明治神宮外苑を散策する

青山2丁目の交差点から明治神宮外苑の軟式グラウンド前まで四並列の銀杏並木が連なっている.並木の総本数は146本で雄木が44本,雌木が102本である.神宮外苑は1926年10月22日の創建だが,この銀杏樹は新宿御苑の銀杏の種から育てられた1600本から選抜して1923年に植栽したものだ.「明治神宮外苑之記」には,明治神宮奉賛会の会長・徳川家達名で,1920年に明治神宮が創建され,1926年に旧青山練兵場に明治神宮外苑が完成した.そして苑内には聖徳記念絵画館を中心に競技場や野球場などの運動施設が設けられたと記されている.

聖徳記念絵画館は1926年に完成した絵画館で壁画80枚が展示されている.壁画のサイズは縦3メートル,横2.7メートルだ.明治天皇の前半生は40点の日本画で,後半生は40点の洋画で描かれている.1926年に5点の絵画が展示され,80点の絵画が揃ったのは1936年である.当時の様子を正確に再現することを求められた画家は絵画を完成させるために,実地調査や衣装を取り寄せたりしたとされる.宮内庁も京都御所の特別拝観を許可し,西南役熊本籠城の作品では熊本第六師団が協力した.熊本籠城戦の再現のため,800人もの歩兵が実際に大砲を山に運び上げて行った模擬戦の様子を画家がスケッチしたのだ.

神宮外苑に設けられた最初の競技場は1924年に完成し,1957年に解体された明治神宮外苑競技場である.1943年には学徒出陣の壮行会会場となり,1945年にGHQに接収され,接収が解除されたのは1952年だった.次に建設されたのは1964年のオリンピックが開催された国立霞ヶ丘陸上競技場 (旧国立競技場) である.その竣工は1958年で,2014年に解体された.その跡地に建設されたのが2019年竣工の国立競技場で,2021年に開催された2020東京オリンピックに利用された.まだ解体される予定はない.

国立競技場の周囲に置いてあるのは,1958年に製作され2020年に移設された旧国立競技場の鋳物製の炬火台 (1958年に東京で開催された第3回アジア競技大会の炬火台と1964年に東京で開催された第18回オリンピック競技大会の聖火台に用いられた) と2021年に東京で開催された第32回オリンピック競技大会 (2020東京オリンピック) で用いた聖火台だ.明治神宮野球場と明治神宮相撲場は1926年の竣工だが,1961年に相撲場の跡地に明治神宮第二野球場が建造された.第二野球場は既に解体工事が進められているが,明治神宮野球場はまだ健在で解体されていない.

この外苑の敷地が陸軍の青山練兵場 (1886年に日比谷練兵場から移転し,1918年に代々木練兵場に移転した) だった頃には,明治天皇の親臨のもとに観兵式がしばしば行われた.憲法発布観兵式 (1890年2月11日) や日露戦役凱旋観兵式 (1906年4月30日) などは特に盛大だった.明治天皇の観兵の際には御観兵榎の西前方に御座所が設けられていた.初代御観兵榎は1995年の台風で倒壊し,現在の榎は1996年に移植した二代目御観兵榎である.明治天皇大喪儀葬場殿址は1912年に没した明治天皇の青山練兵場で行われた葬場殿 (葬場殿の跡地には聖徳記念絵画館が建てられた) の跡だ.そこには楠が記念樹として植えられている.

国立競技場の南側に隣接する都立明治公園には近衛歩兵第四聯隊跡と近衛歩兵第六聯隊跡がある.近衛歩兵第六聯隊は1943年5月14日に臨時編成された将兵3000名の部隊で,6月28日以降は終戦までこの青山に駐屯したと記されている.そして公園の隅には1964年の東京オリンピックの際に建立された嘉納治五郎・クーベルタンの碑がある.左側にあるのが講道館の創始者で日本人初のIOC委員になった嘉納治五郎のレリーフで,右側にあるのがクーベルタン男爵のレリーフだ.

神宮外苑は再開発が予定されており,その完成は2036年の予定だ.神宮球場,第二球場,軟式グラウンドは消滅し,新神宮球場が2032年に建設される.秩父宮ラグビー場も取り壊されて移転し,新たな新秩父宮ラグビー場が2028年に誕生する.テニスコートは現在の軟式グラウンドの一角に移転するといった計画だ.再開発によって神宮外苑の風景は大きく変化することになるのだが,聖徳記念絵画館と国立競技場だけは現在の姿を留める予定だ.

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