寄稿・投稿

Sunday Essay
イノベーションを生みだすもの(その1)

イノベーションにはさまざまな革新が含まれる.新技術を開発して新規な製品を創出する技術革新がイノベーションにおいて重要であることに間違いはないが,その領域のみに限定するのは狭い見方だ.製造や販売においても生産性を高めるイノ […]

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Sunday Essay
産業革命の諸段階と新しい資本主義

収入が増えて購買力が高まり,質の高い商品を購入するようになって生活水準が向上する.実際にパソコンやスマホの性能は年々高まり,自動車もモデルチェンジ毎に安全性や利便性の向上がみられ,果物などの農作物も品種改良が進み,医薬品 […]

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Sunday Essay
SF小説から未来技術を予測する

ジュール・ヴェルヌが1863年に描いた100年後の世界は産業科学偏重の芸術軽視社会だ.応用化学に代表される科学工学が重視され,重要なものは実利で,文学や芸術は忘れ去られた世界だ.芸術に関心を持つものは世の中の余計物であり […]

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Sunday Essay
死の恐怖と唯我論

アーネスト・ベッカー(Ernest Becker)は「死の拒絶」の序論の結論でヒロイックな問題が人間の生の中心問題であると述べた.複雄複雌群を形成するニホンザルなどの社会では群れ同士の争いで勇敢に闘ったオスザルはメスザル […]

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溝口さんぽ
溝口さんぽ(No.7大山街道)

 例年になく早い梅雨明けまでは猛暑が続いていたのに、今週はまるで梅雨が明けていなかったかのような天気が続いていますね。前回、夏の散歩コースとして”大山街道”のコースを歩いていると言いましたので、そのことに少し触れてみます […]

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Sunday Essay
田園都市計画と大岡山

1912年の桜新町の分譲に始まり,1920年代には東京西郊の住宅地の開発が本格的となった.その結果,都心から郊外への住民移動が起こって人口は急増した. 表1.東京西郊で住宅開発された村の人口増加率[1] 村 名 1920 […]

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「その時私は」物語
「その時私は」物語: 立川高校時代

「その時私は」物語を書き始めるにあたっての話  この企画を始めるにあたり,企画担当である私からまずは書き始めないといけないだろうと机のパソコンの前に座りました。  なにが自分の「その時私は」物語になるだろうかと考えるに, […]

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歴史と史跡とエトセトラ
鎌倉幕府の旧跡碑めぐり(その4)

由比若宮は1180年に鎌倉入りした頼朝が遥拝したところだ.前九年の役で奥州を平定した源頼義が1063年に石清水八幡宮を由比ガ浜に勧請したことに始まるが,その後,源頼朝が現在の鶴岡八幡宮に遷したので,元八幡とも称される. […]

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歴史と史跡とエトセトラ
鎌倉幕府の旧跡碑めぐり(その3)

源頼朝が没すると実権は鎌倉殿となった源頼家の専制支配ではなく北条時政ら有力者の合議制に移行した.十三人の合議制は1199年4月に発足したが,1200年には解体となった.13人の有力者のなかの梶原景時が1199年に失脚し, […]

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歴史と史跡とエトセトラ
鎌倉幕府の旧跡碑めぐり(その2)

大蔵御所が焼失した1219年から1225年までの間は将軍不在の期間だ.仮御所が北条義時の邸宅の南側にあり,その邸宅は二階堂大路の東側とされるが,正確な位置は不明だ.なお,二階堂大路は六浦道(金沢街道)から分岐して永福寺へ […]

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