広い意味でのアーツとサイエンスの4分野

大学を卒業すると学士号の学位を得るのだが,英語ではこれを Bachelor's Degree と言う.しかも,学士号は専攻分野によって細分化されていて,代表的な学士号はBA (Bachelor of Arts) とBS (Bachelor of Science) である.前者はアーツ (Arts) の学位,後者はサイエンス (Science) の学位だが,学問のとらえ方が欧米と日本では異なるので,日本語に翻訳さえすれば容易に理解できると言ったものではない.欧米の思想の根底にはキリスト教があり,それによってアーツとサイエンスが区別されているのだ.

アーツは「things humans made (人間がつくったもの)」を学び・研究することであり,それには文学,歴史,哲学,美術,建築,音楽などが含まれる[1].このなかで中世ヨーロッパの大学で教えていたリベラル・アーツとは算術,幾何学,音楽,天文学からなる数学的思考に関わるクアドリウィウム (四学:Quadrivium) に文法,修辞学,論理学からなる言語運用能力に関わるトリウィウム (三学:Trivium) を加えた自由七科のことだ[2a, 2b].そして論理的思考を学ぶ哲学は自由七科の上位に位置づけられていた.なお,現代の大学で学ぶアーツの分野は,人文学 (Humanities) に包含される外国語,言語学,文学,歴史学,倫理学,哲学,美学,神学,民俗学,人類学,地理学といった分野だから,日本語の芸術 (Fine Art) に相当する分野はアーツの一部に過ぎず,広い意味のアーツはリベラル・アーツよりも幅広い概念なのだ[注1].

カルチャー (文化:Culture) がアーツと似ている点はいずれも人間がつくったことによるものだ[注2].文化は集団に普遍的な生活様式であり,それをつくったのは人間だが,集団内に受け入れられることが必要だ.メインカルチャーは主流派の支持を得た文化で,サブカルチャーは少数派の支持を受けたものだ.そしてメインカルチャーに反旗を翻すものがカウンターカルチャーで,1960年代のアメリカにおける公民権運動やベトナム反戦運動が代表例だ.これらはカウンターカルチャーとして始まったが,多数派となってメインカルチャーに移行したことからも,メインカルチャーはサブカルチャーあるいはカウンターカルチャーの支持が広がって成立したものだといえよう.

ヨーロッパの貴族や富裕層階級で発達したハイカルチャーは19世紀までのヨーロッパでは唯一の価値ある文化だ[注3].ハイカルチャーには実生活に有益な内容がほとんど含まれていないが,その習得に一定期間の教育が必要なため難解であり,ポピュラーカルチャー (大衆文化) とは隔絶された高尚な存在であった.しかし,20世紀になってポピュラーカルチャーにハイカルチャーの一部が取り込まれるようになり,その境界が曖昧になったのは大衆の教育水準が高まったからだ.

集団内に多様なカルチャーが共存するように,集団内のアート (芸術:Art) にも多様性がある.ポピュラーカルチャーに対応するものを大衆芸術とすれば,ファインアートはハイカルチャーに対応するものだ.大衆芸術には娯楽の要素が含まれているが,ファインアートは芸術的価値を追求するもので,娯楽性や実用性が排除されている.その主要な構成要素は建築,彫刻,絵画,音楽,詩であったが,その後,舞踏,演劇,映画なども付け加えられるようになった.そして美術分野の代表的なファインアートが絵画と彫刻だ.

実用的価値を持つものを応用芸術,大衆の娯楽のためのものを大衆芸術と呼ぶのは,ファインアートのハイカルチャーへの帰属を喧伝する差別化戦略だ.実用価値のないものに大金を投ずることは顕示的消費の一種であり,これを実現できるのは富裕層に限られる.ファインアートが高尚で難解であることは,大衆芸術との差別化を図ろうとする試みだから,歴史の浅い前衛芸術も容易に理解を得られないほど難解であるならば,ファインアートへの扉が開かれるのだ.

