豊橋さんぽ(No.21 懐かしい出会い)

 9月も猛暑続きでしたが、昔からの言い伝え、”暑さ寒さも彼岸まで”のことわざ通りに彼岸の入りを迎えるころから急に気候が一歩進み、暑さが緩んできました。まだ日によっては30℃を少し超える日もありますが、朝晩はすっかり秋らしくなってきました。散歩の際にも秋の花の彼岸花や萩の花が咲き始めているのを楽しむことができるようになりました。

 この夏は特別に暑かったので、散歩では、建物による日影が一番多くできる駅前大通りとその一本横で平行になっている水上ビルの通りを行きつ戻りつすることも多かったのですが、ある日、ふと歩いている道の反対側になんとも場違いな小さな石像があることに気づきました。ここはこれまで何度も通っていたのですが、今まで気づきませんでした。そこで、近くに行って石像をよく見たところ、薪を背負いながら読書をする、二宮金次郎の石像でした。その横にある説明板を読んでみると、もともとはこの場所に小学校(1909年開校の狭間小学校)があり、そこに建てられていたもののようです。初代は銅像であったとのことですが、太平洋戦争の後期に国から金属の拠出命令があり、拠出された後、戦後になって2代目として石像が造られたものとのことです。この場所は駅から歩いても5分程度で来られる便利な場所であったこともあり、1949年に廃校となり、この場所から200~300 m南にある松山小学校(私の母校で元々は狭間小から分離開校)に統合されたとのことです。その廃校跡地は市民プールや児童公園(子供の頃の薄い記憶が残っていますが)となった後、デパートやホテルなどの商業施設に使われていましたが、老朽化に伴い解体され、2021年から再開発が始まり、現在はまちかど広場を中心としてem CAMPUS East棟とWest棟からなる複合施設(両棟とも低層階は飲食店などの商業施設や現代スタイルの図書館、公共サービス施設、上層階はマンションとして利用されている)に整備されています。私が通っていた小学校の校庭の片隅にあった、懐かしいこの石像は、この当時、寸暇を惜しんで勉学に励む姿が模範的とされ、多くの小学校に広く設置されていたものと思います。(現在の交通事情ではとても模範的な姿とは言えませんがね。)その後、元の場所に戻すことになりましたが、もともとの場所の使用目的などがいろいろと変遷したため、半ば厄介者扱いをされてきたようですが、最終的に現在の場所に設置されたようです。

まちかど広場に設置されている二宮金次郎の石像。


 この石像に関して調べていた際に、ついでにわが母校の松山小学校の生徒数はどうなっているかホームページを見てみました。ちなみに私が6年生の時にはおそらく1学年300名ほどは在籍していたと思いますが、現在は、なんと全校生徒で300名弱とのことですので、1/6ほどに減少しているんです。1学年2クラスで、1クラス20名弱!ベビーブーマー世代の私たちの時代には1クラス50名強が普通であったことを考えると、隔世の感があります。さらに中学校の人数もホームページから確認したところ、全校で620名とのこと。私が中2の時には全校で3000名を超えていた(当時はこのような中学校が市内に3校もありました)ので、同様に1/5ほどに減少しています。豊橋市の人口は私が小6の年に約21.6万人でしたが、現在は36.4万人ですので、いかに少子化および市街地の家族構成の大変化が起きているか、びっくりしています。   (岡田清)

   

コメントを残す