神話と旅:鹿児島にある山陵の旅 その2 ニニギノミコトの山陵と新田神社
今回は,ニニギノミコトが,コノハナサクヤヒメとが出会った笠沙かささ経由で,鹿児島の川内 せんだい 市にあるニニギノミコトの御陵に向かいました。
笠沙かささの岬
笠沙の岬は,鹿児島県の南西部に位置する東シナ海へ突き出した野間のま半島,南さつま市笠沙町にある岬だろうと,笠沙町に向かいました。ニニギノミコトが,コノハナサクヤヒメとが出会った「笠沙の岬」はこの辺かなと,野間半島の高崎山 こうさきやま の展望台から,東側に位置する薩摩半島を望みます。遠くに薄っすらと桜島が見えます。具体的な出会いの場所の案内をこの時は探し出せませんでした。
帰宅後に調べると,笠沙町の野間半島の高崎山の展望台からしたら真南の海岸,黒瀬くろせ海岸 (神渡かみわたし海岸) だそうで, なんと「瓊々杵尊(ニニギノミコト)上陸の地」の碑が建てられているそうです。高崎山展望台から鑑真がんじん上陸の地のある鑑真記念館を訪問する時に通った国道226号線の途中にあり,また知らずに脇を通過してしまいました。

出会い後,ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが過ごしたところが,笠狭宮 かささのみや で,ここは,笠沙町へ向かう途中,南さつま市の中心から南の方向で,また近くを車で通過したことをここでもあとで知りました。そこには「神代聖蹟 瓊瓊杵尊宮居址(前之笠狭宮)・笠狭宮址の碑」が建てられているそうです。その後,ニニギノミコトは川内 せんだい へ移ります。我々は,車での移動ですが,ニニギノミコトは船での移動だったそうです。
新田神社 にったじんじゃ
ニニギノミコトを祀る新田神社と御陵は,神亀山 しんきさん という亀の形をした小高い山の上にあります。この神亀山しんきさんは,亀山かめやま,可愛山かめやまとも呼ばれ,北西に頭を向けた亀の形をして,その胴体部になる東側の背の一番高いところに神社と御陵があります。グーグルマップでも上空からの形をみることができます。
場所は,九州新幹線の川内駅から北西に,車で,10分とかからないところです。ニニギノミコトは,この川内の地で,高天原からもってきた稲穂でお米をつくるようになり,そこから,新田神社の「新田」の名前となったといいます。神社の創建は西暦725年だそうです。

ここは,一番下から階段を上った中腹から新田神社に向かう上の階段です。結構,あります。
階段の最上部に,新田神社の縁起が書かれています。ここに,御祭神ごさいじんがニニギノミコトとあります。ニニギノミコトを祀る神社は,鹿児島県では他に霧島きりしま神宮があります。そして,この神社の後ろが,御陵になります。祀られている神社とお墓,御陵の場所は一般的には異なりますが,ここでは,神社と御陵が一緒になっています。ニニギノミコトの御陵「可愛山稜うのみささぎ」について次に見ていきます。
「陵」だけで,「みささぎ」と読みますが,山陵でも「さみさぎ」と読んだり「さんりょう」と読んだりします。また,同じ意味に,陵墓,御陵などが使われます。主に天皇・皇后などの墓を意味します。ニニギノミコトは,神武天皇の曽祖父そうそふ,3代前の「ひいおじいさん」ですので,これらお墓の読み方に該当します。
ニニギノミコトの御陵
神社の東側を回ったところに,「可愛山稜 (えのみささぎ)の看板があります。
「可愛」を「えの」と読むのは,古事記や日本書紀における地名表記に由来する独特の訓読みだそうです。よくわりませんね。

案内に沿って,歩いていくと,宮内省の事務所があり,さらに歩くと柵に囲まれた山稜がありました。その歩く道には落ち葉ひとつ落ちていませんでした。
ここには,お賽銭箱はありません。中に見える鳥居は,神明しんめい鳥居です。神明鳥居は,最も古くシンプルな形式の鳥居で,最上部の笠木 かさぎ,その下の貫 ぬき に反りがなく,例外もあるそうですが貫が垂直に立てられている柱から飛び出していません。
新田神社の入口の鳥居は,しかりした明神 みょうじん 鳥居でした。明神鳥居は,笠木,その下の島木しまきに反りがあり,額束がくづかが設けられていて,柱は踏ん張るように傾斜させています。ニニギノミコトが眠る可愛山稜の鳥居とは作られた年代が違うのでしょうね。
コノハナサクヤヒメの御陵
コノハナサクヤヒメは,ニニギノミコトの妃で,神武天皇の曽祖母にあたります。コノハサクヤヒメは,全国1300社ある浅間神社の御神体で,総本山は富士宮にある「富士山本宮浅間大社」です。また,火を放った産屋で無事に出産したという安産の神としても祀られていています。神社は全国にありますが,その陵墓は,この鹿児島の川内,ニニギノミコトの御陵に続く,北西に頭を向けた亀の形をした神亀山の頭部の端陵 はしのみささぎ にあります。
なお,コノハナサクヤビメの御陵は、宮崎県西都市にある夫のニニギノミコトの御陵,男狭穂塚 おさほづか に隣接した女狭穂塚 めさほづか とする話もあります。こちらもいつか行ってみようと思います。
ウミサチヒコの御陵
ウミサチヒコは,ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間にできた三人兄弟の長男です。海彦または海幸彦とも書き,読みはともにウミサチヒコです。ウミサチヒコは,南九州にのこり,隼人はやとの祖となったそうです。
ウミサチヒコの御陵は,北西に頭を向けた亀の形をした神亀山の首の部分,中陵なかのみささぎにあります。
今回の旅では,事前にニニギノミコトの御陵に関して調べていて,具体的に確認していた場所は「新田神社」だけで,あとは,旅の途中で現地の案内板,説明文で少しづつ知識を加えていったものです。驚くほど多くの話があり,びっくりの連続でした。
次回は,神話と旅:鹿児島にある山陵の旅 その3として,ニニギノミコトの子供,神武天皇の祖父にあたるヤマサチヒコの御陵に向かった話になります。
ではでは。
高橋達人 tatsudoc@nifty.com










