最小作用の原理は神からの啓示だったのか

ヨハン・ベルヌーイ(Johann Bernoulli)が1696年に提起した最速降下線問題(摩擦のない滑り台を最短時間で滑り降りることのできる滑り台の曲線形状を求める問題のこと)は変分法を用いて解が得られる[注1].正確に述べるならば,オイラー(Leonhard Euler)が最速降下線問題の解法に取り組んで変分法が誕生したのだ[注2].最速降下線問題の解として発見された変分法の方程式(変分法についてのオイラー方程式)は,任意の関数の停留値を求める一般的な手法である.その方程式は,座標 $(x_1, y_1)$ から $(x_2, y_2)$ に至るまでの降下時間を与える $\int_{x_1}^{x_2} f(y, y’, x) \mathrm{ d } x$ の最小値(厳密には停留値)を与える関数 $y(x)$ およびその導関数 $y’$ ($= \mathrm{ d } y/\mathrm{ d } x $)を求める次のような方程式だ.

$$\frac{\mathrm{ d }}{\mathrm{ d } x} \left( \frac{\partial f}{\partial y’ } \right) - \frac{\partial f}{\partial y}= 0$$

これは後に発見されたオイラー・ラグランジュ方程式と形式が同じだったので,最小作用の原理(物体の運動経路は作用と呼ばれる汎関数を最小とする経路になるという原理)と結びついて解析力学が発展した[1a, 1b, 1c].オイラー・ラグランジュ方程式は,変分法についてのオイラー方程式の変数を$y$→$q$,$y’$→ $\dot{q}$ ($= \mathrm{ d }q/\mathrm{ d }t$),$x$→$t$ と変更したものに相当する.そして積分する関数も $f(y, y’, x)$ からラグランジアン $\mathcal {L}(q, \dot{q}, t)$ へと変更された次のようなものだ.

$$\frac{\mathrm{ d }}{\mathrm{ d } t} \left( \frac{\partial \mathcal {L}}{\partial\dot{q}} \right) - \frac{\partial \mathcal {L}}{\partial q}= 0$$

最速降下線問題の解との比較から,オイラー・ラグランジュ方程式における $\mathcal {L}$ には,$\mathcal {L}$ の時間積分が最小値を取るような経路を物体が運動するという物理的意味が内在する.実際,オイラー・ラグランジュ方程式は形而上学的・神学的なモーペルテュイ(Pierre Louis Maupertuis)の最小作用の原理を発展させて,物理的に意味のある表現を探究した末に見いだされたものだった.そして,ラグランジアンを $\mathcal {L} = K\ –\ U$ (運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの差)としたとき,その時間積分(積分区間は $t_1$から $t_2$)が最小値を取るという条件(作用:$ I = \int_{t_1}^{t_2} \mathcal {L}(q, \dot{q}, t) \mathrm{ d }t$ の最小値)からニュートンの運動方程式が導かれる.

最小作用の原理(ハミルトンの原理)によれば,$ I = \int_{t_1}^{t_2} \mathcal {L}(q, \dot{q}, t) \mathrm{ d } t$ で定義される作用 $ I $ を最小(厳密には停留)となる経路が実現し,その経路はオイラー・ラグランジュ方程式の解である.なお,力学的エネルギー保存則が成り立てば,運動量 $p$ ($= mv$ )を一般化座標 $q$ でその軌跡に沿って積分した $ S = \int p \ \mathrm{ d } q$ で定義される簡約された作用 $S$ を最小(厳密には停留)とする経路が実現する[2a, 2b].なぜなら,力学的エネルギー保存則により,$K + U = E $ (運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和である全力学エネルギー $E$ は一定値)なので $\mathcal {L} = 2K\ – \ E $ と表わされ,ここで $E$ は一定値,$K = pv/2 $,$v = \mathrm{ d }q/\mathrm{ d }t$ だから,最小作用の原理は $\int 2K\ \mathrm{ d } t$ すなわち簡約された作用 $ S = \int p \ \mathrm{ d } q$ が最小となる経路を求めることと同値になるからだ[注3].

