芸術とは何か?

文明開化に伴って西洋文化の翻訳が盛んになり,新たな和製漢語もつくられるようになったのだが,用語の定着には時間が必要だ.「Liberal Arts (リベラル・アーツ)」の和訳に際し,西周が「芸術」を単語「Arts (アーツ)」の訳語,そしてウィーン万博の頃 (1873年) に大鳥圭介が「美術」を「Fine Art (ファインアート)」の訳語に採用したとされる.しかし,その訳語の意味は内国勧業博覧会の頃 (1877年) には変化してしまい,「芸術」は「Fine Art」の訳語,「美術」は絵画や彫刻に代表される視覚芸術を指すようになっていた.「芸術とは何か?」に対する解答は「Fine Art」の訳語になったことだ[注1].

リベラル・アーツは中世ヨーロッパの自由七科に由来するもので,大学の教養課程で教えている一般教養に相当する.それに対し,歴史的に主要なファインアートの分野は,絵画,彫刻,建築,音楽,詩の5つの分野だが,それに加えて演劇,舞踏,散文文学,映画,写真なども含むような拡張がなされている.ファインアートが包含する分野に時代的な変遷はあったが,娯楽性も実用性も排して芸術性を追求する高尚で難解な分野という本質が揺るぐことはなかった[注2].

絵画は平面に色を塗った作品で,顔料に接着効果のある有機物を混ぜたものを紙や布や板や壁などに塗布して作製する[注3].絵画は壁面に直接描かれることもあるが,多くは額装して壁面に掛けられる.彫刻は立体的な造形物で,その代表的な素材は木材,大理石および青銅である.小型の彫刻は棚の上に置かれることもあるが,大型のものの多くは台座の上に備え付けられる.いずれも実用的な機能はなく,観賞に供するのみだ.

それに対し,工芸品には実用的な価値がある.衣服や絨毯に用いられる染織品の製造には,(i) 染めた糸を織ったもの (先染め) と (ii) 織った布地を染めたもの (後染め) の2通りの方法がある.絵画との類似点は平面にさまざまな模様が描かれていることで,絵画と異なる点は複製が可能なことだ[注4].色糸の配置を計算して織り上げた先染めの織物については,まったく同じ工程を繰り返せばまったく同じものを生産することが可能であり,後染めについても,職人が下絵を描く友禅染や絞り染めでの完全な複製は困難でも,捺染 (プリント) ならば大量印刷も可能だ.

ステンドグラスは鑑賞に供する窓の装飾だが,採光の機能も有しているから工芸品である.陶磁器についても,多くの作品は食器や花瓶として実用的な機能をもった工芸品であるが,実用性が皆無となれば粘土を原材料とする彫刻の一種と見なせるから堂々たる美術品だ.しかも立体的な造形物の表面に絵付けによって色彩を付与した作品だから,絵画と彫刻を統合した高いレベルの芸術作品と見なすことも出来よう.

それでは美術品の価値とは何だろうか.文字通りの美しさを価値とするならば,価値の高いと信じられていた美術品が贋作であることが判明して,価値が暴落する現象を説明できない.真の作者が異なることまでは判明したのだが,作品自体の「美」は不変だからだ.模写した複製画には何の問題がないが,作者のサインまで完璧に模写すると深刻な問題に発展するようだ.このように美術品の価値は作品自体ではなく作者に大きく依存するのだが,工房の弟子が制作に関与した作品やゴーストライターに委託した出版物についてはこの限りではないとされている[注5].なお,制作者不詳のミロのヴィーナスや国宝に指定された曜変天目茶碗の価値は作品の歴史にある.これらを凌駕する「美」を具現化した作品が創作されたとしても,それらを凌駕する高い価値が創造されたかは保証の限りではない.

絵画や彫刻の芸術的な価値を判定する基準は曖昧だが,金銭的な価値は売買価格によって評価可能だ.いままでに最も高い価格で取引された絵画はレオナルド・ダ・ヴィンチの「サルヴァトール・ムンディ」で 2017年の競売での決定価格は約510億円だった.有名な画家の有名な作品の取引価格は数百億円に及ぶことがあるのだが,美術館に収蔵されている有名な作品が市場で取引されることはほとんどない.例えば,レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」が市場で取引されれば,その価格は1000億円を超えると予想されている.予想される売買価格で絵画の価値を判定すれば,有名な画家による有名な作品の価値が高いのだから,職業画家としての大成功を目指すならば,「美」の追及に留まらず有名になる努力が重要なのだ.

