnold Griffith)の先駆的研究に基づいている[2].

弾性材料をひずませると変形した物体にはフックの法則(Hooke's law)によって,歪エネルギーが蓄積される.この歪エネルギーが限界値を超えると物体は破壊されて歪エネルギーは解放される.他方,破壊が生ずるときには2つの原子層を分離する応力が発生している.グリフィスはこれを物質の理想的破壊強度と見なして,その値を見積もったのだ.計算すればヤング率の10から20%となり,実用強度よりはるかに大きな値だ[3].

この原因を調べるためにグリフィスが行った実験がガラスを使ったモデル実験だ[注1].ガラス繊維を製作してその引っ張り強さを測定すると,ガラス繊維の径が小さくなるにつれて引っ張り強さの増大が認められたのだ.グリフィスはこの原因としてガラスに内在する微小き裂に応力集中が起こって,理想的破壊強度よりはるかに低い引っ張り強さを示したと考えた.実際には,強度を下げる欠陥はガラスの表面に存在するのであり,ガラス表面に何かが軽く触れるとたちまち表面に裂が生ずることが後に明らかになっている.

グリフィスはガラスを使ったモデル実験の詳しい内容が上層部の目に触れないように注意して実験を行わねばならなかった[3, 4].当時グリフィスの助手だったベン・ロックスパイザー卿(Ben Lockspeiser)によれば,その頃の通念では研究者は給料をもらう代わりに実用になる研究をするものとされていて,材料研究者の実験は木材や鋼鉄などの工業材料を扱うのが当然と思われていたから,モデル材料を用いたモデル実験など論外だったのだ[3].

火災をきっかけにグリフィスの行っていたモデル実験が上層部の目に触れると,グリフィスは航空機エンジン設計への配置転換を命ぜられた.そして,航空機用のガスタービンエンジンを設計したが,ガスタービンでプロペラを回転させるアイデアは採用されず,1938年にロールスロイス(Rolles-Royce)社に移籍して,ジェットエンジンや垂直離着陸機(VTOL: Vertical Take-Off and Landing Aircraft)の設計に従事した[5].

その後,アーウィンはき裂先端近傍の応力とひずみの解析から,応力拡大係数(Stress Intensity Factor)や材料特性としての破壊靭性(Fracture Toughness)の概念を取り込んだ破壊力学(Fracture Mechanics)の体系を構築した[注2].

鉄鋼などの金属材料の引張試験を行うと,引き伸ばされた試験片の一部にくびれができて細くなり,最後には破断に至る.金属を引っ張れば,まずは弾性変形が起こってフックの法則によって伸びる.構成している原子間の距離が引張応力によって伸びている状態だ.さらに引っ張り続ければ,せん断応力によって原子面の滑りが起こってくびれが生ずる.引っ張り方向に垂直な面には引張応力のみが発生するが,そこから傾いた面には引っ張りとせん断の応力成分がともに生ずるからだ.

引張応力による弾性変形からせん断応力によって原子面が滑ってくびれを生ずる塑性変形の段階に変化する点が降伏点だ.原子面の滑りは完全結晶では起こりにくいが,面状の欠陥(転位)が存在すれば滑りの起こるせん断応力は低くて済む.この転位論のはじまりは1934年で,戦後の10年間ほどの間に急速に発展を遂げたのだから[6],破壊力学の発展とほぼ同時に成立した分野ということになる.

金属材料の破壊がこのように塑性変形が始まってから起こるとすれば,弾性変形が起こっているときには破壊は起こらず安全に使用できることが保障される.しかし,低い応力のもとで繰り返し荷重が加えられたときには,疲労破壊が起きる.また,低い温度では塑性変形が起こりにくく,ほとんど変形せずに破壊に至る低温脆性が生ずると破壊の兆候を知ることは困難になる.

疲労破壊については,一定以上の応力で一定の繰り返し荷重を加えると破断に至ることが実験データから導かれ,繰り返し回数が限度に達すると破断することが予測できるようになった.低温脆性については,それまではさほど注目されなかったが,第二次世界大戦中に米国で急造された艦船が停泊中に突然真二つに破壊する事件があった.寒い夜の出来事だった.海軍研究所に勤務していたアーウィンはグリフィスの脆性破壊の理論を応用して,低温脆性によって艦船が突然破壊する問題の解決に取り組んだのだ.なお,突然破壊の起きた艦船はいずれも溶接船であり,溶接部が脆性破壊した.

英国陸軍の航空機研究所で行われたグリフィスの研究は,米国海軍研究所に勤務していたアーウィンによって破壊力学へと発展し,海軍の艦船の低温脆性の問題解決に応用された.グリフィスの軍事研究は,英国陸軍や空軍ではなくまずは米国海軍に貢献したのだった.破壊力学の誕生に我が国も微力ながら貢献している.米国海軍の溶接船製造を促したのは日本海軍だったからだ.

[注1] ウィルバーとオーヴィルのライト兄弟が有人動力飛行に成功したのは1903年,ヘリコプターによる浮上は1907年,ドーバー海峡の横断飛行に成功したのは1909年だった.1914年に第一次世界大戦が始まると飛行機は戦闘に投入された.1916年にウィリアム・ボーイング(William Boeing)がPacific Aero Productsを設立(1917年にBoeing Airplane Companyに改名),1917年には中島知久平が飛行機研究所(のちの中島飛行機株式会社)を設立した.このような時代背景のもとで1904年設立の気球を製造する陸軍のArmy Balloon Factoryは1912年にRoyal Aircraft Factoryと改名し,イギリス空軍が設立された1918年にはRoyal Aircraft Establishmentへと再改名して製造から研究へとその役割を変更した.しかし,いずれも英国陸軍を管轄する陸軍省のもとでの研究だから,グリフィスの研究は軍事研究の一環だったのだろう.研究所の上層部には陸軍省への説明責任が生ずるはずだが,ガラスを使ったモデル実験を軍事研究として説明する能力を持った人材が上層部にいなければ,グリフィスの研究を中止させる命令以外の選択肢は考えにくい.グリフィスの研究の当初の狙いは金属機械部品の表面処理と荷重下での強さの関係の発見であり,理論的な解析結果を実験で調べるためにフックの法則に従う等方的な材料であるガラスを選んでモデル実験を行ったのだった[2].

[注2] 破壊靭性とは臨界平面歪応力拡大係数(Critical Plane-Strain Stress Intensity Factor)のことで,一般には平面歪状態でのき裂に対してモードIの応力が作用したときにき裂が急速に成長して破壊に至る応力拡大係数の臨界値のことだ.KIC(ケイワンシー)と呼ばれる.

文献
1. G. R. Irwin, Analysis of Stresses and Strains Near the End of a Crack Traversing a Plate, Journal of Applied Mechanics, 24 [3] 361-364 (1957).
2. A. A. Griffith, The Phenomena of Rupture and Flow in Solids, Philosophical Transactions of the Royal Society of London, A, 221 [4] 163–198 (1921).
3. J. E. ゴードン,強さの秘密,丸善 (1999).
4. 坂田勝,破壊力学の夜明け(1) ,機械の研究,44 [5] 579-583 (1992).
5. 坂田勝,破壊力学の夜明け(2) ,機械の研究,44 [6] 676-680 (1992).
6. 例えば,丸川健三郎,大村孝仁,転位論・強化機構論 その歴史の概略と現状の問題点,鉄と鋼,100 [9] 1076-1088 (2014).

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