最速降下曲線を求める被積分関数($f = \mathrm{ d }t / \mathrm{ d }x$)を変分法についてのオイラー方程式に代入して解けば最速降下曲線が得られるのと同様な手法によって,$\mathcal {L}(q, \dot{q}, t )$の時間積分が停留値を取るような経路を計算すればニュートンの運動方程式が導かれる被積分関数 $\mathcal {L}$ がラグランジアンである.オイラー・ラグランジュ方程式がニュートンの運動方程式の一般化された表現としての地位を得たのは,ラグランジアンが $\mathcal {L} = K\ –\ U$ と記述されることが見いだされたからだ.

ラグランジアンの時間積分(作用)が停留値になる条件からニュートンの運動方程式が導かれるのだから,古典力学ではこれを最小作用の原理として運動方程式の法則の上位に位置づけられる原理として扱う.ニュートンの運動方程式は仮想仕事と変分法,そして最小作用の原理へと理論的な精緻化が進んだ分だけ難解さも進んだことに間違いはない.

モーペルテュイが1747年に提出した不明瞭な最小作用の原理は,創造主の聡明さにふさわしい原理と自賛したものだった[3].それを引き継いだオイラーは放物線を描く放物体の運動で最小作用の原理が成立することを示し,ラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange)は力学的エネルギー保存の法則が成立する場合(たとえば,非弾性衝突が起こったときの力学的エネルギーの一部は熱エネルギーに変換されて失われるから,運動量は保存されても力学的エネルギーは保存されない.そして摩擦力が働けば,運動量も力学的エネルギーのいずれも保存されることはない)に適用できると指摘した.運動方程式をオイラー・ラグランジュ方程式で記述するようになると,最小作用の原理が明確に記述されるようになり,モーペルテュイの不明瞭な原理は明確な原理に格上げされたのだ.しかし,マッハ(Ernst Mach)は1883年にモーペルテュイの表現は不明瞭でなぜそうでなければならないかは誰も分からないと評し[3],ヘルムホルツ(Hermann von Helmholtz)も1887年にモーペルテュイの原理は証明もできなければ,多くの例に対して適用もできないと評したように[4],提唱された当時の高い評判は19世紀後半には酷評に変わった.

19世紀後半における科学の業績評価には,形而上学的・神学的な価値は考慮されず,科学的根拠なき原理が後世の解析結果と偶々一致したとしてもその価値は認められないのだが,現代の力学の教科書からモーペルテュイの名前は抹消されることはなく,モーペルテュイの原理が神の摂理という科学的根拠なき妄想だったとしても,力学の歴史にその足跡を残したことは否定できない.なお,太陽系の惑星が太陽を中心とする同心円上を回転し,同一の運動方向を持ち,ほぼ同一の平面上にあるという体系は至知至能の存在の深慮と支配によって生じたのだとニュートンも1713年のプリンキピア第2版の末尾に書いているのだから[5],18世紀前半にはまだ重視されていた形而上学的・神学的な価値観は19世紀後半には既に棄却されていたようだ.評価は絶対的なものではなく,評価を行う個人の価値観が反映されるのだ.

モーペルテュイは大陸にニュートン力学を紹介し,地球の形状を調べるために1736年にラップランドに向かった観測隊を指揮した業績によって既に名声を博していた.権威あるモーペルテュイの科学的根拠を欠いた曖昧な発想は,オイラーとラグランジュらによって科学の歴史に名を残したのだが,その発想をどのように思いついたのかは誰も分からない.なお,最小作用の原理はフェルマーの原理に始まるのだが,それは必ずしも最小ではなく正しくは変分がゼロとなる光の経路だ.古典力学における最小作用の原理もラグランジアンの時間積分を最小とするために,その変分をゼロとするオイラー・ラグランジュ方程式から導かれるのだから,変分原理と称する方が適切かもしれない.

ラグランジアンの時間積分を最小(作用の汎関数を最小)として物理学の法則を導くことができれば,そのラグランジアン(あるいは作用の汎関数)をその物理学の法則の上位に位置づけることも可能だ.実際,変分原理によってラグランジアンから電磁気学のマクスウェル方程式が導かれ[6a, 6b, 6c],重力場の方程式(一般相対性理論)を導く変分原理も知られている[7].このように量子力学におけるファインマンの経路積分だけでなく[8],変分原理によって作用の汎関数あるいはその被積分関数(ラグランジアン)からさまざまな物理法則の導出は可能なのだが,その作用の汎関数あるいはその被積分関数の物理的意味を解釈することは必ずしも容易ではない.物理学の法則を変分原理によって書き換える試みは複数の物理学の理論を統一的な視点から統合することになるのかもしれないが,その視点は日常的な経験からは認識困難な遠い彼方にあるようだ.

