溝口さんぽ ー第1回濱田庄司さんと溝口ー
岡田 清(197106)
無機材会のHPがリニューアルされ、会員からの投稿が可能になりましたので、自身の身の回りの色々な事柄や感じたことなどを徒然なるままに書き記すことにします。さて、何回続けることができるやら。
まず第1回として、溝口と学科の大先輩で人間国宝になられた故濱田庄司さんとの関係について紹介することにします。濱田庄司さんはここ川崎市高津区溝口(当時は橘樹郡高津村)で1894年にお生まれになり、東工大の前身である東京高等工業学校窯業科を卒業後、色々な経験を積まれた上で栃木県の益子町で作陶を始められ、1955年に第1回の重要無形文化財保持者(人間国宝)、1968年には文化勲章を受章されています。1978年に益子にてお亡くなりになりましたが、お墓はここ溝口の宗隆寺にあります。私は10年ほど前から溝口のマンションに住み始めたのですが、お寺はその隣地にあり、ベランダからお墓が見える位置にあります。
濱田庄司さんは溝口でお生まれになり、文化勲章を受章されるなど世界的にもご活躍されたことから川崎市の名誉市民にもなっていました。そこで、菩提寺の境内、区立久本小学校の校庭や大山街道などに石碑が立てられています。また、溝口の中を流れる二ケ領用水には濱田さんにちなんだ“濱田橋”が架けられています(写真参照)。
橋のたもとには説明板もあり、時々、通りかかった人がその説明文を読んでいるところを見かけます。生家は“大和屋”という洋菓子喫茶の店を大山街道沿いで営んでいました。喫茶室には濱田さんの作品が陳列されており、それで由来を知った次第です。しかし、世代も変わり、建物もマンションに建て替わって、現在は建物脇に小さな説明板が立っているだけです。なんか、時の移ろいを感じてしまいますね。
(2022年1月)
浜田庄司さんのお墓が、岡田さんのお住まいの近くとは存じませんでした。奇遇ですね。時間があったら寄ってみたいと思っています。
「濱田庄司とバーナード・リーチの茅葺き長屋門再生と創造」のクラウドファンディング募集中をお聞きし、気持ちだけですが協力させてもらいました。
先日、偶然にも学内に濱田先生の孫弟子を見つけました。この記事を紹介したら、驚いていました。w
磯部先生、それは驚きですね。どんな経緯でその方を知ったのか、興味があります。