蔵前の東京高等工業学校跡地を探して
埼玉短信の範囲から足をちょっと伸ばした報告で、お許しください。
東工大に学生として9年間、職員として40年間、併せて49年も在籍しておりながら、蔵前の東京職工学校のあったところを一度も見た事が無かった。2025年6月、新橋で2時間程時間が有ったので、思い立ったように都営浅草線で蔵前に行ってみた。車中携帯で東京職工学校の場所が東京都台東区蔵前1-3である事を調べた。改札口を出て細い階段を上り、携帯の地図と電柱の地名表示を見ながら隅田川に向かって進んだ。下水道局を右に見ながら隅田川に着いたので右に曲が楼としたら、行き止まり。やむなく戻って御蔵前通りを南に下ったが、目的の住所が何処だかわからなくなった。 途中、揖取稲荷神社(カジトリイナリ)の関係者と思われる人に尋ねたところ、御蔵前通を真直ぐ行った突き当りを左に曲がって直ぐと教えてくれた。言われた通り行った先には榊神社があった。私の直感で神社は昔からあるもので、これは違うと思い込み、近くの柳橋2丁目交番で聞いてみた。お巡りさん3人が御存知無かった。
未だ30分ほど時間が有ったので、榊神社に戻り、階段を上った右に大きな石碑があり、その前に「浅草文庫跡碑」の説明盤があった。

「浅草文庫は明治8年に設立され、明治14年に閉鎖。跡地は、翌15年に東京職工学校(旧東京高等工業学校、現東京工業大学)の敷地の一部になった。関東大震災で東京高等工業学校は大岡山に移転。昭和3年に榊神社が移ってきた」と記載されているではないか。なんだ神社は移ることがあるのだ。思い込みは危険である事を思い知らされた。
目的を達成したので、交番に報告し、新橋に戻った。
帰宅してネットで東京職工学校について調べていたら、蔵前工業会が建立した「蔵前工業学園の碑」なるものがあるという記載があった。 https://note.com/robotakun/n/n29ce241c273b
どうも私は重要なものを見ないで帰ってきたのでは無いかと思い、蔵前工業会の元事務局長の本房氏にメールをしたところ、榊神社に「蔵前工業学園の碑」があるとの事。Googleマップのストリートビューで榊神社の回りを回ってみたところ、榊神社の南側に「蔵前工業学園の碑」が映っているではないか。