[注1] 変分法によって関数 $y(x)$ を求めるためには,後述する被積分関数 $f(y, y’)$ が知られていなければならない.最速降下線問題の解については,降下時間 $T = \int_{x_1}^{x_2} f(y, y’) \ \mathrm{ d }x$ を与える被積分関数は $f = \frac{\sqrt{ 1 + y’^{ 2 } }}{\sqrt{ 2 g y }}$ である[1a, 1b, 1c].この関数は水平方向に $x$ 軸,下向きに $y$ 軸をとった直交座標系で,以下のように導かれる.微小時間 $\mathrm{ d }t$ の間に進む距離は $\mathrm{ d }s = \sqrt{ \mathrm{ d }x^{ 2 } + \mathrm{ d }y^{ 2 } }$ すなわち $\mathrm{ d }s = \sqrt{ 1 + y’^{ 2 } }\ \mathrm{ d }x $ だから,速度$v $ ($= \frac{\mathrm{ d }s}{\mathrm{ d }t}$)は $v = \sqrt{ 1 + y’^{ 2 } }\frac{\mathrm{ d }x}{\mathrm{ d }t}$ と表わされる.他方,エネルギー保存則($y = 0$ のとき運動エネルギーもポテンシャルエネルギーもゼロとすると,物体は落下によって正の運動エネルギーと負のポテンシャルエネルギーを得る)による $\frac{m}{2}v^{ 2 } - mgy = 0$ の関係から,速度は $v = \sqrt{ 2gy }$ となる.したがって $\sqrt{2gy } = \sqrt{ 1 + y’^{ 2 } } \frac{\mathrm{ d }x}{\mathrm{ d }t}$ から,$\frac{\mathrm{ d }t}{\mathrm{ d }x} = \frac{\sqrt{ 1 + y’^{ 2 } }}{\sqrt{ 2gy }}$ が導かれ,$\frac{ \mathrm{ d } t }{ \mathrm{ d } x } = f(y, y’)$ とおけば,降下時間は $T = \int_{x_1}^{x_2} f(y, y’)\ \mathrm{ d }x$ の最小値を与える関数 $y(x )$ を求める問題に帰着する($y$ および $y'$ は $x$ の関数なので,実際には被積分関数 $f(y, y')$ は1変数 $x$ の関数である).「変分法についてのオイラー方程式」は,この積分値の最小値の一般解を求める方法として誕生した.

[注2] 1696年に提起された最速降下線問題の解がサイクロイドであることは既に知られていたが,オイラーは変分法による一般的な解法を1728年に見いだした[9].モーペルテュイは最小作用の原理を形而上学的・神学的に基礎づけられると考えたが,オイラーは普通の方法で解の得られている問題について,その解が極値(実際には停留値)を示す量を探したのだ.ラグランジュによれば,質量と速度と通過する距離(経路)の積を作用とするモーペルテュイの最小作用の原理は曖昧で恣意的と評価されたが,オイラーは中心力を受けて運動する物体の経路が速度 $v$ をその通過する軌跡 $s$ で積分した値($\int v\ \mathrm{ d }s$)が最小となっていることを発見し[3, 5],オイラー・ラグランジュ方程式を満たすときに最小作用の原理が成立することも見いだした.曖昧なモーペルテュイの最小作用の原理は,オイラーとラグランジュの変分法によって得られた解析結果となぜか一致したのである.なお,オイラーはペテルブルグ科学アカデミーからベルリン科学アカデミーに移籍した1744年に変分法を集成した書物(極大または極小の性質を有する曲線を見いだす方法)を出したが,そのときのベルリン科学アカデミーの院長がモーペルテュイ(正式な就任はフリードリヒ2世が第2次シュレージエン戦争から戻った1746年だが,1744年からモーペルテュイはベルリンに滞在していた)であった[4, 5, 10, 11, 12].オイラーはスイスのバーゼル大学でヨハン・ベルヌーイに数学を学び,1727年にロシア帝国サンクトペテルブルク科学アカデミーに赴任,1741年にはフリードリヒ2世の依頼でプロイセンのベルリン科学アカデミーに移籍,そして1766年にはエカチェリーナ2世の要請で再びサンクトペテルブルクに戻った[12].オイラーの数学研究が新興国の科学アカデミーの威信を高めたことは言うまでもない.