サイエンスの研究対象は自然である.神がつくった世界を貫く法則を見つけ出すために「things God made (神がつくったもの)」を学び・研究することだ[1].日本語の科学には自然科学と社会科学の2種が含まれるが,欧米の Science の分類は日本語の科学分類とは一致しない.欧米の Science は以下のように4種から構成される.

人間社会も自然界の一部とすれば,サイエンスの対象はナチュラル・サイエンス (自然科学:Natural Science) とソーシャル・サイエンス (社会科学:Social Science) に大別される.前者は日本語の科学・理科に相当し,物理学,化学,生物学,地球科学,宇宙科学などが含まれる.そして,後者には経済学,経営学,政治学,法学などが含まれるのだ.なお,心理学の学士号については,BAとBSの2つのオプションがあり,それはカリキュラム次第だ.

アプライド・サイエンス (応用科学:Applied Science) とフォーマル・サイエンス (形式科学:Formal Sciences) はサイエンスとしての位置付けが異なる.前者はサイエンスで得られた知識の応用であり,医学と工学がその代表例だ.後者は自然界に存在しないものを対象とするもので,数学がその典型だ.自然界に存在しないものを「things God made (神がつくったもの)」とするのは無理がありそうだが,学問を行う上でのツールとしての働きに着目して,アーツではなくサイエンスの範疇に組み込まれている.コンピュータ・サイエンス (Computer Science) もフォーマル・サイエンスの範疇だ.

欧米における学問の対象は,(i) 人文学を包含するアーツの分野と (ii) 4つのサイエンスの分野だ.ナチュラル・サイエンス,ソーシャル・サイエンス,アプライド・サイエンスそしてフォーマル・サイエンスの4分野である.さて,中世ヨーロッパの大学で教えられていた自由七科の内容を確認してみよう.算術,幾何学,天文学の3科はいずれも数学だから,現代ならばフォーマル・サイエンスだ.文法,修辞学,論理学,音楽の4科は現代ならば人文学の範疇だ.そして,自由七科を終了した中世ヨーロッパの大学生は,神学,法学,医学のいずれかの専門学科に進んだ.なお,中世ヨーロッパにおける音楽はピタゴラス教団の系譜であり,数学と強く結びついていた.

サイエンスの学習を現代に即するように修正すれば,まずはフォーマル・サイエンスを学び,次にナチュラル・サイエンスとソーシャル・サイエンスを学ぶ.そして最後にアプライド・サイエンスを学習する順序が合理的だろう.フォーマル・サイエンスでは数学とコンピュータ・サイエンスは必須だ.続いて,自然科学と社会科学のいままでの歩みを辿ることになろう.その応用としての医学と工学を学べば,人類全体が保有する科学知識の全貌を概括することができる.

人文学についても人類が築き上げてきた過去の蓄積の全体像を総括することが重要だ.新たな創造は人類がいままでに築き上げてきたものに追加される性格のものだからだ.なお,人文学を中世ヨーロッパの大学で教えられていたリベラル・アーツに限定するのは時代錯誤だ.産業革命以降に出現したさまざまな工業製品や科学思想も,人類がいままでに築き上げてきたものの一部だからだ.

アーツ (人文学) やサイエンスを学ぶ方法は時代とともに変化している.中世ヨーロッパの大学では知識を保有する人材を雇用して,知識の移譲 (授業の実施) とその対価 (授業料) の支払いの契約を結んだ.しかし,現代では適切なテキストを読み,動画を視聴すれば知識の入手は容易だ.課題は知識の運用能力であり,インターネットを通じての応答によってもある程度は可能だが,これについての中世からの変化は小さく,論理的思考を育む対面での議論の応酬が最重要だろう.

人類がいままでに成し遂げた科学・技術水準をさらに高めるために,その全体像を把握することが有益なことは論を俟たない.専門的な職業教育を受けた後,自ら研究開発を推進して,科学・技術の水準をさらに高めることに寄与することは従来から行われてきた手法だが,人工知能に指示してその作業を業務委託することも可能になった時代が近づいてきたからだ.

