心身二元論と神の創造
「我思う,ゆえに我あり」はデカルトが「方法序説」のなかに示した命題だ[1].たとえ世界のすべてを虚偽と仮定しても,それを仮定する考えは自分の意識作用によって生まれるのだから,自分の意識の存在を否定することはできないと言うものだ.自分の意識作用を心とすれば,自分の心は自分の肉体に宿っているとも考えることができる.この考えの帰結は心と肉体から人間が構成されるとする心身二元論だ.
人間の本質が心にあるとすれば,死によって肉体が滅びても,それは人間の本質が滅びたことにはならないとの発想が導かれる.心の本体は魂であり,人が死ねば魂は霊となって肉体から離脱して死後の世界に向かうとするならば,この発想には死への恐怖を和らげる効果がある.意識が脳の活動の現れであり,脳の活動が停止すれば意識を完全に失うから,肉体が滅びるとともに心あるいは魂は消滅するといった理解は科学に基づくのだが,主要な宗教に採用されているのは科学的知識ではなく,心を本体とする心身二元論の発想だ.そして宗教による差異は死後の世界の描き方に現れる.
神道では故人の魂は家を護る氏神になると考える.故人の魂は祖霊に加わって合祀され一族そして地域の氏神となるのだ.神道では肉体は魂の依代であるとの考えは,心身二元論とも完全に一致している.氏神は合祀された祖霊の集合体だから目には見えないが,それが憑依すれば可視化される.人に憑依すれば現人神,正月に神を迎えるために飾る注連縄には神霊が依り憑く[注1].注連縄を締めた横綱に品格が要求されるのは,神の依り代でもあるからだ.
仏教はヒンドゥー教における輪廻転生の思想を踏襲するが,そこに新たに加わったものは解脱の思想だ.人が死ぬとその魂は三途の川 (生と死の世界を隔てる川) に向かう.そして三途の川を渡ると裁判 (裁判官は閻魔大王など) にかけられ,生前の行いによって生まれ変わる先が決められる.行き先は地獄道,餓鬼道,畜生道,修羅道,人間道,天上道からなる六道のいずれかだ.肉体は滅びても,魂は輪廻転生を繰り返して滅びることはないとの考えである.仏教が説くのは,苦しみに満ちたこの世の世界における輪廻転生の永遠の繰り返しから解脱して極楽浄土に行く方法だ.
キリスト教における死は肉体から魂が離れることだ.死によって魂は肉体を失うが,死は永遠の生命への入り口でもあると考える.キリスト教の教えによれば,聖書を学び神に祈りを捧げることで魂は永遠の命を得て天国に行くのだが,信じなかった人は地獄に落とされる.これも肉体は滅びても魂は滅びることはないとの発想からの帰結だ.なお,神への祈りはキリスト教に限らず,宗教で行われる共通的な行動だ.それは信者に利益をもたらすことを期待する行動だが,神はそれによって何の利益も得ることはない.確実に利益を得るのは祈祷の代行者 (祈祷師) を含む宗教団体の運営者に限られる.神は無欲なのだ.
文学でも心身二元論の発想は広く受け入れられている.カフカの小説「変身」は目覚めると巨大な虫になっていた男の話だ[2].心には変わりはないが,身体が変化したのだ.ボーモン夫人の「美女と野獣」の話では王子が野獣に変身させられ[3a, 3b],グリム童話の「カエルの王様」の話では王子は蛙に変身させられた[4a, 4b].そして日本民話の「鶴の恩返し」の話では鶴が若い娘に変身する[5a, 5b].心と身体の入れ替わりは,小説,映画,漫画などではよくある設定だ.心身二元論では常に心が本体だから,肉体が入れ替わっても心には何の変化もなかったように描かれる.
「なぜ」は原因や理由を問うときに用いられる言葉だ.物の現象に関しては原因が問われ,人の行動についてはその理由が問われる[注2].原因を回答するためには,そのメカニズムの理解が必要だが,科学が未発達の時代にメカニズムを理解することは容易ではない.しかし,人が行動した理由を回答するならば説明は容易だ.理由は目的を達成する手段として,当事者が認識している自分の意図だからだ.
科学が未発達ならば,説明のつかない事象も数多い.地震,落雷,日食・月食,隕石の落下や火山の噴火などといった自然現象のメカニズムを正しく説明することは科学が未発達ならば困難であったろう.自然現象のメカニズムを理解するには原因から結果をつなぐプロセスについて,科学を根拠とした説明が必要になるからだ.この困難を解消する方法は,回答のすり替えだ.「なぜ」への回答を,原因ではなく理由とするのだ.
物の現象に対する「なぜ」をその原因ではなく理由で答えるならば難易度は大幅に低下するが,その背後に目的を達成しようとする超自然的な擬人化された存在を仮定せねばならない.自然界を操る神の存在を仮定すれば,自然現象の発生は神の意図する目的と関係があるはずだということになるから,その仮定によって説明は完璧になる.
