敢えて愚問を問う

何のために生きるのかといった問いは愚問である.すべての生物の生きる目的は繁殖であり,この目的を達成できなかったものは既に絶滅してしまって存在しないからだ.

単細胞生物の多くは細胞が2つに分裂することによって増殖する.生存して成長した結果が増殖であるから,繁殖は生存と一体化している.しかし,大部分の多細胞生物では雌雄の生殖細胞から受精卵が生まれ,それが成長して新たな個体を形成するので,適切な繁殖戦略を採用することが肝要である.

サンゴは初夏の満月の頃,一斉に生殖細胞を放出し,裸子植物では花粉が風に乗って受粉することを願う.運動能力のないサンゴや裸子植物では生殖細胞を放出して,受精は運に任せるのだ.

運動能力のある生物では受精に先立って雌雄が接近する.一般に雄は数多くの子を残すため,雌は質のよい子を残すために行動するから,雌雄の利害は対立する.雄は雌の獲得を巡って雄同士で争い,雌は交尾候補となる雄を品定めする.これがシカやクジャクなどに見られる性選択である.

生物の生育に適した良好な環境では,多くの生物が活発に活動する.卵や稚魚は格好の餌食であり,直ちに捕食されてしまえば絶滅の危機となる.そこで,親魚による保護が発達した.ビクトリア湖やマラウイ湖に住むシクリッドは受精卵を口内で保護し,孵化した稚魚も危険が迫れば親魚の口内に避難する.

カワウソはもっと過保護だ.つがいとその子供たちからなる群れで縄張りを守る.産まれた子供は母乳を与えられて育ち,捕食者から保護され,泳ぎや魚の捕らえ方を教育される.

生存は繁殖のための手段であるが,環境が悪化したときにも生き残る術を磨いてきた.炭疽菌,枯草菌,破傷風菌,ボツリヌス菌などの芽胞は煮沸消毒やアルコール消毒に耐える.宿主の体内では細胞分裂で増殖するトキソプラズマ原虫は接合によってオーシストを形成する.宿主の体外に排出されたときに生き残りを図るためだ.大賀ハスは2000年の種子休眠から目覚めて発芽した.水溜りに生息するミジンコやカブトエビやホウネンエビは干しあがったときにも生きる術を会得した.水底だった地中で耐久卵になり,環境が回復するまで休眠するのだ.

バクテリアは環境が悪化すると細胞壁が厚くなって休眠する.菌類は角質状の表皮に覆われた菌核となり,落葉樹は葉を落とし,宿根草は地上部を枯らして休眠する.ハイギョは水のない乾季を地中で休眠して過ごし,ヤマネは寒くなると体温を下げ,呼吸数や心拍数も低下させて冬眠する.

あらゆる生物は生存と繁殖を達成すべく,さまざまな方式を編み出した.現存する生物は過去の生息環境に適応して生き残った成功者なのだ.しかし,アリやシロアリやミツバチなどの真社会性生物には繁殖活動を行わない個体がいる.兵アリ(ソルジャー)や働きバチ(ワーカー)などである.これらの真社会性の不妊個体は子を儲けずに集団内での役割を担って一生を終える.女王の産む個体が自身との血縁度が高いので,コロニーの繁栄によって自分の遺伝子のコピーを子孫に伝えることができるからだとハミルトン(W. D. Hamilton)は考えた.これがリチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)によって世に広く知られるようになった血縁選択説である.

真社会性は地中のトンネルに住むハダカデバネズミ,虫こぶに住むアブラムシ,カイメンに住むテッポウエビなどにも見出された.女王などの繁殖個体が子作りに専念し,その他の個体はコロニーを支えるそれぞれの担当業務に励むのだ.ワーカーやソルジャーは本来の生きる目的を放棄し,所属する社会への貢献を一生の仕事としている.任務に邁進し,そして死ぬのだ.彼らに生きる目的を問えば,どのような答えが返ってくるだろうか?究極の目的はコロニーの繁栄を通じて,自分の遺伝子を次世代に繋ぐこととしても,当面の課題は仕事に励むことだと答えるかもしれない.手段が目的化されたためだ.コンクリートジャングルのコロニーに住む仕事中毒の2足歩行の生き物にも尋ねてみたい.敢えて愚問を問う.何のために生きているのかと.任務に邁進し,そして死ぬと答えるのだろうか.

(岡田 明)

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