科学・技術の水準がさらに高まったときに,それをどのように扱うかを判断するには,正しい判断を下すための総合的な知識の保有とその知識の運用に係わる思考能力が重要だ.科学的な発見を何に応用すべきか,開発した技術をどのようにビジネス展開するかなどについて,そして人工知能に業務委託する項目を的確に指示するためにはアーツとサイエンスの視点から見た世界の全体像を把握していることが有利に働く.知識の運用には,論理的な思考能力の醸成とともに運用される知識を有することが前提になるのだ.

しかし,人類がこれまでに蓄積してきた知識を機械学習によって学んだ人工知能に,正しい判断を委託することも可能になる時代が近づいていることも確かだ.ニホンザルやチンパンジーの階級社会は筋肉の発達した個体による暴力的支配によって成立するものだが,人類の築き上げた階級社会は武器力や軍事力に依存するものから経済力に依存するものへと移行してきた.人類社会の進化が技術進歩に大きく依存した経緯を踏まえれば,人工知能を新たな階級社会における強力な支配の道具として活用を企てるものも現れるだろう.人類社会の進化はその滅亡に至るまで継続は必至だろうが,人間性の進歩がそれに追従するかはまったくの不透明なのだ.

[注1] 幕末から明治期にかけて,新たな和製漢語が盛んに作られた.「Liberal Arts (リベラル・アーツ)」の和訳に際し,「Arts」の訳語に「藝術」が,ウィーン万博の頃 (1873年) には「Fine Art (ファインアート)」の訳語に「美術」が採用されたのだが,内国勧業博覧会の頃 (1877年) には意味が変化してしまい,芸術は「Fine Art」の訳語,美術は絵画や彫刻に代表される視覚芸術を指すようになった.なお,芸術 (Fine Art) に実用性が付与されれば工芸 (Craft),娯楽性が付与されれば芸能 (Entertainment) だから,役に立たず,楽しくないことが芸術の特徴でもある.

[注2] 動物が集団ごとに異なる文化を有している例は,幸島のニホンザルのイモ洗いや地獄谷温泉のニホンザルの入浴などに見られる.アフリカのチンパンジーも,茎を使った蟻釣りや石を用いたナッツ割りなどの道具使用の方式は集団ごとに異なる.いずれも1個体の行動に始まるサブカルチャーが,集団内での文化的継承が世代を超えて行われ,メインカルチャーに進化したようだ.集団内行動の文化的継承を行っている動物はニホンザルやチンパンジーに限ったことではないが,人間のみが道具を製作したり,文化を育んだりするとの考えは大きな誤りだ.

[注3] ハイカルチャーに含まれる内容は時代によって異なるが,上流階級に所属するものが共有する文化であったことに変化はない.ヨーロッパではギリシア哲学やドイツ観念論に加えて,シェイクスピアの作品や馬術などが重視され,日本で重視されたものは,和歌や漢詩の素養,能楽や儒学の知識に加え茶道や香道などであった.いずれも日々の生活における実用性との関連は低いから,余裕のない一般大衆がその習得に多大な時間を費やすことは合理的ではない.雄クジャクの飾り羽や雄のグッピーの鮮やかな尾鰭といった生存には不要な機能が性選択によって発達したことに似て,ハイカルチャーは上流階級のみに発達した実用性に乏しい機能なのだ.

文献
1.山田順,東洋経済オンライン 日本人の的外れな「リベラルアーツ論」:https://toyokeizai.net/articles/-/13697
2.例えば,(a) 潮木守一,欧米におけるリベラル・アーツの起源と教訓,学術の動向,13 [5] 10-15 (2008).
 (b) 野家啓一,科学技術時代のリベラル・アーツ,学術の動向,13 [5] 26-30 (2008).

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