自然現象の発生が神の意思によるならば,神に働きかけて利益を得ようとする発想はその成り行きだ.神を懐柔して利益を得るための賄賂が供物だ.墓や仏壇に果物や菓子などの供物を捧げ,お参りが済んだ後にはすぐにお下がりとするならば安上がりの賄賂だが,生きている人間を生贄として捧げることは神への最上級の奉仕となる.人身御供は古代社会に盛んだった風習だ.
神が権威として認められれば,その権威には利用価値が発生する.現代ならば支配の正統性は民衆の支持だが,民主主義以前の社会では神による正統性の権威付けが重要であった.そこで,古代エジプト王国のファラオは自らを神の化身と称した.中国皇帝の正統性は天帝から天命を受けた自称・天子であることだ.
西ヨーロッパに侵入したフランク王国の支配の正統性は,カール大帝がローマ皇帝としての戴冠をローマ教皇から受けたことで担保された.神聖ローマ帝国の権威もオットー1世がローマ教皇からローマ皇帝の戴冠を受けたことだ.そして天皇の正統性は神を祖先とすることだ.日本を統治する権力者の正統性は,天皇からの権力移譲を根拠としている.鎌倉時代から江戸時代までの武家政権における最高権力者の多くは征夷大将軍 (織田信長は征夷大将軍・足利義昭を追放した後に右大臣,豊臣秀吉は関白) に就任した.現代でも,日本国憲法によって内閣総理大臣の任命が天皇の国事行為として定められている.
権力者が宗教指導者を兼ねることも一策だ.神からの啓示を受けて預言者となったムハンマドはイスラム教を創始し,イスラム軍を率いて勢力を拡大した.ムハンマドの後継指導者も勢力圏を拡げ,ウマイヤ朝やアッバース朝を樹立したが,その権力者も宗教指導者であった.そしてイギリス国教会を創始したヘンリー8世は国教会の首長に就任して,離婚の自由を獲得した.
[注1] 神社の入り口にある鳥居は神の世界への入り口だ.そして神社に置いた狛犬像は神前を守護するためだ.神社に祀る神々はさまざまだ.天満宮や天神神社は菅原道真を祭神とする神社で牛が神の使いだ.稲荷神社にお祀りするのは稲を象徴する農業の神で,そこに狐の石像が置かれるのは神の使いだからだ.八幡宮は八幡神を祭神とする神社で,鎌倉八幡宮の「八」の字が2羽の鳩でデザインされているのは,鳩が神の使いだからだ.明治神宮の祭神は明治天皇だが,遺体は伏見桃山陵に埋葬された.近江神宮の祭神は天智天皇だが,遺体が埋葬されたのは山科陵 (御廟野古墳) だ.神社に祀られている神の本体は目では見えないものなのである.
[注2] 「ティンバーゲンの4つのなぜ」とは動物の行動については,4つの異なる「なぜ」が存在するということである.ニコ・ティンバーゲンがそれを言ったのは1973年だ[6].それは,(i) 何のための行動なのか (究極要因),(ii) その行動が作動するメカニズム (至近要因),(iii) その行動が生殖細胞からどのように発達したのか (発達要因),(iv) その行動が進化の過程でどのように獲得されたか (系統進化要因) の4つだ.このうち発達と進化は生物固有の問題である.残りの究極要因については目的を達成するための手段であるから理解は比較的容易だが,至近要因のメカニズムを理解するには科学の進歩が必要になる.例えば,鳥のさえずりを例にあげれば,(i) 縄張りの維持と雌の獲得に効果があり,さえずる行動によって繁殖成功率が高まったことが究極要因,(ii) 季節変化を感知する体内メカニズムや歌生成を促すホルモンなどが至近要因だ.(iii) 発達要因は歌を生成する遺伝的なプログラムと他の個体の歌を聴いて自分の歌を改良する文化的進化の要因を解明すること,そして (iv) 系統進化要因については祖先のさえずりがどのようにして現代の鳥のさえずりに変化したかの歴史的な道筋の話だ.このように「ティンバーゲンの4つのなぜ」の意味とは,動物のある特定の行動が発達した「理由」については究極要因に相当するのだが,その「原因」については,物のなぜを説明するメカニズム (至近要因) 以外に,発達要因と系統進化要因の2つの「なぜ」が追加的に存在するとの指摘である.
文献
1.例えば,デカルト,方法序説,岩波書店 (1997).
2.例えば,フランツ・カフカ,変身,角川文庫 (2022).
3.例えば,(a) 美女と野獣 (ボーモン夫人) のあらすじ:https://furansugonosekai.com/la-belle-et-la-bete/
(b) 美女と野獣:https://castel.jp/p/1166
4.例えば,(a) 例えば,カエルの王さま:https://www.aozora.gr.jp/cards/001091/files/59498_71683.html
(b) かえるの王様:https://ara-suji.com/fairytale/3276/
5.例えば,(a) 鶴の恩返し:http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=17&cid=40
(b) 鶴の恩返し:https://iroha-japan.net/iroha/D02_folktale/05_tsuru.html
6.例えば,長谷川眞理子,生き物をめぐる4つの「なぜ」,集英社 (2002).