無名の芸術家がなすべきことは,絵画展での受賞やメディアでの紹介を待つ受け身の姿勢ではなく,絵画展の企画やメディアに発信する積極的な努力が重要だ.印象派はサロン (フランス官設展覧会) に落選したが,落選展を企画して新たな絵画の潮流の到来を世間にアピールした.ウィリアム・モリスはアーツ・アンド・クラフツ運動をイギリスで主導して,粗悪な大量生産品を批判し,職人の手仕事による工芸品への回帰を主張するだけでなく,職人の手仕事で作られた壁紙やタペストリーをモリス商会で実際に販売した.

物議をかもして,賛否両論の議論がマスコミで沸騰するならば,これはまったくの思う壺だ.マルセル・デュシャン (Marcel Duchamp) は,1912年に「階段を降りる裸体No.2」の作品を発表して一躍有名になった[1a, 1b].現在では,1907年にパブロ・ピカソが描いた「アヴィニョンの娘たち」とともにキュビスム (Cubisme) の代表作と見なされているが,1912年のパリの展示会では不評を買った.しかし,その後に行われた1913年のニューヨークでの展示会 (アメリカで初めての前衛美術展) で論争を巻き起こして評価されるようになり,現在,その作品はフィラデルフィア美術館に展示されている.

第一次世界大戦の最中にヨーロッパ各地で始まったダダイズムの運動は既存の価値観に挑戦する反芸術の運動だ.1917年にニューヨークの無審査公募展 (アンデパンダン展) にR. Mutt (リチャード・マット) の署名入りの既製品の便器を「泉 (Fountain)」と題してデュシャンが出品して物議をかもしたことはこの典型だ.既製品の便器に署名しただけのレディ・メイドの作品である.なお,この作品は展示を拒否されたのだが,20世紀を代表する作品と評価され,1917年のオリジナル作品は行方不明になっているが,その複製品は多数存在する.京都国立近代美術館に展示されている作品は,1964年に再制作したレディ・メイドであり,デュシャンが公認したので贋作ではないとされている.

続いて,1919年にデュシャンが発表した作品が「L.H.O.O.Q.」だ.モナリザを複製した絵葉書に鉛筆で口髭や顎髭を描き加えた作品だ.その後,デュシャンは「L.H.O.O.Q.」の複製品をいくつも制作している.そして,1964年に制作した作品は2017年に約8460万円 (63万2500ユーロ) で落札された.デュシャンの物議をかもして有名になる努力は身を結び,作品の取引価格は高騰した.芸術家・デュシャンはキュビスムからダダイズムに転向して一世を風靡したのだが,モナリザの絵ハガキに髭を書き加えると男性に見えることも発見した.

バンクシー (Banksy) は約100年後に登場したデュシャンの後継者かも知れない[2a, 2b].街頭の壁面などに無断で描かれた型紙を用いたグラフィティ (ステンシルアート) が主要な作品だが,2018年の競売にはバンクシーの版画作品「風船と少女 (Girl with Balloon)」が出品された.落札金額はおよそ1億5000万円 (約104万ポンド) だったが,落札が決まった瞬間,額縁にあらかじめ仕掛けられていたシュレッダーが作動して作品を断裁し始めた.しかし,シュレッダーによる裁断は途中で止まってしまったために,裁断されたのは作品の下半分だけだった.そして作品の題名は「愛はゴミ箱の中に (Love is in the Bin)」に改められ,作品が2021年に再競売されると約29億円 (1858万ポンド) で落札された.再競売で落札額が高くなったのはシュレッダー事件で作品が有名になったからだ.

無名の芸術家の作品は二束三文だが,有名になれば取引価格は高騰する.優れた芸術作品の制作に没頭する貧しい芸術家の姿は美しいが,作品の価値を高める物議をかもす行動に注力することこそが芸術家が目指すべき成功への王道のようである.

[注1] 古代から中世までアート (Art) は技術を意味し,画家や彫刻家は職人 (Artisan) だったが,近代になって芸術を意味するように変化し,芸術家 (Artist) という言葉も誕生した.芸術の概念の誕生とともに,芸術を他の技術から区別する特徴としての「美」の概念の転換も起こった[3].「美」を釣り合いのとれた比率といった客観的な数値を根拠とする客観主義美学 (プロポーション理論) から,それを美しいと感じる人の心にあるとする主観主義美学への転換である.そして,fMRI (functional Magnetic Resonance Imaging) の実験からは,心が「美」を感じたときに眼窩前頭皮質内側部とよばれる脳の部位が活動し,「醜」を感じたときには左脳運動野が活動することも明らかになった[4a, 4b].

