初めての浅草観光(その2:かっぱ橋道具街)

菊屋橋から金竜小学校前に至るかっぱ橋道具街通りには料理関係のさまざまな専門店が立ち並ぶ.食器店や包丁店で販売される商品は家庭でも使用できるが,厨房設備機器,店舗装飾用品,食品サンプルなどの店は飲食店向け用品だ.かっぱ橋に道具商・古物商が現れたのは大正元年(1913年)とされる.1940年の東京大空襲で道具街は全焼したが,1960年にアーケードが完成し,1983年からはかっぱ橋道具まつりが秋に開催されるようになった.

かっぱ橋の由来には2説ある[1].

1.現在の金竜小学校のあたりにあった伊予・新谷藩の城主である加藤家下屋敷に住む侍や足軽が内職で作った雨合羽を近くの橋で乾かしたことで合羽橋と呼ばれるようになった.

2.この一帯は水はけが悪くわずかな雨で洪水が起きていた.そこで文化年間(1804~1817)に商人として財を成した合羽屋喜八は私財を投じて排水工事に着手したが,遅々として進まない.それを見ていた隅田川の河童たちが夜な夜な現れて人知れず工事を進め,ついに難工事は完成した.当時は新堀川と呼ばれた掘割の完成だ.そしてその河童を見た人たちは運が開け商売繁盛したという.なお,かっぱ河太郎像はこの故事にちなんで2003年に建立された.

合羽屋喜八が土地改良工事を行ったのは約200年前,かっぱ橋道具街が誕生したのは約100年前のことだ.そして,現在は海外からの観光客も訪れる浅草の観光名所の一翼を担うようになっている.合羽橋に河童のモニュメントは散見するが,合羽のモニュメントは見つからなかった.

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文献
1.かっぱ橋の歴史:https://www.kappabashi.or.jp/history/ 

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