[注3] 質量 $m$ が一定のときの最小作用の原理は $\int v\ \mathrm{ d }s$ を最小とする経路 $s$ になることをオイラーは見いだした[3, 5].放物線を描く放物体の運動では,鉛直下方に縦座標 $x$ を正にとり,水平方向を $y$ 座標として,$x$ まで落下したときの速度は力学的エネルギー保存の法則によって,$v = \sqrt{ 2g(x + a) }$ と表わされる.ここで,$x = 0$ のときの初速度 $v_{0 }$ を $\sqrt{ 2 g a }$ とした.経路については,$\mathrm{ d }s = \sqrt{ 1 + y’^{ 2 } }\mathrm{ d }x $ の関係があるから($y’ = \mathrm{ d }y/\mathrm{ d }x$ である),$\int v\ \mathrm{ d }s$ = $\int_{x_1}^{x_2} \sqrt{ 2g (a + x) }\sqrt{ 1 + y’^{ 2 } } \mathrm{ d }x$ となり,この最小値を求めるために変分計算を行うと放物線の軌道が得られる[3].オイラーは $\int v\ \mathrm{ d }s$ の変分をゼロとおくことで通常の運動方程式が得られることを放物体の運動で示したのだ.なお,変分がゼロになるのは停留の条件であり,作用を最小にするとは限らないことを初めて指摘したのはハミルトン(William Rowan Hamilton)だ[11].微分係数がゼロのときが必ずしも最大や最小ではない(極大,極小,停留の場合がある)のと同様,変分がゼロとなっても最小となるとは限らないのは必要条件が十分条件と一致するとは必ずしも限らないからだ.関数 $f(x) = x^2$ の微分係数がゼロのときは最小,関数 $f(x) = -x^2$ の微分係数がゼロのときは最大,$f(x) =x^3-3x$ の微分係数がゼロのときは2つの極値(極小と極大),$f(x) =x^3$ の微分係数がゼロのときは極小でも極大でもない停留値になることに疑問の余地はないにもかかわらず,奇妙なことにオイラーもラグランジュも変分がゼロとなるオイラー・ラグランジュ方程式を満たすときに最小値になると信じていたようなのだ[11].そしてハミルトン力学およびハミルトン・ヤコビ方程式(ハミルトン力学は一般化座標 $q$ と一般化運動量 $p$ の関数だが,これを一般化座標 $q$ と作用 $I$ の関数に変更した定式化がハミルトン・ヤコビ方程式)として,ニュートン力学の再定式化をさらに進めたのもハミルトンとヤコビ(Carl Gustav Jacob Jacobi)だった.

文献
1.例えば,(a) 前野昌弘,よくわかる解析力学,東京図書 (2013).
 (b) ジョン・テイラー,古典力学,プレアデス出版 (2009).
 (c) H. Goldstein,C. Poole,J. Safko,古典力学(上)原著第3版,吉岡書店 (2006).
2.例えば,(a) エリ・デ・ランダウ,イェ・エム・リフリッツ,力学 (増訂第3版),東京図書 (1974).
 (b) B・M・ヤヴォルスキー,A・A・ヂェトラフ,基礎物理学ハンドブック,森北出版 (1975).
3.エルンスト・マッハ,マッハ力学 力学の批判的発展史,講談社 (1969).
4.山本義隆,重力と力学的世界 古典としての古典力学,日本評論社 (1981).
5.山本義隆,古典力学の形成 ニュートンからラグランジュへ,日本評論社 (1997).
6.例えば (a) ファインマン,レイトン,サンズ,ファインマン物理学 III 電磁気学,岩波書店 (1986).
 (b) 鈴木増雄,変分原理と物理学,丸善 (2015).
 (c) 柴田正和,変分法と変分原理,森北出版 (2017).
7.岡村 浩,一般相対論の成立,日本物理学会誌,70 [2] 81-86 (2015).
8.ローリー・ブラウン編,ファインマン経路積分の発見,岩波書店 (2016).
9.広重徹,物理学史 Ⅰ,培風館 (1968).
10.有賀暢迪,力学の誕生 オイラーと「力」概念の革新,名古屋大学出版会 (2018).
11.イーヴァル・エクランド,数学は最善世界の夢を見るか?,みすず書房 (2009).
12.E・A・フェルマン,オイラー その生涯と業績,シュプリンガー・フェアラーク東京 (2002).


 

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