[注2] ファインアート (芸術) は明確に定義されたものではなく,時代とともに変化する.実用性に欠け,娯楽の要素も乏しい高尚な作品として差別化を図ったのだが,20世紀になってからはその範疇の境界はますます曖昧になってきた[5a, 5b, 5c].ポスト印象派以降に写実性の追求は重視されなくなったが,フォーヴィスム (Fauvisme) やキュビスムを経て,カンディンスキー (Wassily Kandinsky) やモンドリアン (Piet Mondrian) らによる抽象絵画に向かう流れにおいても形態と色彩における「美」の創造は追求されたようだ.しかし,高額で取引されるジャクソン・ポロック (Jackson Pollock) の作品は1950年前後に制作されたアクションペインティングによるもので,キャンバスに絵の具を垂らし,撒き散らしたものに過ぎない.価値を高めているのは創造された作品の「美」ではなく,むしろポロックの行った制作行為 (パフォーマンス) とそれによる名声なのだ.したがって,類似作品の制作には何の障害もないが,同様な手法によってポロックを凌駕する「美」をたとえ実現したとしても,無名画家の作品ならば二束三文を超える価格で売れる可能性は限りなく低いだろう.1960年頃に登場したミニマル・アートやコンセプチュアル・アートに高尚なイメージが付与されたのは,その外見からは伺い知ることのできない深遠な形而上的意味が実は込められているとの理解によってだ.その頃,イラストレーターとして成功を収めたアンディ・ウォーホル (Andy Warhol) が取り組んだポップアートはシルクスクリーン印刷の技法を応用したもので大量生産が可能なものである.ウォーホルは “If you want to know all about Andy Warhol, just look at the surface of my paintings and films and me, and there I am. There’s nothing behind it.” と言明することで,ファインアートの構成要件であった作品内部に秘められる難解な高尚さを否定し,低俗な大衆芸術との境界も崩された.デュシャンが1917年にレディ・メイド作品によって提起した「芸術性とは何か」についての暗中模索は続けられてきたのだが,いまだ五里霧中からは脱却していないようだ.

[注3] 日本画では水で溶いた膠,テンペラ画では卵黄,油絵では揮発性のテレピン油などで薄めた亜麻仁油など,水彩画では水で溶いたアラビアゴムが絵画における顔料接着に用いられる.このように絵画における顔料接着には有機物が用いられることが一般的なのだが,例外はフレスコ画と鏝絵だ.いずれも無機物の石灰を顔料接着に利用している.

[注4] 絵画,彫刻および建築作品の多くは1品限りのオリジナルとして制作されるが,印刷や鋳造によるならば複製も可能だ.版画作品は印刷による複製,そして鋳造による彫刻作品も複製が可能だ.版画や鋳造による作品数を芸術家が制限するのは,需要を上回る供給によって価格の値崩れを防ぐためで,できる限り安い価格で多くの消費者に商品を届けようとする工業製品の発想とは異なっている.

[注5] 代筆したものをそのまま無断出版することは偽作だが,著作者が承諾あるいは委託してゴーストライターが作成したものには問題がないとされている.絵画作品の制作においても,仕事を請け負った画家が工房の弟子に作品の一部を分担させることは珍しいことではなかった.レオナルド・ダ・ヴィンチはヴェロッキオ工房で修業し,ラファエロ・サンティは大規模な工房を経営した.誰が制作に関わったであろうと,著作者が承諾したものは贋作ではないとされている.

文献
1.例えば,(a) 平芳幸浩,マルセル・デュシャンとは何か,河出書房新社 (2018).
 (b) マルセル・デュシャン,ピエール・カバンヌ,デュシャンは語る,筑摩書房 (1999).
2.例えば, (a) 毛利嘉孝,バンクシー,光文社 (2019).
 (b) ザビエル・タピエス,増補バンクシービジュアル・アーカイブ,グラフィック社 (2023).
3.井奥陽子,近代美学入門,筑摩書房 (2023).
4.例えば,(a) 川畑秀明,脳は美を感じるか,筑摩書房 (2012).
 (b) 川畑秀明,美の認知,認知神経科学,13 [1] 84-88 (2011).
5.例えば,(a) 末永照和,増補新装 カラー版 20世紀の美術,美術出版社 (2013).
 (b) 千足伸行,20世紀の美術,東京美術 (2008).
 (c) エルンスト・H・ゴンブリッチ,美術の物語,河出書房新社 (2019).

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