溝口さんぽ(No.14お寺さんー前編)

 1月の「溝口さんぽ」では、いつも散歩している範囲にある神社について紹介しました。今月は同様に寺院について紹介することにします。今回も各地区にある寺院を順に紹介ということで、今月はその前編になります。まずは住んでいる溝口地区にあるお寺です。この地区にはお寺は1つしかありません。その寺はこれまで「溝口さんぽ」で2回紹介してきました宗隆寺(日蓮宗)です。我々の大先輩で人間国宝第一号であった濱田庄司さんの菩提寺です。お寺は多摩川西岸の下末吉台地の崖線に位置し、後背の段丘を七面山と称しています。その台地には古墳が存在していることから、古くから人の営みがあったと考えられます。溝口さんぽで対象としている地区では、お寺のすぐ近くに神社がある例が多いのですが、宗隆寺のすぐ近くにはこの地区の鎮守社である溝口神社があります。

川崎市高津区の地図

 溝口地区の北側の久地地区には、久地神社の隣地に久地不動尊がありますが、この地区にはさらに浄元寺(日蓮宗)と養周院(曹洞宗)と2つのお寺があります。特に養周院にはこの辺りで有力な家が檀家となっています。久地から東京寄りには二子地区がありますが、二子新地駅からほど近く、大山街道に面して、岡本太郎の母親の生家である大貫家が主な檀家となっている光明寺(浄土真宗)が在ります。このお寺の本堂では、明治初期に「二子学舎」が設けられ、この地区の子供に対する近代教育の先駆け的な役割を果たしたようです。光明寺でも近くにこの地区の鎮守社である二子神社があります。前回でも紹介しましたように、その境内には岡本太郎作の「岡本かの子文学碑」が建っています。

 上に示した地図から分かりますように二子地区の東側には瀬田地区と諏訪地区があります。瀬田の名称は世田谷区の大きな交差点として有名ですが、実は高津区にも瀬田があるのです。多分、命名時には世田谷区の瀬田地区と繋がっていたのでしょうね。この高津区の瀬田地区は面積が狭いためか神社仏閣施設はありません。一方、諏訪はその昔この辺りの有力な豪族であった”諏訪氏”の本拠があったことから命名されたようです。この地区のお寺としては真言宗智山派の明王院(諏訪山圓能寺)があり、玉川八十八ケ所霊場30番、準西国稲毛三十三観世音霊場8番、武相不動尊霊場4番のお寺です。蛇足ですが、川向うにある等々力渓谷の不動尊も同じ名称です。この辺りの有力な地主である小黒家が明王院の有力な檀家です。なお、小黒家の有名人として童謡などの作詞家であった小黒恵子さんがあげられます。それでは今回はここまで。残りは次回、後編で紹介することにしましょう。

 

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