原子と核とその内部を調査する

原子の概念の始まりは古代ギリシアの哲学者デモクリトスまで遡ることができるが,気体の性質や化学反応の法則が見いだされてから改めて原子説を提唱したのはドルトン(John Dalton)だ.ドルトンは1808年から3回に分けて発行した化学の新体系(New System of Chemical Philosophy)のなかで原子・分子の仮説を提案した[1].ダニエル・ベルヌーイ(Daniel Bernoulli)の先駆的研究に始まり,クラウジウス(Rudolf Clausius),マクスウェル(James Clerk Maxwell)やボルツマン(Ludwig Boltzmann)らが19世紀に構築した気体分子運動論および統計力学は原子説に則って構築された理論である.しかし,原子の存在が確認されたのは20世紀で,ジャン・ペラン(Jean Baptiste Perrin)がブラウン運動の実験的な検証を行った1909年の論文であった[2].

アルファ粒子を金箔に照射する実験(ガイガー・マースデンの実験)でラザフォード散乱が発見された.大部分のアルファ粒子は薄い金箔を通り抜けるが,ごく一部のアルファ粒子が後方に散乱されたのだ.その結果から1911年にラザフォード(Ernest Rutherford)は,原子の中心に正の電荷を帯びた小さな原子核が存在するという原子模型を提案した.1904年にJ・J・トムソン(Joseph John Thomson)は「ブドウパンモデル」,長岡半太郎は「土星型原子モデル」を提唱したが,ラザフォードの原子模型は土星型に与するものだ.

原子核の内部構造についての知見が得られたのは,1969年にスタンフォード線形加速器センター(Stanford Linear Accelerator Center)で行われた電子と陽子の衝突実験であった.電子の散乱を解析すると,正電荷は陽子のなかに一様に分布しているのではなく,陽子内に複数の芯となる点電荷が局在するという結果が得られたのだ[注1].ファインマン(Richard Feynman)は,陽子はパートンから構成されると指摘したが,後にパートンの正体はクォークとグルーオンであると判明した.

現在の理解では,物質の根源は原子であり,原子が化学的に結合して分子や結晶を構成している.原子は原子核と電子から構成され,電子はそれ以上分割できない素粒子であるが,原子は陽子と中性子から構成されている.陽子や中性子はクォークから構成されたハドロンで,グルーオンがクォークを互いに結び付けている.クォークやグルーオンはそれ以上分割できない素粒子だが,単独で取り出すことは容易ではない.ビックバン直後には,クォークやグルーオンは互いに混じり合った超高温のクォーク・グルーオンプラズマ(Quark-Gluon Plasma)となっていて,その状態ならばハドロンは解体されてクォークは自由になると考えられている.

ペランのブラウン運動の実験的検証にはお手頃価格の光学顕微鏡が用いられ,ラザフォード散乱にはアルファ粒子(ラジウムなどから放出される)が利用され,原子核の内部構造を調べるには高価な線形加速器が利用された.クォークをハドロンから取り出して調べるにはさらに高価な高エネルギー加速器が必要のようだ.

世の中はいつも月夜に米の飯さてまたまふしかねのほしさよ 

大田南畝の狂歌「月前述懐」である[3].万載狂歌集巻第五秋歌下(1783)に収録され,蜀山百首(1818)にも再録された.

研究はいつも徹夜に飯の種さてまたまふしかねのほしさよ

詠み人知らずの狂歌である.まだどこにも収録されたことはない.

[注1] 原子の構造を調べるラザフォード散乱ではアルファ粒子が用いられたが,原子核の構造を調べるときに電子を用いたのは,細かい領域を調査するために寸法の小さい粒子を衝突させる必要があったからだ.確かに電子は陽子の質量の1840分の1に過ぎないが,その寸法は不明だ.光学顕微鏡で観察が可能な領域は光の波長に相当する概ね 1 µm程度までだが,波長の短い電子線を用いる電子顕微鏡ならば 1 nm程度までの観察が可能になる.電子顕微鏡観察に用いる電子線の波長(ド・ブロイ波)は加速電圧を高めると短くなり,例えば100 kVでは 3.7 pm,1000 kVでは 0.872 pmになる[4].しかし,陽子は半径が0.8 fm程度の大きさであるから,電子顕微鏡に使用される電子線の波長より小さく,陽子の外観を観察するには少なくとも加速電圧を極限にまで高める必要がありそうだ.陽子による電子の散乱実験では,数GeVに加速された電子の散乱の様子が調べられた[5, 6, 7].

文献
1.ドルトン,化学の新体系,内田老鶴圃 (1986).
2.ジャン・ペラン,原子,岩波書店 (1978).
3.江戸狂歌本選集刊行会,江戸狂歌本選集 第1巻,p.235 東京堂出版 (1998).
4.塩尻詢,電子顕微鏡像の基礎知識,軽金属,65 [1] 28-40(2015).
5.B・ポッフ,K・リーツ,C・ショルツ,F・サッチャ,素粒子・原子核物理入門,シュプリンガー・ジャパン (1999).
6.E. D. Bloom, D. H. Coward, H. DeStaebler, J. Drees, G. Miller, L. W. Mo, R. E. Taylor, M. Breidenbach, J. I. Friedman, G. C. Hartmann, and H. W. Kendall, High-Energy Inelastic e–p Scattering at 6° and 10°, Physical Review Letters, 23 [16] 930–934 (1969).
7.M. Breidenbach, J. I. Friedman, H. W. Kendall, E. D. Bloom, D. H. Coward, H. DeStaebler, J. Drees, L. W. Mo, and R. E. Taylor, Observed Behavior of Highly Inelastic Electron-Proton Scattering, Physical Review Letters, 23 [16] 935-939 (1969).

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